37 忠誠
それから、トヴェルツァと名乗るようになった戸部は魔王軍の一員として各地で奮戦し、最終的に四大将軍まで引き立てられたらしい。
そんな彼の過去は、波乱と悲劇に満ちた壮絶なものだった。
話を聞き終えたエレナードは、腕を組んだまま静かに唸る。
その心境は、何とも言い表せない複雑なものだ。
特にエレナードが気にかかったのは、己の母の話だった。
「まさかアンタが私のお母様と顔見知りだったとはね……戦争に巻き込まれて人類種に殺されたってことは知ってたけど、詳しい経緯は初めて聞いたわ」
「今まで黙っていたことをお詫び申し上げます。とりわけ、リアード様の件はお傍にいた私にも落ち度があります。どうぞ何なりと、罰をお与えください」
「お母様を殺したのはテグリス王国軍なんでしょ。アンタが責任を感じる必要はないわ。どの道、私の覚えていない過去のことだしね」
正直なところ、母の最期を聞いたエレナードは、人類種に対してあらためて強い怒りや恨みを覚えるようなことはなかった。
戦いに巻き込まれたリアードは、つまるところ戦争の犠牲者だ。それは人類との決戦で戦死した父にも言える。
エレナードに限らず、戦災で不幸を被った魔物はいくらでもいる。
だというのに、その戦争を指導するエレナード自身が己の不幸だけ特別視するのは、身勝手だと感じたのだ。
だが、続くトヴェルツァの言葉にエレナードは心を揺さぶられた。
「リアード様は、心からエレナード様のことを愛し、その身を案じておりました。だからこそ、あの場で幼いエレナード様をドヴィナに託したのでしょう。リアード様は我が子の傍にいたいと願う気持ちを押し殺し、エレナード様の命を優先したのです」
エレナード自身は、母の不幸は過去の出来事だと思っていた。
だが、今亡き母の愛があったからこそ、今の自分があるのだと自覚させられると、寂しさと嬉しさが入り混じるような感情が沸いてくる。
「私のことを愛していた、か……娘としては嬉しいけど、今の私はお父様やお母様に顔向けできる魔王様になれてるかしら」
「少なくとも、私は魔王エレナード様は立派に成長なされたと思っております。なにより、インダリア帝国とその国民を敬愛する姿勢に、私は義を感じております」
義――正道とも訳せるその言葉の意味は非常に抽象的だ。
全ての魔物達が平和に過ごせる地を築くというエレナードの目標は、少なからず大義と言えるかもしれない。
むしろ、その大義は父である先代魔王の代から掲げられていたものなのだろう。
だからこそ、トヴェルツァは先代魔王に士官したのだ。
「アンタはその義に従い、私に忠誠を示している……そういう認識でいいかしら?」
「左様です。私は、人類と魔物の間に性質的な差は殆どないことを知りました。魔王エレナード様が統べるインダリア帝国には、先代魔王様から引き継がれた明確な義があります。人類だろうと魔物だろうと、私は己の義に従い今の立場を選んだまでです」
「アンタは狂戦士の精霊トヴェルツァの名を背負っていても、エルベやお母様を殺した人類に対する恨みで戦っているわけじゃない。そう言いたいのね」
「遺恨が無いと言えば嘘になります。しかしながら、先ほど申し上げた通り私は既に過去を捨てた身です。今は四大将軍トヴェルツァとして己が義に従い、魔王様に忠誠を誓う所存です」
そんな言葉に対し、エレナードは苦笑いを浮かべる。
「私の方針に義が無くなれば裏切る、とでも言いたげな口ぶりね。でも、それが部下として正しい考え方よね。アンタの働きには今後も期待しているわ。何か不満があればいつでも言いなさい」
「勿体なきお言葉にございます」
そこで二人が話を終えると、まるでタイミングを見計らったかのようにドヴィナが玉座の間に入室してくる。
もしかしたら、外で会話を盗み聞きしていたのかもしれない。
「大事な話はもう終わったかしら? 私、魔王城にいてもやることないから退屈しちゃったぁー」
エレナードは、どことなく複雑な心境で入室してきたドヴィナを見据える。
先ほどの話によると、ドヴィナは赤子だったエレナードの育児を手伝い、そしてテグリス王国軍の襲撃から救い出してくれたとのことだった。
普段は飄々として悪ふざけの過ぎるドヴィナだが、その一方で自分の知らない所で世話になっていたと知ると、少し見る目が変わってくる。
「ドヴィナ。トヴェルツァから聞いたけど、アンタは赤ん坊だった頃の私をテグリス王国軍の手から助けてくれたらしいわね。今さらかもしれないけど、あらためて感謝させて頂戴」
対するドヴィナは、申し訳なさそうに表情を曇らせて応じる。
「その話を知ってるってことは、トヴェルツァからリアードの最期も聞いたのね……直轄領にテグリス王国軍の侵入を許したのは私の落ち度よ。責められはしても、感謝される筋合いなんてないわ」
「そのことはもういいの。アンタが気にすることじゃないわ。とにかく私は、助けてもらったことに対して感謝してる。それだけのことよ」
寛大なエレナードの言葉に対し、ドヴィナは表情を和らげる。
そして、いつもの調子を取り戻した様子でクスクスと笑みをこぼした。
「それにしても、トベっちが昔のことを語るなんて意外ねぇ。赤ちゃん時代のエレナちゃんも可愛かったけどぉ、昔のトベっちも素直で可愛げがあったのよぉー」
話題に上がったトヴェルツァは、どこか呆れた様子でドヴィナに鋭い視線を向ける。
「私をその名で呼ぶなと言っているだろ。昔はお前の世話になったかもしれないが、今では私の方が序列は上だ。立場をわきまえろ」
「そう邪険しないでよぉー。昔は夜を共にする仲だったじゃない」
その言葉を聞いたエレナードは、たまらず目を丸くする。
「……アンタ達って、そういう関係だったの?」
すると、普段はクールなトヴェルツァにしては珍しく、いささか必死になってドヴィナに言葉を返す。
「あれは、お前が勝手に私の寝具に入っていただけだろう。私はお前に誘惑されたことなど一度もない」
「またまた強がっちゃってぇー。男色家でもない限り、女淫魔を意識しない男なんてそうそういないのよ。昔は私の完璧なボディに見惚れてたの知ってるんだからぁー」
「客観的に見てお前が魅力的な容姿をしていることは認めよう。だが、その魅力が内面の酷さによって地の底に落ちていることを少しは自覚した方がいい」
「ひどーい。それって言葉の暴力よぉー。エレナちゃんも何とか言ってやってぇー」
二人の言い争いを聞いていたエレナードは、たまらず声を漏らして笑みを浮かべる。
「フフ、アンタ達って実は結構お似合いかもね」
そんな言葉に対し、トヴェルツァはバツが悪そうに視線を落とすことしかできなかった。




