35 トヴェルツァの過去2
エルベの死後、戸部は反逆者鎮圧の功績で更に地位を上げることになった。
だが、エルベの死をもって得た地位など、戸部にとっては皮肉以外の何物でもなかった。
その後、国内を平定したテグリス王国は、魔王討伐に一層尽力するようになる。
そして戸部は、魔王討伐軍の編成に当たり、国王から『勇者』の称号を授かった。
勇者とは、代々魔王を討つことを目標に戦う者へ与えられる称号だ。
つまり戸部は、戦いの最前線に立ち勇者として魔王を討てと命ぜられたのだ。
しかしながら、その実態は厄介払いのようなものだった。
国王はエルベの一件で戸部が国に対して懐疑心を抱いていることを見抜いており、あえて熾烈な戦いに送り込むことで本国から戸部を遠ざけようとしたのだ。
だが、戸部はその命に逆らわなかった。
復讐心で反乱を起こしたところで、再び戸部とエルベが辿ったような不幸を招くだけだと理解していたからだ。
エルベは争いを嘆き、命を絶った。それでも戸部は、戦うことしかできない。
ならばせめて、平和のために戦おう。
それが、失意の中で見いだされた境地だった。
それから戸部は、魔王軍との戦いに粛々と身を投じた。
まるで死に場所を求めるかのように、自ら進んで激戦地へと赴いた。
そして、戸部の率いる部隊は、遂にインダリア帝国の本拠地である魔王城まで手が届いた。
戸部の目的は魔王の討伐だ。
少数精鋭の斬り込み隊を編成した戸部は、勢いのままに魔王城へと乗り込んだ。
だが、それはあまりに無謀な戦いだった。
全ての仲間を失い、単身となった戸部は満身創痍になるまで戦い続けた。
そして、魔王の下へと辿りついた頃には、全ての魔力を使い果たし、もはや戦う力は残されていなかった。
既に死ぬ覚悟を決めていた戸部は、魔王の姿を拝んだところで遂に膝を折る。
禍々しい角と羽を生やし、装飾に凝った漆黒の鎧を纏うその姿はまさに魔物の王たる貫録がある。
だが、戦意を喪失した戸部を前にして、魔王はとどめを刺そうとはしなかった。
「どうした……さっさと殺せよ」
深紅の瞳を鋭く細めた魔王は、玉座で足を組み、落ちつき払った態度で応じる。
「なぜ、貴様はそこまでして戦う。脱出する機会はいくらでもあったはずだ。まるで、私に殺してほしいような口ぶりじゃないか」
「ああそうさ。もはや俺が生きている意味はない。お前の顔を拝めたことが、冥土の土産だ」
「生きている意味がない、か……時に聞くが、貴様はその命に替えて我々を討たんとしている。では、貴様らに討たれるべき存在である我々は、果たして生きる意味がないのだろうか?」
「何の話だ」
「単純な話さ。我々魔物に生きる意味はあるのか……私はあると考える。なぜなら、我々も貴様らと同じくこの地に生を受けた存在だからだ。我々が人類に害を成すというのは、貴様らの一方的な言い分だ。むしろ、我々に害を成しているのは貴様ら人類の方とも言える。立場は同じと言うわけだ」
「だからどうだって言うんだ」
「なに、私見を述べたまでのことだ。貴様は、どこか他の人類種より物分かりがよさそうだったものでね……そこで相談だが、貴様がこの場で命を捨てると言うのならば、私にその命を預けてみる気はないか?」
それは、戸部にとってあまりに意外な提案だった。
魔王の意図は一切わからない。
だが、その言葉はどこか筋が通っている気がした。
戸部は今まで、漠然と魔物達と対峙していた。
魔王の言う通り、元を辿れば魔物も人類種と同じ生き物でしかない。
日本出身の戸部は、魔物は悪しき存在であるというこの世界の価値観に捕らわれることなく、そういった物の見方をすることができた。
だとしても、魔物が村や町を襲い、人々を不幸にしている事実に変わりはない。
たとえ魔物達が生きるためにそういった行為をしているのだとしても、魔物がいなくなれば人類に平和が訪れるのは事実だ。
