6 兵とは詭道なり
スライム爆撃にうろたえるラプタリア王国軍先遣隊の前に突如姿を現したのは、小型恐竜のような魔物――リザードに跨ったゴブリン・ライダーの群れだ。
しかし、突撃してきたその一団は、普通の騎兵とは少し異なる様相をしている。
ゴブリンに操られたリザードは、皆一様に小型の台車を牽引しており、複数のゴブリンを乗車させていたのだ。
それは、『チャリオット』と呼ばれる戦闘用馬車だ。
本来は人類の開発した兵器の一種だが、まさか魔物達がそんな工夫を凝らしてくるとは誰も想像していなかった。
そんな中、ラプタリア王国軍の指揮官は騎兵を迎え撃つ態勢を素早く指示する。
「歩兵は槍構え! 弓兵と魔術師は迎撃用意!」
馬に跨り悠々と戦況を眺める指揮官は、「バカめ」と心の中で相手を愚弄する。
なぜなら、正面から騎兵突撃を仕掛ける戦術は愚策だと直感したからだ。
騎兵突撃は奇襲として有効だが、開けた場所で正面から迫られた場合の対策は簡単だ。
まずは隊列を組んだ歩兵の長槍によって突撃を阻み、弓と魔法による遠距離攻撃を仕掛ければ、突撃を拒まれた騎兵はなす術なく撃破される。
歴戦の猛者である指揮官は、そんな経験則を持っていた。
たとえ相手がチャリオットだったとしても、その対策に抜かりはないと確信していたのだ。
だが、そんな確信は一瞬にして崩壊する。
なぜなら、正面に迫るチャリオットは、少し距離を詰めたところで急停止し、いきなりファイヤーボールを放ってきたからだ。
不意に襲いかかる火球に包まれた歩兵達は、密集していたことが災いし、一気に爆散して混乱に包まれる。
その瞬間、指揮官は敵の攻撃方法を看破した。
「まさか、台車にシャーマンを乗せているのか!」
彼の予想通り、ゴブリン・ライダー達は、なにも突撃するために姿を現したわけではない。
台車を牽引するリザードは、魔法に長けたゴブリン・シャーマンを搭載し、即時展開する機動力として用いられたのだ。
木の盾を張った台車から頭を出したゴブリン・シャーマン達は、まるで戦車のように台車の上から続々とファイヤーボールを放つ。
「こちらも攻撃魔法急げ!」
指揮官の指示により、ラプタリア王国軍も歩兵に代わって魔術師達が前に出る。攻撃魔法には攻撃魔法で対抗する他ないという判断だ。
だが、無防備な姿で前に出た魔術師達は、正面から放たれた矢によって次々と倒れていく。
「クソッ! シャーマンだけでなく弓兵も同乗しているか! 歩兵は魔術師の盾になれ!」
その指示は、現状において的確なものだ。
しかし、彼の命令を聞いた何人かの兵士は、激しい怒りを抱いた。
盾になれだって? 俺達に死ねと言いたいのか――そんな兵士達の不満は、徐々に指揮官に対する信頼を失わせ、戦意を喪失させていく。
実のところ、相次ぐスライム爆撃とゴブリン・シャーマンの攻撃魔法は、ラプタリア王国軍にさしたる被害を与えていなかった。
しかし、いかに兵が生きていようと、相手から一方的に攻撃される状況が続けば、著しい士気の低下を招く。
反撃ができないということは、為すすべなく死を待つという状況に等しいからだ。
士気の低下は戦闘力の喪失を招き、兵を無力化していく。
爆撃後に戦場の上空で待機していたアムールは、そんな様子を逐次エレナードに報告していた。
* * *
『エレナード様。敵本隊は爆撃とチャリオット隊の攻撃により隊列を乱し、混乱中です。第一次攻撃の成果は十分と判断します』
野戦軍司令部にてアムールから共鳴水晶による報告を受けたエレナードは、順調な戦況に満足して何度も頷く。
「兵は詭道なり……まさにソンシの格言通りね」
すると、隣に立つエニセイが嬉しそうに長い舌をゆらゆら揺らす。
「おお、さすがはエレナード様。『孫子』も読まれましたか。いやはや、地球の書物は古典でもためになるものばかりです。人類種が書き記したというのが末恐ろしいですな」
「本来、その賢さが力を持たない人類の武器なのよ。まあ、今は私の方が一枚上手な知識を持っているようだけど」
そう告げたエレナードは自慢げに控えめな胸を張る。
そして、すぐさま真剣な表情を取り戻して次の手に打って出た。
「さあ、そろそろ仕上げの時間よ。ヴォルガは予定通り両翼から攻撃を開始しなさい。ドヴィナは退路封鎖作戦を開始。やつらに目にもの見せてあげなさい」
『御意』
『はいはーい』
エレナードの指示に対し、ヴォルガとドヴィナは共鳴水晶越しに揃って返事をする。
そして、戦いはいよいよ最終局面を迎えようとしていた。
* * *
「遂にこの時が来た」
平原を埋め尽くす魔物達を前にして、ヴォルガはぽつりと呟く。
「長らく己は、戦場を離れていた。この高揚、実に久しい……エレナード様より命は下った。これより戦の時だ! さあ、我に力を与えよ!」
そんな掛け声と共に、周囲に集まるゴブリン・シャーマン達は、ヴォルガに肉体強化魔法をかけていく。
