43 存在意義
ライン主催の作戦会議が終わった頃には、既に日が落ちていた。
王城は暗闇に包まれ、まばらに灯る松明の明かりが巨大な石造りのシルエットを照らし出す。
そんな中、会議室を離れたユフィは薄暗い王城の廊下を歩いていた。
会議に参加していた他のメンバーは既に宿舎へ戻り、周囲に人影は見当たらない。
カツカツと静かな足音だけが反響し、闇に映える白いローブは地下へと続く階段を進んでいく。
そして、地下に設けられたとある一室に辿りついたユフィは、丁寧なノックを挟んで重苦しい木製扉を静かに開け放った。
「おおユフィ。来てくれたか」
そう告げてユフィを室内に招き入れたのは、闇に溶け込む黒いローブを纏う魔術大臣だった。
室内には奇妙な道具や本が無数に積み上げられ、実験体らしき動物も目につく。
その空間は、まさに魔術の実験室だ。
「お久しぶりですお爺様。お身体は変わりないですか?」
ユフィの型にはまった挨拶に対し、魔術大臣は皺の寄った顔をくしゃりと歪めた笑みで応じる。
「いやぁ、さすがにこの歳になると体はどこもかしこもボロボロだ。魔術の力がなければ、とっくにくたばってるよ」
そんな会話を交わした二人は、血の繋がった祖父と孫娘の関係にある。
だが、屈託のない態度を見せる祖父に対し、かしこまったユフィはどこか遠慮があるように見える。
「今日は何か、大事なお話があるのでしょうか?」
手近な椅子に座るよう促されたユフィは、挨拶もそこそこに本題を切り出す。
多忙な魔術大臣は、孫の顔が見たいという理由でユフィを呼び出すような人物ではない。
彼から直々に魔法の手ほどきを受けたユフィは、それを重々承知していた。
そして、ユフィの問いに対して静かに頷いた魔術大臣は、すぐさま真剣な表情を作り上げる。
「うむ。今さら聞くまではないと思うが、お前は自分の役目を忘れてはいないね?」
ユフィは深く頷いて応じる。
「はい。私の役目は、何があってもアキラ様をお守りすることです」
「そうだ。アキラ様は我が国……引いては、人類の至宝だ。彼が失われれば、魔物から世界を救済するという大義は果たせなくなる。アキラ様は、我々人類にとって希望なのだ」
魔術大臣に育てられたユフィは、幼少期からこんな言葉を何度も何度も言い聞かせられていた。
――私はいずれ、世界を救済する勇者を作り出す。その時が来たら、お前は勇者の支えとなり、そして盾になるのだ。
ユフィは、その言葉を素直に受け入れて育った。
世界を救済するには勇者の支えになることは、名誉であると同時に己の存在意義であると信じ、そこに疑いを持ったことは一度だってなかった。
「私は、自分の役目を忘れたことはありません。そのために魔術を学び、鍛錬を積んできたと自負しています」
「それでいい。姉のエルベや我がバカ息子とは違い、ユフィは素直でいい子だ。エルベは勇者が戦いに赴くことを嘆きその身を絶ったが、それは愚かしい独善だ。人類の大義を理解していなかったのだ。私利私欲に走った父親も同じだ」
魔術大臣の言葉通り、かつて勇者を想いその身を絶ったエルベは、ユフィの姉だった。
だが、両親や姉の死はユフィが物心つく前に起きた出来事だ。
父と母が内乱罪で処刑され、祖父である魔術大臣に育てられたユフィは、一連の出来事を父の乱心によるものだったと教え込まれた。
それは、国に対する裏切りが悲惨な結果を招くという教訓でもあった。
「国王陛下に対する私の忠誠は、父の乱心に対する贖いでもあります。私は、テグリス王国とその未来を担う勇者様のためにこの身を捧げるつもりです」
そう告げる一方で、ユフィは父の乱心が権力争いによる陰謀だという噂を耳にしたことがあった。
加えて、姉のエルベとトベが愛し合っていたことや、それ故に悲劇が起きたという話も聞き及んでいた。
ユフィが見せた態度は、建前を語っているに過ぎないという側面もある。
だとしても、勇者アキラの支えにならねばという強い使命感があるのは事実だ。
たとえきっかけが祖父の教えだったとしても、実際にアキラと行動を共にし、その人間性と実力を知ったユフィは、アキラが人類に救いをもたらす人物であると確信していた。
今のユフィは、一人の魔術師としてアキラを支えることが、人として正しい道であると判断しているのだ。
それこそが、ユフィにとってアキラが『特別』であるという言葉の正体だ。
だが、そんなユフィの意思は、先日友人から投げかけられた言葉によって、小さな乱れを生じていた。
――実際のところちょっとはその気があるんでしょ?
その友人は、ユフィがアキラに好意を抱いてると勘ぐっていた。
確かにユフィは、アキラを尊敬している。アキラは人柄も良く、己の実力を鼻にかけることもなく、立派で好感の持てる人物であると認めている。
だが、それは好意と呼べるものなのだろうか。
ユフィは、己の使命感からアキラの支えになろうとしている。
それ以外に、アキラの傍にいたいと思う理由など考えたこともなかった。
好意とは何なのか。愛とは何なのか。
ユフィは、それを具体的に説明することができなかった。
「ユフィ? どうかしたのか?」
魔術大臣の言葉で我に返ったユフィは、思考を中断して冷静に取り繕う。
「いえ、何でもありません」
「おおかた、ラインの考案した作戦のことでも考えていたのだろう。国王陛下は、あの作戦を認可する方向で動いている。私としては、あまりアキラ様を無謀な作戦には投入したくないのだが、陛下の方針ならいたしかたない」
「その件ですが、私は勇者様の移送とサポートの役目を申し出ました。勇者様に危険が及べば、私が全力をもってお守りするつもりです」
そんな言葉を聞いた魔術大臣は、不意に懐から赤い宝石のついたネックレスを差し出す。
「ユフィ、お前にこれを授けておこう。この宝石には、体内に残る魔力を一気に放出する術式が込められている。もし、己の魔術では対抗できない敵が現れ、アキラ様の身に危険が及んだ時は迷わず使いなさい」
ネックレスを受け取ったユフィは、深紅に輝く宝石をじっと見つめる。
――体内に残る魔力を一気に放出する。
それを行使すれば、自身の身がどうなるか、考えるまでもない。
だが、ユフィは一切の躊躇いを見せることなく、そのネックレスを身に纏った。




