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26 大戦略

 ドヴィナが勇者アキラに敗北したという一報は、野戦軍司令部に詰めるエレナードの下にも入っていた。


「ドヴィナがやられた!? それでドヴィナは無事なの!?」


 戦略図から顔を上げて焦燥するエレナードに対し、報告を受けたエニセイはおずおずと詳細を告げる。


「一応、命に別状はないようですが、かなりの深手を負った模様です。戦線離脱は致し方ないかと……」


「だから無理するなって言ったのに……勇者は魔力を使いきったって話だけど、それでもドヴィナが勝てないなんて、やっぱり相当の実力者ね」


 そんな言葉にヴォルガが応じる。


「あのドヴィナのことだ。相手が弱っていると思い込み、油断したのでしょう。戦闘は己らに任せておけばいいものを……」


 ヴォルガの手厳しい言葉に、エレナードは苦笑いを見せる。


「まあ、命だけでも助かってよかったわ。後で勇者のことについてよく聞いておきましょ。いずれ、対策を立てなきゃいけないし」


 話を切り上げたエレナードは、再び作戦略図に視線を落として部隊指揮を再開する。


「とりあえずドヴィナは戦線離脱っと……一応、敵の本陣は混乱中のようだけど、前線の連中が退く気配はないわね。どうにかして敵を総崩れにしないと……」


 そう告げるエレナードは、既に即席の作戦を脳内で構築済みだ。

 しかし、その作戦が成功するかどうかは、実行してみなければわからない。


 いくら本を読んだところで、その知識はあくまで()()()にしかならない。

 勇者のようなイレギュラーが現れるかもしれない。敵や味方が思うように動かないかもしれない。全ては戦場の霧の中だ。


 だが、多くの書物はエレナードに知識を与えてくれた。抗うための勇気を与えてくれた。魔王としての矜持に気付かせてくれた。

 今こそ、それら全てを遺憾なく発揮する時だ。


 静かに息を整えたエレナードは、目を見開いて卓上の戦略図に全神経を集中させる。


 戦況はこうだ。

 最初の電撃作戦により、総数三万を超える人類連合軍の横隊は右翼と左翼に分断された。

 先に攻撃を集中させた右翼は戦意を喪失しつつあるが、左翼の敵は健在だ。


 対して、魔王軍は敵右翼の背後に回った第一師団を除き、残る全ての部隊が敵横隊の中心部に集中している。加えて、その数は一万に満たない。


 こうなってくると、『戦争論』において最も強調される『戦力の集中』という教義はあまり意味を成さなくなってくる。

 戦力の集中は戦いの基本だが、集中した戦力で敵に有効な打撃を与える策がなければ、結局は数と数の戦いに持ち込まれてしまうからだ。


 『戦争論』は非常に参考になる書物だが、その理論が完璧というわけではない。

 特に、『戦争論』について批判的な意見を記したリデル・ハートの著書『戦略論』では、力押しによる正面攻撃は避けるべきとして、こんな言葉を記している。


――相手が油断していないうちは、兵力を攻撃に投入すべきではない。


 つまり、敵が混乱していたり、油断していたり、撤退していたりと、統率を失った状態にあるときに攻撃を仕掛けるのが、最も効果的であるという格言だ。


 敵が多勢なら、まずはその統率を完全に瓦解させる必要がある。

 これで方針は固まった。


「エニセイ。私の指示をリアルタイムで各部隊に伝えなさい。その間、全軍から寄せられる報告も逐次私に伝えて」


「はっ、はい! 仰せのままにっ!」


 びしっと背筋を伸ばしたエニセイに対し、エレナードは矢継ぎ早に指示を下す。


「まず、敵から一番遠い第四師団を撤退したと見せかけて、南部に転進させなさい。なるべく敵の左翼を誘いだせるよう、敗走したフリをするのよ。その間、第三師団はあえて攻撃の手を緩め、敵の目を第四師団に向けさせなさい」