「魔物はただの獣とばかり思っていたが、存外に面白いことを言うんだな……だが、俺は人間だ。何を言われようと、魔物の敵であることに変わりはない」
「まあそう言うな人類種よ。この場で潔く死ぬくらいなら、我々がどういった存在なのか、その目で確かめてみてからでも遅くはなかろう。こうなれば、貴様の意思は問わん。その命、預からせてもらうぞ」
そう告げた魔王は、近くにいた部下の一人を呼びつける。
「ドヴィナ。この者の世話をお前に任せる。しばらく面倒を見てやれ」
「はいはーい。魔王様から直々にオモチャをいただけるなんて光栄だわぁー。それじゃ、お言葉に甘えて私のペットにさせてもらうわね」
「手出しはするな。とりあえず、お前の領地で魔物達の生活でも見せてやるといい」
魔物達の間でそんな会話が交わされ、戸部は不本意ながら魔王軍幹部ドヴィナの管理下に置かれ延命することになった。
囚われの身となった戸部は、最初こそ食事を拒否して餓死してやろうかと思ったが、魔王の言っていた言葉が頭の奥にひっかかっていた。
――我々魔物に生きる意味はあるのか。
今さら命は惜しくない。
それでも、魔王の告げた言葉への些細な興味が、戸部を生きながらえさせた。
その後、拘束された戸部は魔王城を離れ、ドヴィナの直轄領地内にある集落のような場所に連行された。
森林に囲まれた自然豊かなその地で、戸部は初めて平穏に暮らす魔物達の姿を目の当たりにした。
人を襲うというイメージしかないゴブリンやオークといった亜人の魔物達は、知能こそ低いようだが、その生態は人類種とほぼ同じだった。
繁殖と生活のために家族を構成し、基本的には農業や狩りで生計を立てる。
教育や職業といった概念もあり、そこにはコミュニティーが存在していた。
そして何より、彼らが喜怒哀楽といった『感情』を持っていることに、戸部は驚かされた。
魔物の多くも亜人の一種なので、考えてみれば当たり前のことかもしれない。
だが、今まで凶暴な敵としての魔物としか遭遇してこなかった戸部にとって、彼らが人類種と同じように振る舞っていることが、信じられなかったのだ。
たった数日間、魔物達の生活を観察しただけで、戸部は魔王の言っていた言葉の意味について考えさせられるようになった。
そんな時、戸部はこの地で再び運命的な出会いを果たす。
その人物は、ドヴィナに連れられた戸部が魔物達の生活を見物している時に姿を現した。
「あらドヴィナ。その人、人類種よね? 一体どうしたの?」
そう告げて戸部の前に現れたのは、小さな赤子を抱いた若い女性だった。
流れるような赤毛に、慎ましい佇まい。戸部は、その容姿に見覚えがあった。
「ご機嫌ようリアード。今日はエレナードちゃんとお散歩? こんなに天気がいいものねぇ。たまにはお日様を浴びないと」
「フフ、そうね。いっぱいお日様を浴びて、この子には元気に育ってもらわないと」
驚く事に、リアードと呼ばれる彼女の容姿は耳が長いという点を除いて、非業の死を遂げたエルベ嬢に酷似していた。
しかも、ドヴィナの話によるとリアードは魔王の正妻らしい。
元々エルフ族の姫君だったリアードは、インダリア帝国とエルフ族の同盟の証として魔王の下に嫁いできたそうだ。
つまり、胸に抱えた小さな赤子は、魔王の娘ということになる。
それを知った戸部は、魔力の回復している今なら魔王の妻と子を手にかけることができると咄嗟に思った。
だが、愛おしそうに我が子を抱きしめるリアードを前にして、戸部は行動を躊躇った。
慈愛に満ちた優しげなリアードの振る舞いに、戸部はエルベの姿を重ねてしまったのだ。
そんな彼女と出会い、戸部はますますわからなくなった。
魔物達だけでなく、魔王にすら愛すべき家族がいる。
彼らと人類種の違いは一体何なのか。
結局、戸部はその答えを出せぬまま、魔物達と生活を共にすることになった。




