60 決着
トヴェルツァが横たえる脇で膝をついたアキラは、己が投げ捨てた剣を拾い上げ、そのまま剣を杖代わりにしてよろよろと立ち上がる。
今のアキラには、勝利の余韻を噛みしめる余裕もなければ、死した仲間達を弔う暇もない。
なぜなら、アキラの最終目標は魔王の討伐だからだ。
アキラは何かに取り憑かれたかのようによろよろと歩みを進め、城内に続く階段へと足を運ぶ。
もはや、アキラを突き動かしているものは、正義感や使命感ではない。
言うなれば、それは執念だ。
ラインとユフィ、それに多くの仲間達をこの戦いで失ったアキラは、彼らの死を無駄にしないためにも魔王を討たねばならない。
全ての仲間の死が、アキラの背中にのしかかっているのだ。
だからこそ、アキラはどんなに傷つこうと歩みを止めることはできない。
それはかくも、悲壮に満ちた光景だった。
そして、アキラが城内に続く階段の目の前に辿りつくと、階段の奥から一際大きな影が姿を現す。
鼻に大きなリングをぶらさげ、憤怒の表情を作る牛顔を持つその相手は、魔王四大将軍ヴォルガだ。
アキラの前に躍り出たヴォルガは、「むふぅ」と一際大きな鼻息を漏らし、わなわなと体を震わせる。
「勇者アキラ……貴様が、貴様が我が盟友達を亡き者にしたのかッ! 貴様がッ! 貴様がッ! 貴様があああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
次の瞬間、ヴォルガは黒々とした巨大な拳でアキラに強烈な殴打をお見舞いする。
「がはッ!」
モロに殴打を受けたアキラは勢いよく後方へ吹き飛ばされ、無残に地面を転がる。
もはや、アキラの体力は限界に達していた。
ヴォルガに抗う余力などなく、もはや意識を保つことすら危うい。
それでも必死に立ち上がろうとするアキラの前に、ヴォルガは盛大な足音を鳴らして近づいていく。
そして、よろめくアキラの前に辿りついたヴォルガは、そのままアキラの顔面を鷲掴みにして高々と宙に掲げた。
「ぐッ……がぁッ!」
「己は、決して貴様を許さんぞ。ただ殺すだけでは生ぬるい……その四肢を引き裂き、息絶えるまで晒し物にしてくれよう」
「それくらいにしておきなさいヴォルガ」
薄れゆく意識の中で、アキラは甲高い少女のような声を耳にする。
そしてアキラは、その声を放った人物が誰であるか確かめる間もなく、気を失っていった。
* * *
アキラは、全身に走る痛みにより目を覚ました。
一瞬、自分がなぜ気絶していたのか理解するまで時間がかかった。
だが、視界の先で椅子にもたれる人物を目の当たりにした瞬間、アキラは己が置かれている状況を把握した。
装飾に凝った大きな椅子に黒いドレス姿で鎮座するその人物は、一見すると若い少女にも見える。
しかしながら、白銀の長髪に羊のような角を生やし、背中ではためく翼と爬虫類のような尻尾を持つ彼女の容姿は、およそ人類種からかけ離れている。
恐らく、彼女も魔物なのだろう。
そんな彼女は、赤々とした瞳を鋭く細め、睨みつけるような視線でアキラをじっと見つめている。
魔物との戦いに敗北したアキラは、どうやら体を拘束され、地位の高い魔物の前に引き出されたようだ。
「お前は……誰だ……」
絞り出すようなアキラの言葉に対し、彼女は不満げに眉をひそめる。
「魔王を前にして、誰だとは甚だ失礼ね。私が、アンタの討とうとした魔王エレナードよ」
「なん、だと……まだ、子供じゃないか……」
「子供で悪かったわね。アンタは、私がまだ子供だったら殺すのを躊躇ったとでも言うの? 勇者らしくお人よしなのね」
そんな言葉に対し、アキラは咄嗟に返答に困る。
「せっかくだから教えてあげるわ。アンタが討とうとしていた魔王は、ただのちっぽけな小娘よ。人を喰らったり虐殺して喜んだりするようなバケモノじゃなく、ただの血筋で魔王に祭り上げられた健気で可愛らしい小娘よ」
「それが、事実だという、証拠はないだろ……」
すると、エレナードの脇に佇んでいたヴォルガが口を挟む。
「エレナード様。このような者の前でご自身を卑下するのはお止めください。仲間達の仇であるこの男に、慈悲など無用。お早く処分を」
「慈悲、か……私は仲間達を殺したアンタに強い怒りを抱いてるはずなのに、ここでアナタを殺せずにいる私は確かに甘いのかもしれないわね」
アキラは、そんな言葉を放つエレナードがおよそ魔王には見えなかった。
魔王とは、もっと邪悪で、無慈悲で、尊大で、理性など持ち合わせていない存在だと思い込んでいた。
しかし、アキラの前に鎮座する魔王エレナードは、仲間の死に憤り、己の弱さを自覚し、敵でもあるはずのアキラと対話を試みるという、信じられないほど人間らしい立ち振舞いをしている。
だからこそ、アキラは純粋にこんな疑問が浮かんだ。
「魔王エレナード……お前の目的は、何だ……」
対するエレナードは、その問いに迷いを見せず堂々と答えを出す。
「私の目的は、全ての魔物達の安寧を守ることよ。このインダリア帝国を、魔物達にとって平和に暮らせる地にする……それが、魔王という国家指導者の立場を持つ私の役目」
そんな答えに対し、アキラは苦笑いを浮かべる他なかった。
「はは、それじゃあまるで、人間の王様だ……」
「そうよ。魔王とは、すなわち魔物の王。魔物達の生活や安全を心配するのは自然なことでしょ?」
そこまで聞いたところで、アキラは元勇者であるトヴェルツァが、なぜ魔物の軍門に下ったのか、その理由が理解できた気がした。
――魔物とて、この地に生を受けた存在に変わりはない。人と魔物の間に、何の差がある?
戦いが始まると同時に、トヴェルツァはそんな言葉を口にしていた。
トヴェルツァの語った言葉は、一面の事実なのかもしれない。
人と魔物は、姿形が異なるだけで、生物であることに変わりはない。
今のアキラは、その言葉を否定できる術を持たない。
だが、アキラは未だ心の底で、その考えを否定したいという思いを持ち続けていた。
なぜなら、人と魔物の本質が同じだと認めてしまえば、アキラや死んでいった仲間達は、単に戦争の道具として扱われたに過ぎないと認めることになるからだ。
魔物は討つべき悪しき存在である――その思想が否定されたとき、アキラの臨んできた戦いは正義の戦いでなく、単なる諍いになってしまう。
すると、エレナードはそんなアキラの迷いを見抜くかのように、こんな問いを投げかけてきた。




