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22 エレナードの決意

 その後、報告を集約したエレナードは、勇者の放った爆炎魔法による被害とその後の戦況を大よそ把握することができた。


 まず、敵の横隊を分断しつつ戦線を支えていた第二師団は、主力の半数近くが爆炎に巻き込まれ、戦闘能力をほぼ喪失してしまった。

 現状はその間を埋める形で第三、第四師団が敵の分断を続けているが、第二師団が壊滅したことで大幅な士気の低下を招いている。


 一方で、一点突破により敵の裏側に回り込んだトヴェルツァ率いる第一師団は、敵右翼の背後に奇襲をかけ、なおも戦果を拡張中だ。

 総合的に見れば戦況は拮抗しているが、左翼には未だ無傷の敵部隊が残されている。

 右翼の敵を敗走させたとしても、そこから残った敵と交戦すれば、損害の増加は免れないというのが現状だ。


 エレナードの采配により順調に推移してきた作戦は、勇者の放った一発の爆炎魔法により、全てが台無しになった。

 

――戦争は、全てが極めて不確実である。


 たとえ、『戦争論』にそう記されていたとしても、知恵と計略で戦略的勝利を得てきたエレナードにとって、たった一人で戦況を覆してしまうような存在は到底認めることができなかった。


(一人の戦果が戦略的勝利を覆すなんて……そんなの、卑怯じゃないっ!)


 そんな文句を垂れたところで、現状は何も変わらない。

 戦闘は未だに継続しているのだ。


 戦略図の前で歯ぎしりをしながら善後策を練るエレナードは、近くに置かれた共鳴水晶に視線を向け、改めて状況確認を行う。


「トヴェルツァ、そっちの状況はどう?」


『背後をついた敵右翼部隊は徐々に潰走かいそうを始めていますが、我が第一師団の損耗率も限界に近付いております。一度、味方と合流して戦力の立て直しが必要かと』


 エレナードがざっと見積もったところ、総数一万五千で出陣した友軍のうち、戦闘能力を維持している魔物は一万以下だ。

 対して、人類連合軍は左翼にほぼ無傷の兵士一万五千以上が残されている。

 加えて、敗走させた右翼の敵も全滅したわけではない。攻撃の手を緩めれば、再び息を吹き返すだろう。


 魔王軍は四大将軍を始めとする幹部が健在なので多少の数的不利はカバーできるかもしれないが、正面を切って攻撃を続行すれば損害は嵩むばかりだ。

 それらを理解するエレナードは、ここにきて決断を迫られる。


(やっぱり、いったん軍を引くべきかしら……でも、こちらが背を見せれば敵は間違いなく追撃してくる。撤退するなら後衛部隊が必要になるけど、彼らは捨て駒になるかもしれない……)


 多少の被害を覚悟で戦闘を継続すべきか、それとも一部の味方を切り捨てて戦力温存のために撤退すべきか、どちらを取っても苦しい選択だ。


 すると、そんな心境を察したヴォルガが静かに声を放つ。


「エレナード様。もし、撤退をお考えなのであれば、己が殿しんがりを務めます。たかが一万や二万の人類種ヒューマン、己の敵ではありません」


 冗談や気休めではなく、ヴォルガは本気で言っているのだろう。

 魔王軍一の実力を持つヴォルガがその気になれば、本当に二万近くの敵を足止めできてしまうかもしれない。

 だが、それを実行に移したとして、敵中に取り残されたヴォルガの運命は――。


「バカッ!!! そんな命令出せるわけないでしょ!!!」


 エレナードは、自分でも驚くくらい大きな声を出してしまった。


 ヴォルガは、エレナードがこの地に生を受けてから、常に傍らにいてくれた腹心中の腹心だ。むしろ、家族に等しい存在だ。

 赤子の頃から世話をされ、数え切れないくらい遊んでもらった。時にはイタズラや我儘を言って困らせることもあった。

 先代魔王の父が人類との戦いに明け暮れ居城を離れていた時、エレナードの寂しさを紛らわせてくれたのは、他でもないヴォルガだ。

 

