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31 辛勝

 日の出と共に始まった一大会戦は、日暮れとほぼ時を同じくして終結の様相を見せた。

 テグリス王国及び諸国連合軍の大部分は、既に主戦場から離れた地へ撤退を終え、魔王軍も追撃を断念して引き返しつつある。


 概ね采配を終えたエレナードは、野戦軍司令部のテント内で友軍の被害報告と戦果報告に耳を傾けつつ、力の抜けた人形のように椅子へ腰を下ろす。

 エレナードは、指揮官という立場で丸一日かかった会戦を戦い抜いた。

 戦闘に参加したわけではないが、長時間の部隊指揮に伴う肉体的、精神的疲労は想像以上だ。


 疲労困憊といった様子のエレナードは、水で濡らした布を目に当てながら今日の結果を頭の中で振り返る。

 結果的に、今回の会戦は人類連合軍の侵攻意思を挫いたという意味で、魔王軍の勝利となった。

 加えて、最終局面でエレナードが画策した敵の釣り出し作戦と執拗な追撃は十分な効果を挙げ、敵に甚大な被害を与えたことは間違いない。


 だが、魔王軍も魔物五千体を喪失するという、手痛い被害を被っている。

 そのうち二千体が、勇者の放った一発の爆炎魔法による犠牲だと考えると、非常に理不尽な損害だ。


 しかも、戦いはこれで終わりではない。

 複数国で団結した人類は、再び連合軍を編成して圧倒的兵数で立ち向かってくるだろう。

 その時が訪れれば、いかに劣勢であろうと勝利しなければならない。さもなくば、インダリア帝国は人類の手によって滅ぼされてしまう。


 それを考えると、勝利を得た今この瞬間でも、エレナードはどこか心が休まらない気がした。


「それにしても、お父様は本当に凄いわね。こんな厳しい戦いにいつも勝ってたんだから」


 ポツリと呟かれたエレナードの言葉に対し、傍らに立つエニセイは高揚した様子で応じる。


「ええ、それはもう! 先代魔王様はいくさの采配もさることながら、ひとたび戦場に出れば一万の大軍が相手でも軽く蹴散らしておりました。その姿は、もはや神々しいほどで……」


 そこまで言いかけたところで、エニセイは自身の発言が失言だったことに気付く。

 なぜなら、戦闘でも活躍した先代魔王の話は、部隊指揮だけを行うエレナードに対する当てつけのようになるからだ。


 それを察したエレナードは、気を悪くした様子も見せず、ぼんやりと呟く。


「戦場に出れば一万の大軍が相手でも、か……私も魔力には自信があるけど、そんなことができるかしら。私が勇者くらい強ければ、もっと戦いが楽になるんだけど」


「ももも、申し訳ございません! 決してそのような意味では……」


「別に気にしてないわよ。私が力不足なのは事実なんだし。そのうち、誰かに稽古でもつけてもらおうかしら」


 二人がそんな会話を交わしていると、テントの入り口から大きな人影が姿を現す。

 腰をかがめて顔を覗かせたのは、戦闘を終えて帰還したヴォルガだ。


「四大将軍ヴォルガ、ただいま帰投しました」


 エレナードは顔にあてた布を取り、とりあえず労いの言葉でもかけてやろうとする。

 だが、満身創痍となったヴォルガの姿を見たとたん、驚いた様子で椅子から飛び上がり、ヴォルガの下に駆け寄っていった。


「ちょっとアンタ、すごい怪我じゃない! どこか楽にできる場所を……ああでも、テントの中じゃ狭いし……ちょっと外に出なさい!」


「いえ、己はこの程度、なんてことは……」


「いいからっ!」


 無理やりヴォルガを外に連れ出したエレナードは、夕陽に染まる草地に巨体を座らせ、上半身の鎧を無理やり脱がせていく。


「己が自分で外しますので、そこまでは……」


「アンタは黙ってなさい! 右肩は、骨が折れてるのね……それに火傷やけども酷い。でも、これくらいなら治癒魔法でなんとか……」


 ヴォルガの背後に回ったエレナードは、両手で浅黒い大きな背中に触れ、すぐさま治癒魔法を行使する。

 すると、傷は次第に癒えていったが、当のヴォルガは焦った様子で声を上げた。

 

