34 トヴェルツァの過去1
トヴェルツァこと戸部荒は、平成の日本に生まれた、ごく普通の青年だった。
家柄は中の上で、家族仲や友人関係といった縁にも恵まれ、それなりに幸せな日々を送っていた。
そんな戸部は高校を卒業し大学に進学した年に、突如として難病を患った。
現代日本の医学をもってしても回復の見込みが薄い、死の病だ。
それは、平穏な人生を歩んできた一人の若者にとって、あまりに唐突で、理不尽な出来事だった。
そして、若くして死の淵に立たされた戸部は、闘病の甲斐なく発病からものの二年でこの世を去った。
だが、その早すぎる死こそが、戸部の迎える第二の人生の始まりでもあった。
「俺はまだ、生きてる、のか……?」
病室で命を絶ったはずの戸部は、いつの間にか奇妙な祭壇の中心に立たされていた。
そして、戸部の目の前に現れた漆黒のローブを纏う奇妙な男は、感極まった様子でこう叫んだ。
「遂に成し遂げたぞ……我が悲願は叶った! 救世主の誕生だ!」
その男は、テグリス王国で秘密裏に組織された魔術師集団の責任者だった。
彼らは、以前から生贄を用いて器となった人物に膨大な魔力を注ぎこむ研究を続けており、戸部こそが最初の完成品だった。
だが、そんな事情は戸部にとってどうでもいいことに思えた。
なぜなら、若くして病死した戸部にとって、健康な肉体と共に新たな生を授かったことが何よりの幸運に思えたからだ。
それから戸部は、自身を転生させたテグリス王国の提案に従い、兵士として生きる道を選んだ。
その頃からテグリス王国は勢力を拡大しつつある魔物の国――インダリア帝国と一進一退の攻防を続けており、戦力はいくらあっても足りないというのが現状だったのだ。
一介の兵士となった戸部は、最初こそ文化や環境の違いから多くの戸惑いがあったが、転生の儀によって肉体を強化された恩恵で、申し分ない実力を発揮した。
そして、優秀な戦士としての頭角を現しつつあった戸部は、後の運命を左右する一人の女性と出会うことになる。
それは、戸部が王都の兵練場で普段通り訓練に励んでいる時のことだった。
「アナタが、噂のトベ様ですか? 噂通り、とてもお強いんですね」
そんな言葉と共に戸部の前に現れたのは、地方領主の娘であるエルベという女性だった。
父の命で地方から王都に越してきたエルベは、奇遇にも王都見物のさ中に噂の転生者戸部と出会い、声をかけてきたのだ。
その時の戸部は、特に意識することなくエルベとの会話に応じた。
貴族令嬢であるエルベは淑やかで気取らない美しさを持つ魅力的な女性だったが、一介の兵士でしかない戸部にとっては、違う世界の住人でしかなかったからだ。
それでも、ふとした会話からエルベが告げた言葉に、戸部は親近感を抱いた。
「トベ様は、たった一人でこの地に生を受け、寂しく感じることはありませんか? 私は、家族と離れたこの地での生活が、どこか心細く感じます」
エルベの言う通り、身内の存在しない転生者の戸部は孤独だ。
戦友という仲間はいたが、真に心を許せるような友人は一人もいない。
だからこそ、同じ孤独という立場を共有できるエルベとの出会いは、戸部にとって喜ばしい縁となった。
その後も、戸部とエルベは何度か顔を合わせる機会があった。
最初は何気ない会話を交わす程度だったが、孤独を共感する二人が交友を深めるまで、さして時間はかからなかった。
そんなある日、魔王軍との戦いで多くの戦功を挙げていた戸部は、ほんの些細な油断から深手を負ってしまった。
命に別状のある怪我ではなかったが、戦線を離脱した戸部は王都へ帰還し、一時的に療養を行うことになった。
すると、そんな戸部の下に、血相を欠いたエルベがすぐさま飛び込んできた。
ベッドに横たわる戸部の前で、エルベは堰を切ったかのように泣き崩れ、その身に縋りついた。
心配したと何度も呟き、とめどなく涙を流した。