「おおっ、おおおおおおっ、おおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
すると、ヴォルガの体はみるみるうちに巨大化し、耳をつんざくような狂戦士の怒号を大地に響かせた。
肉体強化を終えたヴォルガは、オーク三体がかりで運搬していた巨大な戦斧を受け取り、その柄を渾身の力で地面に叩きつける。
「ふんぬぅッ!!!」
その瞬間、まるで地震のような地響きが轟き、全身を刺激された配下の魔物達は一気に戦意を高める。
「今こそ、積年の恨みを果たす時! 己は憤怒のヴォルガ! 人類種共に怒りの鉄槌を下す者である! 己が先陣を切る! 全軍、我に続けッ!」
「「「応! 応! 応!」」」
ヴォルガの鼓舞により声を揃えた魔物達は、いよいよ前進を開始する。
その数、およそ三千。魔物に埋め尽くされた大地はさながら巨大な津波と化し、ラプタリア王国軍に迫ろうとしていた。
* * *
一方その頃、戦場の遥か後方では、湿地のぬかるみで進軍の遅れている補給の馬車隊列と、後詰めのラプタリア王国軍部隊がのろのろと行軍を続けていた。
そして、司令塔となる指揮官達の集まる陣では、どこか異様な光景が繰り広げられていた。
騎士達は皆一様に村娘のような若い女を馬に相乗りさせ、どこか和やかなムードで談笑している。
その様子はさながらお祭りのようで、これから戦場に向かう雰囲気とは到底思えない。
そんな中、一際美しい女を相乗りさせている将軍は、馬上で美女との会話に花を咲かせ、もはやここが戦場であることを忘れかけていた。
「いやぁ、この戦いはいずれ我が軍の勝利だ。今ごろ、先方の部隊が君達を捕えていた悪しき魔王軍を叩きのめしている頃だろう」
「さすがは将軍様ですわ。わたくし、是非とも勝利の凱旋をこの目で見たいですわ」
「おう、見せてやるとも! 勝利の後は楽しい宴だ! 今宵は寝かせんぞぉ!」
そう告げた将軍は、背後に手を回して美女の尻をまさぐる。
美女はまんざらでもない様子で体をよじっていたが、不意にこんな言葉を口にした。
「でも残念。私、そろそろ行かねばなりませんの」
「行く? こんな戦場のど真ん中ではどこにも行けんぞ。安心せい。戦いが終われば、ワシが近くの村まで……」
と、そこまで言いかけたところで、将軍は不意によろめいて馬の首に覆いかぶさる。
そして、大きないびきをかいて騎乗したまま居眠りを始めてしまった。
その姿を見た美女は、不敵に微笑む。
「フフ、残念だけど、もう時間なの。アナタ達に、今夜は訪れないわ」
そう告げた瞬間、女をはべらせていた兵士達は次々に眠りに落ちていく。
そして、いつの間にかその部隊は女を除く全員が身動きをとらなくなっていた。
その現象は、偶然によるものではない。女達の仕掛けた催眠魔法によるものだ。
次の瞬間、馬から飛び上がった美女は背中から大きな羽を生やし、上空へと舞い上がる。
その衣服は卑猥なボンデージへと早変わりし、いつの間にか四大将軍ドヴィナが姿を現していた。
ドヴィナに呼応し、他の女達も元のサキュバスへと姿を変えていく。
この瞬間、ラプタリア王国軍の後詰め部隊は、完全にドヴィナとその部下達の手に堕ちていた。
全ては、エレナードに指示された策略だ。
魔王軍に捕まっていた村娘を装っていたサキュバス達は、敵の指揮官達に取り入り、そして敵陣のど真ん中から部隊の指揮能力を麻痺させたのだ。
作戦を成功させたドヴィナは、羽をはためかせながらクスクスと笑みをこぼす。
「ホント、男ってチョロイわねぇー。さあ皆、精気を吸うだけ吸ったらひと暴れして帰るわよ。たっぷりいただいていきましょ」
「「「はーい」」」
返事をしたサキュバス達は、眠りに落ちる兵士達に次々とキスをしていく。
すると、兵士達の体はまるでミイラのように干からびてしまい、それから永遠に目覚めることはなかった。
<チャリオット>
チャリオットとは、戦闘用馬車の呼称である。馬に牽引させた台車に兵士を搭載することで、高い機動力を持つ兵器として活躍した。
ちなみに、日本ではチャリオットを戦車と訳すが、これは日本独自の訳であり、本来Chariotと第一次世界大戦中に開発された戦車(Tank)は別物である。しかしながら、高い機動力と弓による遠距離攻撃を兼ね備えるチャリオットは、戦車や装甲車のような自動車化兵器の先駆けと言える。
<孫子>
『孫子』は、中国春秋戦国時代に呉の闔閭に仕えた孫武が記したとされる兵法書である。短文ながらも戦争の本質を捉えたその内容は、軍事思想のバイブルとも言えるものに仕上がっており、現代に至るまで後世に多大な影響を与えた。
『孫子』は、力で相手をねじ伏せるダイレクト・アプローチ(正攻法)ではなく、奇襲といった策で戦いを有利に運ぶインダイレクト・アプローチ(間接的戦略)を重視して書かれており、その合理的な思想をビジネスで活用しようという書籍も多い。




