14 駆け引き
人類と魔物の両軍が視界の悪い森の中で布陣を終えたその頃、テグリス王国及び諸国連合軍の総司令官を務める将軍は、馬上から軍を率いて鬱蒼と木々の茂る森の中を前進していた。
彼は、名をドナウと言う。初老と言うにはまだ若い壮年で、伯爵の地位を持つテグリス王国の大貴族だ。
連合軍の総司令官という大命を帯びたドナウは、その身はおろか馬にまで板金製の鎧を纏わせており、長く伸びた髭が将軍としての貫録を演出している。
そして、連合軍の本陣であるドナウの周囲には、多くの騎士達で構成された親衛隊が同行している。その中には、勇者パーティーとも言えるアキラ、ライン、ユフィの姿もあった。
しかし、それぞれが専用の馬を操る中、アキラとユフィだけは二人で一頭の馬に相乗りをしている。
その様子を横目で眺めたラインは、呆れたようなため息を吐いた。
「しっかし、期待の勇者様が馬も操れないたぁ、カッコがつかねぇなぁ」
ユフィの肩に掴まるアキラは、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
「いやぁ、練習はしたんですけど、まだ一人で操れる自信がなくて……ユフィにも迷惑だったよね」
「フフ、私は気にしていませんよ。むしろ、勇者様のお役に立てて光栄です」
すると、三人の会話を聞いていたドナウがおもむろに口を挟む。
「王国一の剣士に魔術師、それに勇者とは、実に頼もしい面子が揃ったものだ。まあ、戦いが順調に推移すれば君達の出番もないだろうがね」
ドナウの言葉を聞いたラインは、オーバーに肩をすくめてみせる。
「おいおい、せっかく戦場に来たってのに、出番なしは御免だぜ。こんなことなら、先遣隊に混ぜてもらった方がよかったぜ」
ラインの馴れ馴れしい態度に対し、ドナウは余裕のある笑みを見せる。
剣士であるラインは、将軍のドナウとそれなりに付き合いがあるようだ。
「君達は、我が軍にとって言わば虎の子の秘密兵器だ。切り札は、ここぞという瞬間まで隠しておくのが賢い戦い方というものだよラインくん」
「さてね。ここぞという瞬間は、今かもしれない。将軍様に兵法を説く気はないが、俺達を出し惜しみして負け戦にしないよう頼むぜ」
「言ってくれるじゃないか。私は、君のそういうところが嫌いじゃないよ」
そんな会話を交わしていると、後方にいた兵士の一人がドナウの下に近づいていく。
「閣下に申し上げます! 我が軍の前方に展開する散兵が、少数のゴブリンと接敵いたしました。なお、接敵報告はハドソン隊及びジェームズ隊から入っております」
「ハドソンにジェームズ……戦線の両翼か。魔物共は、挟撃を目指してくる可能性が高いな。さてラインくん、君ならどう対処するかね?」
唐突に話を振られたラインは軽く驚きを見せたが、さして悩みもせずに答えを出した。
「そりゃあ、陣形を維持して前進だな。敵はこっちの半分以下なんだろ? いくら挟撃を目指してるつっても、ただでさえ劣勢の敵がさらに分割されてりゃ、こっちとしては儲けもんだ。わざわざ俺達が兵力を二分して対応する意味はないな」
「及第点の回答だな。加えて言えば、兵力で劣る敵は我が軍の分断を誘っている可能性もある。つまり、最初に現れた連中が囮であるという可能性だ。ならばなおさら、敵の誘いに乗る必要はない。数に勝る我々は、部隊間の連携を維持して横隊で平押しするのが正解だ」
彼らの会話を横で聞いていたアキラは、感心したように頷く。
「こういう駆け引きを聞いてると、まるで将棋みたいですね」
将棋という言葉を聞いたユフィは、首を傾げてアキラに視線を向ける。
「ショウギ? それはなんでしょうか」
「ああそうか、こっちの世界に将棋はないのか……俺がいた世界で流行ってたボードゲームのことだよ。兵士や騎馬を模した駒を交互に動かして取り合うゲームなんだ。俺はてんでニガテだったけどね」
「駒戦争みたいなゲームのことですね。私、そういうの結構得意なんですよ」
