73 停戦
アキラとエレナードによって壁が生成されてから数時間後、その情報はテグリス王国王城に鎮座する国王の下へと伝わっていた。
「勇者アキラが国境線に壁を生成し、魔王軍と停戦だと!?」
伝令から報告を受けた国王は、玉座から立ち上がり見開いた目を周囲に居合わせる側近や有力貴族達へと向ける。
「私は魔物をかの地から排除せよと命じたのだ! 戦いを止めろと命じた覚えはない! これは一体どういうことだ!」
すると、有力貴族の一人が控えめに応じる。
「いやしかし、魔物の地を封じ込めたという結果は僥倖ではありませんか。我々は、しばらく魔物の脅威に怯えずに済む。今は国にとって負担となる軍の動員を解除し、この期に乗じて富国強兵に励むべきかと」
すると、同席する他の貴族達も肯定的な反応を示す。
己の領地から兵を供出している貴族達にとってみれば、兵士の動員は負担でしかない。
血を流さずに戦いが終わったとなれば、停戦を受け入れたがるのは同然だ。
そんな雰囲気の中で顔をしかめた国王は、顔を紅潮させたまま外交を担当している側近を睨みつける。
「周辺国の動きはどうなっている! 我が国のみが魔物との戦いから一方的に手を引いたとなれば腰ぬけも同然だ! 大国としての示しがつかぬではないか!」
「そ、それが、周辺国も我が国の動きに乗じて魔物の地を壁で封じているようでして、実質的な停戦状態に入っています。当の私にとっても寝耳に水な話なので、何者かが魔物との停戦を手引きして周辺国にその意図を伝えていた可能性が高いかと……」
外交担当の言葉を受け、国王はこの停戦騒ぎを演出した者を推理していく。
まず、壁を生成した勇者アキラが主犯格であることは間違いない。でなければ、壁を生成するという動きが周辺国へ波及した理由に説明がつかないからだ。
だが、他者とのコネクションを持たないアキラだけでは、周辺国に停戦を促すことはできない。
アキラの他に、有力な貴族がバックにいると考えられる。それは一体誰なのか。
国王はこの場に集まる者達を一瞥し、裏切り者を見定めようする。
だが、国王はその行為が無意味であることをすぐさま悟った。
テグリス王国の中枢であるこの空間に、魔物との戦いを熱望する者はただ一人しかいない。
己の領地を持つ貴族達は停戦の報告に胸を撫で下ろし、内政を担当する大臣達も安堵している。
この場に居合わせる誰もが、度重なる戦いの負担に危惧を抱いていた。
その感情が、停戦の報告によって一挙に吐露されたのだ。
国王はたまらず声を荒げて周囲を一喝しようとする。
だが、その行為は不意に耳へと届いたざわめきによって遮られた。
大勢の人間が放つ声と思しき音は、王城の外から響いている。
「一体何事だ!」
感情を昂ぶらせた国王は、すぐさま玉座を立ち上がり晴れ渡る屋外へと続くバルコニーへと突き進む。
そして、部屋を遮る扉を開け放った次の瞬間、耳をつんざく大歓声が城内に飛びこんできた。
国王はすぐさまバルコニーの城壁に掴みかかり、城下で何が起きているのかをその目で確かめようとする。
すると、家々の立ち並ぶ城下町は、ところ狭しとひしめく国民によって覆われていた。
人々は、皆大手を振って騒ぎ立てている。
その喧騒に、不安や恐怖の色はない。高らかに響く歓声は明るさと喜びに満ち溢れ、誰もが笑顔を作って何かを讃えている。
そして、歓声の中心には、堂々と騎馬に跨るアキラの姿があった。
その光景は、まさに勇者の凱旋だ。
華々しい装備を纏った精鋭の騎士に囲まれたアキラは、にこやかに手を振って国民の歓声に応えている。
それは、魔王城強襲作戦後に凱旋パレードを断った人物とは思えないような振る舞いだ。
なぜ、この空間でアキラが讃えられているのか。そこに疑問の余地はない。
この場に集まる誰もが、勇者アキラが魔物との戦いを終焉させたのだと聞き及んでいたのだ。
それは、戦いによって勝ち得た華々しい結果ではない。
単に魔物という脅威を壁の向こうに追いやったにすぎない。
だが、国民にとっては、辛く苦しい戦いが終わり、不安の中で送り出した兵士達が無傷で帰還できただけで十分だった。
いや、十分なのではない。それこそが、多くの者が望んだ結果だ。
いかに勝利を得たところで、誰かの大事なモノが失われてしまえば、その者にとって勝利など意味をなさないこともある。
全ての者が愛した家族や隣人と再び出会えたという結果こそが、誰にとっても最良の結果なのだ。
この場に嘆き悲しむ者はいない。それだけで、大手を振って喜びを分かち合う十分な理由になった。
だからこそ、民は勇者を讃える。
誰も悲しませることなく戦いを止めた男に、惜しみのない感謝の言葉を送る。
そして、お祭り騒ぎとなった城下の光景を目の当たりにした国王は、見開いた目を細めて静かにうなだれる。
昂ぶっていた感情は徐々に抜け落ち、代わりに自嘲が込み上げてくる。
国王は、喜びに満ち満ちた民の声によって、己が間違っていたことに気付かされた。
血塗られた勝利や栄光など、誰も欲してはいなかった。
ただ純粋に、民は平和の享受を願っていた。
この空間で、憤りを感じていたのは己ただ一人だった。
今さらそんな事実に気付かされ、国王は深く深く己を恥じた。
民を想わず何が国王か。そんな言葉で、何度も己を罵った。
そして、息を落ち着け静かに天を仰いだ国王は、認めざるを得なかった。
アキラは誠の勇者であると。英雄であると。戦うだけの道具ではないことを。
だからこそ、国王はお立ち台となったバルコニーの正面へと進み出る。
民に己の姿を表し、目下に見えるアキラへ向けて堂々と両手を広げる。
そして、笑みに溢れた民と共に勇者の凱旋を高らかに称えた。