戸部はエルベを心配させたことを申し訳なく思う反面、本音を言えば嬉しく思えた。
なぜなら、エルベの見せた悲しみこそが、戸部に対する想いの強さなのだと知ることができたからだ。
戸部は、そんなエルベの想いに心を打たれた。
己の身を心から案じてくれるエルベを、心底愛おしく思った。
だからこそ、戸部は涙を流し続けるエルベを抱きしめた。
体を寄せ合う二人の間に言葉は必要なかった。互いの腕に込めた力の強さが、そのまま想いの強さとして伝わっていた。
そして、戸部はエルベにこんな約束をした。
「いずれ俺は、エルベの隣に立てるような、立派な戦士になる。それまで、もう少しだけ待っていてほしい」
そんな言葉に対し、エルベは宝石のような瞳に涙を溜め、大きく首を振って応じた。
「私のために戦う必要はありません。私はただ、アナタの傍にいられれば、それでいいんです」
エルベの願いは、ひたすら純粋なものだった。
その一方で、貴族令嬢であるエルベは身分に縛られている。
だからこそ、戸部はエルベと結ばれるために、戦勲を求めて戦うという道を選んだ。
今まで漠然と戦いに身を投じていた戸部は、エルベと出会ったことで新たな戦う目的を得たのだ。
だが、そんな二人は悲劇的な運命を辿ることになる。
そのきっかけは、地方領主であるエルベの父が、テグリス王国から独立を目論んでいるという噂が立ったことに始まる。
事態を重く見た国王は、すぐさまエルベの父を更迭すると宣言したのだ。
当然ながら、エルベの父はその宣言に従わず、結果的にエルベの故郷である地方領はテグリス王国から独立し、無益な内乱へと発展した。
そんな中、エルベと交友を持っていた戸部にも裏切り者の嫌疑がかけられた。
国王は、戦士として優秀な戸部が反政府側へ下ることを恐れたのだ。
そこで国王は、裏切り者の娘であるエルベの処遇をちらつかせ、戸部にこう迫った。
「兵を率いて裏切り者を討て。さすれば、娘は貴君の自由にさせよう」
それは、あまりに残酷な要求だった。
エルベは、離れて暮らす家族を心から慕っていた。
戸部と共に過ごしている時も、エルベは故郷で家族と共に過ごした思い出を懐かしそうに語っていた。
そんな地へ戸部が兵を進めれば、エルベがどう感じるか。考えるまでもないことだ。
その一方で、戸部はエルベの父に怒りを抱く部分もあった。
エルベの父が独立を目論まなければ、こんな不幸は起きなかった。エルベの身に危険が及ぶこともなかった。そう感じていたのだ。
結局、戸部は兵を率いてエルベの故郷に進軍した。
それがエルベに対する裏切りになったとしても、エルベの身を守るためには、そうするしかないと判断したのだ。
そして、順調に勝ち戦を重ねた戸部は、エルベの実家がある地域まで敵を追い詰めることに成功した。
だが、そんな戸部の下に最悪の知らせが届いた。
「トベ様! 王都にて幽閉されていたエルベ様が、自害されたとのことです!」
理由は単純だった。
エルベは、己が人質になったことで想い人の戸部と大切な家族が矛を交える結果になったことを嘆き、自らその身を断ったのだ。
戸部は絶望と後悔の淵で、己の浅はかさを呪った。
エルベのためを思って兵を進めたという選択が、結果的にエルベを追い詰めてしまったのだと、今さらになって理解したのだ。
それは、互いの想いが生んだ、悲劇としか言いようのない結果だった。
その後まもなく、エルベの父はテグリス王国側に投降した。
そして、エルベの父は事の真相を戸部に語った。
エルベの父が独立を目論んでいたという話は、権力闘争の末にでっちあげられた陰謀だったのだ。
元より彼は国王から疎まれており、王都に住まわされていたエルベは、言わば人質だった。
そして、エルベとその家族は、権力闘争の犠牲者となった。
その事実を知った戸部は、再び孤独となり、誰も信じることができなくなった。