「エレナード様! あまり魔力を使うと疲労してしまいます! 己なんぞのために体力を使う必要はありません!」


「バカっ! 大怪我してるのに私の心配なんかしてんじゃないわよ! 私が出撃を命じたせいで、こんな大怪我したんだから……」


 絞り出すように叫んだエレナードは、大きな背中に額まで押し付け、ただひたすら治癒魔法をかける。

 しばらくするとヴォルガの傷は殆ど癒えたが、それでもエレナードはヴォルガの背中から体を離さなかった。


 小さな温もりを背中に感じるヴォルガは、複雑な心境で静かに呟く。


「申し訳ありません。己がもっと強ければ、エレナード様にいらぬ心配をかけずに済むのですが」


「違う……戦争をするから、誰かが死んで誰かが傷つくのよ。私のお父様だってそう。どんなに強くったって、戦いを続ければいずれみんな死んじゃう。私にだって、それくらいのことはわかってる……」


 そう呟いたエレナードは、まるで父に縋る子のようにヴォルガの背中に手を這わせ、言葉を続ける。


「私、今でも父様が死んじゃった日のことを夢に見るの。最初は信じられなくて、それでも凄く悲しくて、寂しくて、一人で泣き続ける夢を……」


 その告白を聞いたヴォルガは、先代魔王が亡くなった日のことを思い出す。

 あの時、エレナードは部下達の前で殆ど涙を流さなかった。

 最初こそ取り乱していたが、葬儀では毅然と振る舞い、魔王就任宣言の際は堂々とすらしていた。


 だが、ヴォルガだけは知っている。

 エレナードは、父が死んでから何日経っても悲しみに暮れ、涙を流し続けていた。誰も訪れない魔王城の屋上で、とめどなく涙を流し続けていた。

 そんなエレナードを慰めることができたのは、普段から父親代わりとなってエレナードの傍にいた、ヴォルガだけだった。


 今なら、いかに鈍いヴォルガとて理解できる。

 エレナードは、ヴォルガの死を恐れている。今亡き父親に、ヴォルガの姿を重ねているのだ。

 だからこそ、エレナードは唐突に弱音のような告白をしたのだろう。


 そんな気持ちを汲んだヴォルガは、静かに、それでも力強く言葉を返す。


「己は死にません。なぜなら、エレナード様に永遠の忠誠を誓ったからです」


「バカ。そんなことで死なずに済むなら、わけないじゃない……でも、アナタがそう言うなら、もっと、ちゃんと誓って。お爺ちゃんになってよぼよぼになるまで死なないって、私に誓って……」


 そんな言葉に対し、ヴォルガはクスリと笑みをこぼす。

 自分より先に死なないでと言わない辺りが、エレナードの現実的な所だ。

 だが、そんな現実的な所も、ヴォルガから見たエレナードの魅力でもあった。


「何笑ってんのよ」


「いえ、申し訳ありません。では、このままで失礼いたします」


 そう告げたヴォルガは、以前誓いを立てた時よりも軽い調子で言葉を続ける。


「己ヴォルガは、老衰して果てるまで、この身を捧げ、魔王エレナード様に永遠の忠誠を誓います……これでよろしいでしょうか?」


「フフ、ありがと。やっぱりアンタは、私にとって……」


 その続きで、エレナードは「父親代わりみたいなもの」と言おうとした。

 だが、あえてそれは言わなかった。


 なぜなら、エレナードは魔王であり、ヴォルガはその部下だから。

 たとえどんなに愛着を感じていても、ヴォルガは父親代わりにはなりえない。それを理解するエレナードは、喉まで出かかった気持ちを胸の中にしまい込む。


 それでも、今この時くらいは、ヴォルガに甘えていたかった。

 静かに目を閉じたエレナードは、黒々とした大きな背中へ頬を擦り寄せる。

 雄々しく立派なその背中は、父親と同じ匂いがする気がした。

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