7 最終攻勢
ラプタリア王国軍先遣隊は、まさに混迷を極めていた。
上空からはスライムが絶え間なく投下され、前方からは神出鬼没にチャリオットが姿を現し、一撃離脱を繰り返す。
そんな状況では陣形を維持できるはずもなく、統率は完全に失われていた。
それでも、先遣隊の指揮官は進軍を諦めていなかった。
今受けている攻撃は、単なる撹乱のようなものであり、多くの兵は健在だ。ならば、敵の本隊と接敵さえすれば、数で圧倒することができる。未だにそんな幻想を抱いていた。
すると、そんな幻想に応えるかのような声が、どこからともなく耳に入る。
「敵の本隊だ!」
その声は、戦線左翼から放たれた。
側面攻撃――それは、指揮官にとって想定内の出来事だ。
そもそも、攻撃を仕掛ける側は必然的に待ち伏せを受ける。
だからこそ、こちらが脇腹を見せたところで敵が総攻撃を開始したのは、順当な判断と言える。
そのリスクを負って進軍を続けていたラプタリア王国軍は、しっかり対策を練っていた。
彼らは正方形に近い形で陣形を組み、左右正面どこから攻撃を受けても戦闘正面に広く兵を展開できる工夫を凝らしていたのだ。
加えて、後方には後詰め部隊が控えている。そうすることで、たとえ側面から攻撃を受けても、後詰め部隊の到着を待てば逆に敵の脇腹をついて反撃するという戦術が成立する。
勝機はある。そう確信した指揮官は、兵達を鼓舞するかのように檄を飛ばす。
「ようやく敵の本隊がお出ましだ! 余計な攻撃に構うな! 全軍、左翼に戦力を集中して本隊を迎え撃て!」
そう叫んだ刹那、彼の幻想に陰りを見せるような声が届く。
「右翼からも敵だ! ミノタウロスがいるぞ!」
右翼――まさかの挟撃だ。
もちろん、待ち伏せを受けるなら挟撃されることも想定の範囲内ではある。しかし、状況がいささか不利になったのは事実だ。
それでも、こちらには数の有利がある。密集して防御体勢で持ちこたえれば、必ず後詰め部隊が決定打となってくれる。
そう自分に言い聞かせた指揮官は、指示を訂正する。
「敵は左右両翼から挟撃を仕掛けるつもりだ! 兵をなるべく密集させろ! このまま応戦して後詰めの到着を待つんだ!」
そうこうしているうちに、いよいよ主力同士の戦端が切って落とされた。
敵の多くは、雑多な武器や鎧を装備したゴブリンやオークといった魔物達だ。
個々の戦闘力で見れば、装備が整っている人類側が有利ではある。
しかし、今なお続いているスライム爆撃とチャリオットによる横槍が致命的だった。
隊列を乱した兵士達は左右両翼で魔物達に押され、徐々に数を減らしていく。
加えて、右翼側には伝説の魔物と言われるミノタウロスが大暴れしており、恐ろしいほど巨大な斧で兵士達を軽々と薙ぎ払っている。
その怒号は腹の奥底まで響き渡り、兵士達の恐怖心を煽り立てる。まさに、一騎当千だ。
「まずはミノタウロスだ! ヤツを始末しろ! 魔術師は支援攻撃急げ!」
そんな指揮官の指示に対し、魔術師の一人が懸念を示す。
「し、しかし、今あそこに魔法を放てば味方も巻き添えに……」
「ええい! どの道このままではヤツの周りにいる兵は皆殺しだ! お前達も死にたくなければ覚悟を決めろ!」
彼の言葉は、まさに悪魔の囁きだった。
混迷を極める戦場で正常な判断力を失った魔術師達は、もはや指揮官の指示に従う他なかった。
生き残った数少ない魔術師達は、悲痛な表情で一斉に杖を構える。
「ファイヤーボール、詠唱始め! 目標、前方ミノタウロス! ……放てえええええええええええええっ!!!」
次の瞬間、目を眩ませるような閃光が戦場を覆い尽くす。
そして、大暴れしていたミノタウロスは周囲に群がる兵士や魔物共々、凄まじい爆炎に包まれた。
爆風に巻き込まれた兵士や魔物達は断末魔のような悲鳴を上げ、続いて呻き声の合唱を始める。まさに地獄絵図だ。
その凄惨な光景を自ら作り出した魔術師の一人は罪悪感に苛まれ、たまらず膝を折る。
そんな空間で、指揮官はただ一人、狂ったような笑みを浮かべていた。
「やった! やったぞ! ミノタウロス討ち取ったり! さあ反撃開始だ! たたみかけろ!」
だが、その笑みは一瞬にして消え去る。
なぜなら、黒煙の中心にそびえる巨大な影は、倒れもせず膝を折ることもなく、その場に堂々と立ち続けていたからだ。
「ぬるい……ぬるいわああああああああああああああああッ!!!」
そんな怒号と共に、勢いよく振るわれた戦斧によって、黒煙は一瞬にして吹き飛ばされる。
そして、鎧を黒く焦がし、怒りに燃えるミノタウロスが再び姿を現した。
まさか、ファイヤーボールの斉射すら効かないのか。
残酷な現実を目の当たりにした指揮官は言葉を失う他無い。
そんな彼に追い打ちをかけるかのように、背後から新たな声が届く。
「後方より敵の別働隊です! サキュバス共が暴れています!」
今や茫然自失となった指揮官は、その言葉を即座に受け入れることができなかった。
なぜだ。我が軍の後方には、後詰め部隊が控えているはずだ。後方から現れるのは、敵ではなく味方ではないのか。なのに、どうして。
もはや思考の追いつかなくなった指揮官の心は完全に折れ、歪む視界の中で暴れ回るミノタウロスを眺め続ける。
そして、いつの間にかミノタウロスは彼の目前に迫っていた。
「ほう、貴様が人類種共の指揮官か。己は魔王四大将軍が一人、憤怒のヴォルガである。ここは指揮官同士、一騎打ちといこうではないか」
そんな言葉を投げかけられた指揮官は、狂ったような笑みを浮かべ、ヤケクソになってミノタウロスと対峙する。
「はっ……はは、よかろうっ! 私はラプタリア王国軍近衛軍団団長セーヌド・ドルドーニュ男爵である! 貴官との勝負、尋常に受けて立つ! さあさあ、我が名槍ガロンヌの裁きを――」
「ふんぬぅッ!!!」
その刹那、指揮官の体はヴォルガの振るう戦斧によって馬ごと綺麗に両断される。
もはやそれは、勝負になっていなかった。
「ふむ、まだ口上の途中であったか。長くて退屈してしまったぞ」
そう告げて戦斧についた血糊を払うヴォルガを前に、戦意を維持できる兵士は誰一人としていなかった。