 今、最優先で阻止すべきは、左右に分断した敵の合流だ。

 敵の右翼部隊は敗勢下にあるが、左翼の援軍が来たとなれば息を吹き返してしまうだろう。

 もちろん、敵側もそれを理解していると考えた方がいい。

 策を巡らせるのであれば、入念さが必要だ。


「敵中に潜り込んだサキュバス達には、空中偵察をする魔女ウィッチに化けて虚言を流布させなさい。左翼の敵には右翼部隊が撤退したと言いふらし、右翼の敵には左翼部隊が撤退したと言いふらすの。これで、敵は合流が間に合わなかったという心理になるわ」


 情報の錯綜する戦場で、虚言は非常に有効な策略だ。

 特に、人類が魔物のフリをするのは困難だが、こちらには人類になりきれる魔物がいる。これを活用しない手はない。

 後は、味方の立て直しだ。


「次に、第一師団は敵右翼を圧迫しつつ、損害を受けた第二師団と合流して戦力の立て直しを図りなさい。爆炎で被害を受けた味方達を勇気づけてあげるのよ」


 これで、第四師団の抜けた中央部の戦力は、ある程度厚みを維持することができる。


 陸軍への指示を出し終えたところで、次は空軍だ。

 エレナードはアムールを映し出す共鳴水晶に向き直り、直接指示を下す。


「アムール。空軍は、なるべく戦力を集中させて一番戦闘が激しそうな場所を支援してあげなさい。森の中に降下すれば、敵味方の区別はつくでしょ」


 すると、アムールは不敵に微笑み何か考えがあるようなそぶりを見せる。


『ひとつ提案なのですが、まず斥候を森の中に降下させて敵の位置を探り出し、その地点へブレスを吐き印をつけ、スライムを投下するというのはいかがでしょう。こうすれば、木々に隠れた敵に対しても効果的なスライム爆撃が可能です』


 その提案にエレナードもニヤリと口を歪める。


「さすがアムール、ナイスアイディアね。攻撃方法は任せるわ。敵魔女ウィッチの妨害は大丈夫なの?」


『魔法の力を借りねば空も飛べない人類種ヒューマン共など、我の敵ではありません。今や制空権は我が手中にあります』


 味方が制空権を確保しているのは心強い。

 徒歩で移動し敵や地形に阻まれる陸軍部隊と違い、障害物のない空を移動できる空軍は柔軟かつ迅速な作戦行動が可能だ。

 有効に活用しない手はないだろう。


「だけど、ドラゴンやワイバーンは貴重なんだから無理しちゃダメよ。手の届かない空からじわじわと敵にプレッシャーを与えてやりなさい」


『仰せのままに』


 アムールとの通話を終え、一通り初動の指示を終えたエレナードは椅子にもたれて一息つく。


 命令を下してから、戦況が動き報告がもたらされるまでの間は、非常にもどかしい時間だ。

 エレナードはどうにかして落ちつこうと努力するが、羽や尻尾がそわそわと動いてしまう。感情が昂ぶると尻尾がうねうねとくだを巻いてしまうのは、昔からのクセだ。


 そして、そんなエレナードより、もっとそわそわしている人物が傍らに立っている。


「あの、エレナード様……己への指示は……」


 そう告げたヴォルガは、何かをせがむように巨漢をくねくねと揺らす。

 その姿をため息交じりに眺めたエレナードは、呆れたような苦笑いを見せて言葉をかけてやった。


「ホント、アンタってわかりやすいわね。そんなに体を動かしたいなら、出撃準備でもしてなさい。焦らなくても、ちゃんとアンタには活躍の場を用意してあげるわ。なんてったって、アンタは魔王軍の切り札ですもんね」


 そんな優しげな言葉に対し、ヴォルガはすこぶる威勢の良い返事で応じた。

――相手が油断していないうちは、兵力を攻撃に投入すべきではない。


リデル・ハート『戦略論』より

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