59 魔王城屋上決戦5
アキラとトヴェルツァの戦いは、いよいよ魔力の消耗戦へと移行していた。
互いにダメージは最小限だが、魔法を駆使した戦いは大量の魔力を消耗する。
トヴェルツァはアキラに猛攻を加えつつも、己の魔力が限界に近いことを察していた。
(消耗戦では分が悪いと分かっていても、決定打を繰り出せない。しかし、搦め手が通用する相手でもないか)
消耗戦で不利を自覚したトヴェルツァは、ここで一旦引くという選択肢を考える。
しかし、互角の相手から逃走を成功させるのは至難だ。
(ならば、多少強引な手を使う他無いか)
冷静に状況を分析したトヴェルツァは、アキラと距離を詰めて剣撃を中心の戦闘に移行する。
剣技ではトヴェルツァが一枚上手だ。
しかし、無尽蔵の魔力をフル活用して身体能力を底上げしたアキラは、互角の立ち回りを見せる。
接近戦に持ち込むことでトヴェルツァは魔力を節約できるが、決定打を放つには一工夫必要だ。
そう判断したトヴェルツァは、あえて剣を大振りし、自身の懐に隙を作った。
アキラは抜け目なくその隙を突き、鋭い剣撃を繰り出す。
だが、その隙こそがトヴェルツァの張った罠だ。
アキラの剣撃は、トヴェルツァの脇腹に狙いを定めて的確に振るわれる。
客観的に見て、回避と防御は間に合わない。
そして、次の瞬間には剣を薙ぐ一閃と共に血しぶきがほとばしる。
だが、アキラが斬り裂いたのは急所の脇腹ではなく、トヴェルツァが咄嗟に引き寄せた左腕だった。
一本取ったことを確信して剣を振り抜いたアキラは、トヴェルツァの術中にはまり致命的な隙を作り出してしまう。
そんな故意に生み出された隙を逃さず、トヴェルツァは健在な右腕に握る剣でアキラの体に一撃を与えた。
「……ッ!」
あえてダメージの少ない部位に攻撃を受け、相手の隙を生みだす――まさに、肉を斬らせて骨を断つ荒技だ。
右の肩口を斬り裂かれたアキラは、激しい出血を伴いながら咄嗟に後ずさる。
右腕の感覚が無くなったことを悟ったアキラは、すぐさま剣を左腕に持ち替えてトヴェルツァの追撃をかろうじて防御する。
トヴェルツァが負傷した左腕は利き腕ではない。対して、アキラは右腕を失ったに等しい状態だ。
一連の流れにより、状況はトヴェルツァの側に傾いた。
* * *
不利を自覚したアキラはトヴェルツァから一旦距離を置き、態勢を立て直す。
その間、魔力が欠乏しているらしいトヴェルツァは無理な追撃を行わず、両者は一旦睨み合いに移行する。
血を滴らせた二人は己が負った傷には目もくれず、静かに視線を交す。
そんな状況下で、沈黙を破ったのは意外にもトヴェルツァの方だった。
「その腕では、もはや私に敵うまい。己の決断で仲間を失った貴様は、なぜそうまでして戦う。今の貴様は、既に薄々と気付いているはずだ。魔王を討つという目的に命を賭ける価値はなかったということにな」
対するアキラは、強い意思に満ちた瞳を曇らせることなく、毅然と応じる。
「そうなのかもしれない……だけど、俺は皆のために魔王を討つと決めたんだ。ここで俺が諦めたら、それこそ皆の死は無為なものになる」
そんな言葉に対し、トヴェルツァは己の足元で横たえるラインの亡骸へ視線を向ける。
「犠牲を払って振り下ろした拳はもう下ろせないということか。愚かな選択だ……かつて勇者として祭り上げられた私も、貴様のような志を持って戦いに臨んだことがある。だが、それでは何も守れないことに気付いた。私は始めから誰かを守るために戦うべきだった。今の貴様と同じだ」
