72 戦いの終わり
アキラとエレナードが魔法の詠唱を終えた瞬間、二人を隔てる地面が眩い光を放ち始めた。
目を眩ませる強烈なその光は、人類と魔物の軍勢を巻き込み、大地全てを白く染め上げていく。
それは紛れもなく、かつてない規模の大魔法が行使されたことを意味する現象だ。
アキラとエレナードを囲う両軍の兵士達は、たまらず目を覆って地面に伏せ、衝撃に備える。
すると、不意に大地が揺れ動き、地響きのような轟音が響き渡る。
一体、舞台の中心で何が起きているのか。
誰もがその顛末を気にかけていながら、魔法攻撃の飛び火を恐れて顔を上げることができなかった。
しかし、時間を置いても衝撃波や爆炎のようなものが生じた気配はない。
眩い光が晴れたところで、兵士達は恐る恐る態勢を立て直す。
一体、どちらが戦いを制したのか。
そんな興味を胸に顔を上げた兵士達は、驚愕の光景を目に焼き付けていた。
* * *
魔法の行使を終えたアキラは、かなりの疲労を感じながらゆっくりと立ち上がり、視線を前に向ける。
その先に、エレナードの姿はない。
代わりに、見上げるような高さの黒々とした岩石が左右の水平線いっぱいまで広がっていた。
それはまさに、石壁だ。
つい先ほどまで長閑な草原だった空間は、突如として出現した石壁によって大地を分断された。
それも、人類と魔物の軍勢を遮る形でだ。
誰がそんなものを瞬時に形成したのか。
それは、協力して大魔法を行使したアキラとエレナードに他ならない。
自身が生成した石壁の状態を確認したアキラは、ふらつく足で踵を返す。
そして、後方に集まる友軍の兵士達に向け、高らかに声を上げた。
「魔物の地は、この勇者アキラが封じた! 我々の恐れる魔物は、全て壁の向こうだ! もう戦う必要はない!」
そんな声を耳にした兵士達は、瞬時に状況を飲みこむことができず、当惑した様子をみせる。
すると、アキラの声に乗じて全軍の先頭に立つドナウが続いて声を上げる。
「勇者アキラが魔物を押し留めた! 憎き魔物共は封じられたのだ! 我が軍の勝利だ!」
ドナウの「勝利」という言葉がきっかけとなり、武器を携えていた兵士達は徐々に力を抜いて顔をほころばせていく。
勇者は魔物を倒したわけではない。しかし、壁を作り魔物を封じたという結果は、敵を追い払ったに等しい行為だ。
魔物の脅威は去った。もう戦う必要はない。
そんな実感を徐々に受け入れ始めた兵士達は、大手を振って歓声を上げる。
勝利だ。勇者が勝った。各々、そんな声を上げて周囲の者達と喜びを分かち合う。
動員された兵士の多くは、戦いを待ち望み血に汚れた勝利を望んでいたわけではない。
家族や仲間と共に、平和に暮らす時を望んでいるにすぎない。
そんな彼らにとって、戦わずして魔物が追い払われたという結果は、喜ぶべき結果に他ならない。
全ては、勇者アキラが成し遂げてくれた。その顛末に安堵し、歓喜する。
もはや、兵士達の集結する地はお祭り騒ぎとなる。
勝利と平和という言葉が飛び交い、自ら進んで戦いの構えを放棄していく。
そんな状況下で、馬を走らせたドナウはよろめくアキラの下へと近づき、声をかける。
「既に、停戦の伝令は本国に向けて出立した。魔女の別働隊も、国境沿いに壁を生成している頃合だろう。しかし、立派な壁をこしらえたものだな」
対するアキラは、複雑な表情で応じる。
「これは、一時しのぎでしかありません……結局、人類と魔物は壁を作るしかなかった。それが、魔王エレナードと俺が決めた結末です」
「やはり、我々と魔物は交わりざる存在ということか……だが、今はこれでいいのだろう。互いに己の地で生き、干渉しない。それが、平和のために必要な措置だ。既に、周辺国にも私のツテで停戦の意向と壁の形成を伝えてある。最も体力のある我が国が戦いから降りた今、単独で魔物の地に攻め入ろうとする国はないだろう」
「国王は、この結果を認めるでしょうか?」
アキラの懸念に対し、ドナウは小さく微笑みを見せる。
「陛下にとっては不本意な結果かもしれないが、このムードの中で継戦を命じれば、国民は大いに反発するだろう。平和が勝ち取れたのにまだ戦う必要があるのか。誰もがそう思うに違いない」
「なら、よかっ……た」
そこまで言い切ったアキラは、体力の限界に達し膝を折る。
そして、どこか力の抜けた表情で静かに眠りに落ちていった。
* * *
その頃、壁向こうの魔物陣営でも同じような状況が起きていた。
人類の軍勢は、魔王エレナードによって押し留められた。
誰もがその結果を受け入れ、血で血を洗う戦いが起きずに済んだことに内心では胸を撫で下ろしている。
魔物達は人類を憎んでいる。
だが、その憎悪は平和の訪れという結果によって洗い流されてしまった。
命を賭した戦いを心から待ち望んでいる者など少数派だ。それは、人類も魔物も大差ない。
全ては魔王エレナードが決着をつけた。
その結果に歓喜し、己が主に向けて盛大な歓声を送っている。
そんな状況下で、ヴォルガに体を支えられたエレナードは他の者に聞こえない声で静かに囁く。
「壁を作る、か……どうせなら、最初からこうしていればよかったわ」
そんな言葉に対し、ヴォルガは感情の読めない表情で応じる。
「しかし、壁を作ったところで我々と人類の遺恨が消えたわけではありません。双方がこの地で生きる限り、再び対立する日は訪れます」
「それくらいわかってるわ。だけど、少なくとも戦いは起きなかった。互いに壁の存在を容認した。それが、ひと時の平和を得るための手段になったのよ。アンタは不満?」
「エレナード様のお決めになったことに、不満など抱くはずもありません。これは、我が国にとって必要な結果だったのです」
ヴォルガの返事を受け、エレナードは薄れゆく意識の中で小さく微笑む。
「そう、ね。これが、私達の国のため……平和に暮らす、魔物達のため……」
そう告げたエレナードは、壁の向こうで眠りについたアキラと同じく、力の抜けた表情で深紅の瞳を閉じていった。




