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もしも異世界の魔王様がクラウゼヴィッツの『戦争論』を読んだら  作者: 八十八
第1章 魔王エレナードが始める大戦略
3/76

3 数の優位

 大見得を切っていささか気恥ずかしくなったエレナードは、「こほん」とわざとらしく咳払いをして話を戻す。


「それじゃ、まずは現状を詳しく分析しましょ。ヴォルガ、詳細を説明して頂戴」


 促されたヴォルガは、地図上に置かれた駒を使って戦況を説明する。


「敵は人類種ヒューマンの統治する数カ国で構成された連合軍で、現在は北部、南東部、南西部の三方から我が国に侵攻を企てております。対する我が軍は、主力を三部隊に分散させ、それぞれ敵を迎撃している状態です」


「敵との戦力比はどうなってるの?」


人類種ヒューマンの各軍は数万規模と予想され、対する我が軍はそれぞれ三、四千程です。しかしながら、我が軍には魔王軍幹部を始めとする精鋭がおりますので、劣勢ながらなんとか敵の侵攻を押しとどめております」


「とは言え、いずれ数に押されるのは目に見えてるわ……とにかく、今は戦力の集結が最優先ね。ならば、我が軍が取るべき戦略はひとつよ」


 そう告げたエレナードは、両腕を組んで堂々と最初の決断を下す。


「全軍を即時撤退させなさい」


 その発言に対し、食堂はどよめきに包まれる。

 それもそうだろう。国を勝利へ導くと豪語したエレナードが、いきなり敗者の戦略である撤退を指示すれば、困惑するのは当然だ。


 そして、最初に言葉を返したのはヴォルガだった。


「エレナード様! いかに劣勢とは言え、いきなり撤退というのは……」


「何か問題ある?」


「今、我が同胞は敵の侵攻を防ぐべく奮励ふんれい努力して戦っております。それをいきなり退けと命ぜられれば、彼らは何のために戦っていたのか疑問に思い、士気の低下を招きます」


「じゃあアンタは、退くくらいなら全員その場で討ち死にした方がマシって言いたいわけ?」


「そ、それは……」


 そもそもエレナードは、撤退を提案すれば反発を招くことくらい、最初からわかっていた。


 撤退とは、降伏を拒む敗者がとれる唯一の戦略だ。だからこそ、敵に撤退という選択をとらせた者は勝者となる。

 だが、発想を転換すればこうも考えられる――()()()()()()()退()()()()()


 それは、不利な戦いでの無駄な消耗を避け、新たに有利な状況を見いだすために撤退が必要な行為だからだ。

 ならば、敵に無理やり撤退させられるのではなく、新たに有利な状況を作り出す見込みのある自発的な撤退は、有効な戦略となりうる。


「それじゃあ、何で私が撤退という決断を下したのか、アンタ達に教えてあげるわ」


 そう切り出したエレナードは、鋭い視線をヴォルガに向ける。


「ヴォルガ。戦いにおいて、勝敗を左右する最も大事な要素は何か答えなさい」


 そんな問いに対し、ヴォルガはしばし間を空けてから恐る恐る答えを出す。


「勝利の信念でしょうか……」


「ちっっっがーーーーーーーーーーうっ!!!」


 声を荒げたエレナードは再びテーブルを殴打する。


地球アースにあったエンペラーオブジャパなんとかって国もそんなこと言ってたみたいだけど、勝利の信念だけで勝てたらアンタ一人で一万の大軍に勝てんのよ! 現実はそんなことないでしょ!」


「お、己はたとえ一万の兵が相手でも引きはしません」


 ヴォルガの脳みそが筋肉で構成されていることを確信したエレナードは、頭を抱えつつ大きなため息を吐く。


「いい? たとえば、アンタ一人で一万の兵士と渡り合えたとしても、仮にアンタが一万人いれば、もっと楽に勝てるでしょ。つまり、戦いにおてい最も重要な要素は、戦力差……つまり単純な数の力よ」


「なるほど……」


 とりあえず息を落ち着けたエレナードは、気を取り直して話を続ける。


「それで、各方面での戦力比は概算で四倍以上……戦力比に関する計算式は色々とあるけど、基本的に二倍以上の敵に勝利するのは困難だとされているわ」


「しかし、これ以上の動員が叶わない以上、戦力差は埋めようがないかと……」


 エレナードはチッチッチと舌を鳴らし、不敵な笑みを浮かべる。


「だからこそ、撤退が必要なのよ。今、各方面に散った友軍を一箇所に集結すれば、とりあえず一万以上の戦力を形成できるわ。そうすれば、敵の一方面軍と対等に渡り合えるようになるでしょ」


「しかし、敵も同じく戦力を集結させれば戦力比は元に戻ります」


 その点はエレナードもしっかりと考えている。


「敵は数カ国で構成された連合軍なんでしょ? 仮に戦力を集結しようとしても、誰が指揮を取るか、どんな役割を担うかみたいな話で絶対にモメるわ。それに、魔王討伐の功績は相手を出し抜いてでも勝ち取りたいはず……私達が撤退すれば、それを好機と見たバカが絶対に先走るわ」


「つまり、撤退により戦力を集結させた我が軍は、まずもって先走ってきたバカ共を叩けばよいと」


「あら、アンタも脳みそ全部が筋肉ってわけでもないようね」


 脳みそ筋肉と言われ露骨にショックを受けたヴォルガは、「むふぅ」と鼻から息を吐いて視線を落とす。

 そんなヴォルガをよそに、講釈を終えたエレナードは声を張り上げて部下達に指示を下す。


「とにかく、今は全軍撤退よ! もちろん、チンタラ帰ってくるだけじゃダメ。撤退中に残った家屋や資材は全て焼き払い、橋を落とし、井戸を埋めて大地を焦土としなさい。敵の侵攻を少しでも遅らせるのよ! アンタらはさっさと撤退の指示を各軍に伝えなさい!」


 エレナードに指示された部下達は一目散に飛び上がり、蜘蛛の子を散らしたようにその場を後にする。

 だが、ヴォルガだけは落ち込んだ様子でその場に佇んでいた。


「ヴォルガッ!!!」


 エレナードに叱責されたヴォルガは、巨体をびくりと震わせて威勢よく返事をする。


「は、はいッ! 己は何を……」


「アンタはとりあえず、各地に散った幹部達をこの城に呼び戻しなさい。それと、集結した戦力の再集計、部隊の再編成、補給の段取り……とにかく、やることは山のようにあるわ。落ち込んでる暇があったら、その脳みそが筋肉でないことを行動で示しなさい!」


「お、仰せのままにっ!」


 そんな調子で、エレナードの采配は徐々に魔王軍へと浸透していった。

<焦土作戦>


 焦土作戦とは、撤退時にその土地に残された軍事施設を始め、家屋、交通網、農地、水源、橋といった、敵が利用可能できそうな全ての物を破壊することで敵の侵攻を遅らせる停滞行動の一種である。残虐非道ではあるが、進軍する敵に物質的・精神的に大きな枷を与えることができるため、古代から現代にわたり様々な戦場で行われてきた。

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