 そんなヴォルガを切り捨てられないと考えるエレナードの感情は自然なものだ。

 だが、そんな心境を自覚したエレナードは自嘲に似た感情を抱く。


(寂しくなるのが嫌だから、悲しむのが嫌だから部下を見捨てたくない……それは当たり前のことかもしれないけど、戦争指導者としては失格ね)

 

 多くの魔物が戦いの中で命を落とす中、ヴォルガだけを特別視するエレナードの感情は単なるエゴだ。

 エレナードの手は、戦死した仲間達の流した血によって既に汚れている。

 国の平和と繁栄を願いながら、部下に命を賭して戦えと命じる――そんな矛盾した罪と責任を負う存在が、戦争指導者というものだ。


 ならば、それを理解するエレナードは冷酷無慈悲になるべきなのだろうか。国のためなら、平然と部下に「死ね」と命じるべきなのだろうか。


 否――エレナードは、その考えを否定する。

 本にそう書いてあったからではない。直感的に、エレナードはそれが「間違っている」と思った。


 エレナードには、今代魔王としての矜持がある。

 この大陸に住まう全ての魔物達が安寧に暮らせる地を確保するという強い決意に支えられた、唯一にして絶対の矜持がある。

 魔物達の痛みや苦しみ、そして死の悲しみが理解できなければ、そんな矜持を抱くことはなかっただろう。


 それを思い出したエレナードは、改めて己の役目を自覚する。


(私達が抵抗する意思を失えば、人類が全てを支配してしまう。私の役目は、それを遅らせることではなく、打ち砕くことなんだ)


 かつて、全軍に撤退を指示したエレナードは、戦力の集結という優位を得られる目算があってその決断を下した。

 だが、今エレナードが思慮していた撤退は、優勢な敵に強要された敗者の選択だ。


 戦争論には、戦闘の勝敗が決する条件も記されていた。

 

――戦いの勝敗が決するには三つの要素がある。ひとつが物質的戦闘力の喪失、もうひとつが精神的戦闘力の喪失、最後が前者二つを承認した闘争の放棄である。


 ただし、この言葉には続きがある。

 実際は混乱をきたす戦場において、兵士の被害数や精神状況を把握するのは困難なため、指揮官が数的不利や精神的不利を認め、闘争を放棄した時点で勝敗が決する、という内容が続いている。


 現状、魔王軍は戦力的にも精神的にも不利な状況にあるのは明白だ。

 しかし、前線で戦う魔物達は、はたして戦闘力を完全に喪失しているだろうか。多くの魔物達が己の敗北を認識するほど、精神的な劣勢下にあるだろうか。


 そんなことはない。戦闘は、今なお果敢に継続されている。

 『戦争論』の言葉通り、不利を自覚し敗北を認めようとしたのは、エレナード自身だ。

 

(だけど、戦闘を継続させるなら、この戦いを勝利で終わらせる根拠が必要になる。今の私は、その根拠を持たない。ホント、情けない魔王様ね……それでも私は、この国を守るために勝たなきゃならない。ここで諦めちゃいけないんだ!)


 魔王としての矜持を思い出し、そんな決意を胸に秘めたエレナードは、おもむろに顔を上げて声を放つ。


「エニセイ。四大将軍全員に通信を繋いで頂戴」


 命令を受けたエニセイは、トヴェルツァ、アムール、ドヴィナのそれぞれ三人と繋がった共鳴水晶をエレナードの前に並べる。


 そして、小さく深呼吸をしたエレナードは、今なお戦いに身を投じる四大将軍を前にして、静かに声を放った。

――戦いの勝敗が決するには三つの要素がある。ひとつが物質的戦闘力の喪失、もうひとつが精神的戦闘力の喪失、最後が前者二つを承認した闘争の放棄である。


カール・フォン・クラウゼヴィッツ『戦争論』より

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