どこか人間味のある告白をするトヴェルツァに対し、アキラは眉をひそめる。
アキラが沈黙を維持していると、トヴェルツァは最後の問いとばかりに言葉を続けた。
「貴様はあくまで、犠牲を払って成される血ぬられた正義に縋るつもりか」
そんな言葉に対し、アキラは剣を握る左手に力を込めて鋭い視線をトヴェルツァに向ける。
その視界には、既に息絶えたラインの亡骸が映り込んでいた。
「ああそうだ……俺はもう、大切な仲間を何人も犠牲にしてきたんだ……いまさら、その犠牲を無為にはできないんだ!」
大切な仲間を失ったからこそ、全てを賭して勝たねばならないという決意が全身を駆け巡る。
正義だとか、大義だとか、そんなものはもはな関係ない。
アキラは今亡きラインとユフィのために戦う。
既に死んだ者のために戦うという、皮肉のような意思を胸に剣を握る。
そんなアキラは、遂に地面を蹴って最後の勝負に出た。
利き腕が使えない状況では、剣は満足に振るえない。
それでもアキラは諦めない。それが、生き残った者の使命だからだ。
アキラの突進に対し、トヴェルツァは静かに剣を構えて迎え撃つ構えだ。
アキラは思考をフルに回転させ、この一瞬に全てを賭ける。
一気に接近した二人は、二度三度と剣を交える。
左手で振るわれるアキラの剣撃は弱々しく、すぐさま隙が生じてしまう。
トヴェルツァは容赦なくアキラの急所目がけ、突きを繰り出す。
(これが最後……本当に、最後だ!)
トヴェルツァの放った突きは、アキラの体を捉えた。
鎧に守られていない肩口に剣を突き立てられたアキラは、それでも怯むことなく足を踏ん張る。
次の瞬間、不意に接近する二人の間で激しい爆炎が巻き起こった。
「なにッ!」
爆炎が起きる直前、アキラは魔法の詠唱を行わなかった。
同時に、周囲に爆炎魔法を行使した者の姿も見当たらない。
その爆炎は、ユフィが持っていた遠隔魔法の小瓶によって引き起こされたものだ。
小瓶を投じたのは、他でもないアキラだ。
アキラは、この戦いが起きる直前にユフィから小瓶を受け取っていた。
何か役に立てばと、ユフィから託された最後の贈り物だ。
両者は爆炎をもろに食らい、黒煙が立ちこめる中で視界を奪われる。
だが、利き腕の機能を失ったアキラは、小瓶を投擲する際に剣を手放して左手を使ってしまった。
当然ながら、その動作は爆炎を受ける直前に目視されている。
アキラが丸腰だと見抜いているトヴェルツァは、爆炎をものともせず黒煙の中で突きを繰り出す。
だが、その突きは甲高い金属音と共に何らかの物体と交錯した。
トヴェルツァの突きはアキラの脇を通り過ぎて空を切る。
そして、黒煙が晴れゆく中で、地面にぽたぽたと滴る一筋の鮮血が広がっていく。
その血液は、トヴェルツァの脇腹から流れ出ている。
トヴェルツァの剣を弾き、そして脇腹に突き立てられたその刃の正体は、ラインが振るっていたバスタードソードだ。
その柄を握る者は、一人しかいない。
アキラは、黒煙の中でラインの亡骸からバスタードソードを拾い上げていた。
ラインとユフィ――今亡き二人の仲間から貰い受け、死闘の勝者となったのは、アキラだった。
急所である脇腹を貫かれたトヴェルツァは、表情を変えずにアキラの目を見つめる。
その瞳に濁りはなく、どこまでも透き通っている。
「結局、私は誰も守ることができずに果てるか……それもまた、私の宿命らしい」
そんな言葉を最後に、トヴェルツァは静かに体を横たえた。