「へぇー、こっちの世界にも似たようなゲームがあるんだ」
すると、二人の会話に再びドナウが口を挟む。
「そもそも、我が国で流行っている駒戦争の始まりは、軍議で用いられる図上演習だからな。察するに、そのショウギというゲームも原点は同じなのだろう。どこの世界にも、似たようなことを考える者がいるということか……しかし、その口ぶりだと勇者殿は兵法に疎いようだね」
「あいにく、戦争について勉強したことはありません。そもそも、俺は細かいことを考えずに直感で動くタイプなんで、戦略を考えたりするのは向いてないと思います」
アキラの返答に対し、ドナウは「ふむ」と唸って顎を摩る。
そして、ラインへと視線を向けた。
「ラインくん。こんな場所だから素直に聞くが、アキラくんは本当に戦いの素質があるのかね。もちろん、彼に勇者の称号をお与えになった国王陛下の判断を疑うつもりはないが、私には彼が何の変哲もない穏やかな青年にしか見えんよ」
アキラがいる目の前で放たれた実も蓋もない物言いに対し、ラインは不敵な笑みで応じる。
「へへ、俺も初めてアキラと顔合わせした時はそう思ったぜ。こんなヤツが勇者だなんて、何かの冗談だろってな」
己の貫禄のなさを自覚するアキラは、「そう思われて当然だ」と納得しつつ、うんうんと素直に頷く。
だが、そんなアキラに背中を預けるユフィがいきなり声を荒げて反論した。
「そんなこと言って、ライン様も勇者様の実力は知ってるじゃないですか! 勇者様の前で失礼ですよ! もしかして、勇者様に手合わせで負けたのを根に持っているんですか?」
「待て待て! こりゃ前置きってやつだ。剣技はともかく、アキラの身体能力は間違いなく俺より上だ。それに、アキラの実力は単純な身体能力で計れるものじゃねぇ。この前、アキラを魔物退治に連れて行ってはっきりわかったぜ。アキラの才能は、戦で真価を発揮する恐ろしいもんだ」
その言葉に対し、ドナウも感心した様子で目を見張る。
「ほう、ラインくんにそこまで言わせるのなら、彼は本物なのだろう。是非、彼の実力を見てみたいものだ」
「そうだなぁ。近くに魔物でもいれば……おっと、丁度よくいるじゃねぇか」
そう告げたラインが頭上を指さすと、二匹の翼竜が晴れ渡る空を悠々と舞っていた。
少数で行動しているところを見ると、恐らく偵察飛行を行っているのだろう。
しかし、二匹の翼竜は矢も届かないほどの高空を飛行しており、そう簡単に手の出せそうな距離ではない。
加えて、翼竜を迎撃すべき味方の魔女隊も近くにいないようだった。
その様子を眺めたドナウは小さくため息を吐く。
「まったく、空の戦いは任せろと言っていた連中はどこへいったんだ。敵に上を取られていては、いつ隙ができるかわからん」
そんな文句にユフィが応じる。
「飛行に魔力を消費する魔女は、ドラゴンと違って滞空時間に限りがあります。恐らく、今は休養中なのでしょう」
「それで、あの目の上のタンコブをアキラくん……いや、勇者殿なら追い払えると言うのかね」
すると、ラインはまるで己のことのように胸を張る。
「おうよ。あの技を使えばできるよなアキラ?」
白羽の矢が立ったアキラは、どこかぼんやりした様子で上空を眺める。
そして、顔色を変えることなく平然と頷いて見せた。
「うん、こちらの動きがバレていない今なら、できそうですね」
そう告げたアキラは、ユフィの操る馬から飛び降り、腰に下げたロングソードを引き抜く。
そのまま意識を集中するかのように息を整え、剣先を後方へ向けて振りかぶった。
しばしの沈黙が場を支配し、全員がアキラに注目する。
そんな中、アキラは声を張り上げて一気に剣を振り抜いた。
「エアスラッシュッ!」
すると、激しい突風がアキラの周囲に巻き起こり、風の塊らしきものが上空目がけて勢いよく飛んでいく。
その時点で、上空を飛ぶ翼竜に何ら変化はない。
だが、一呼吸間を置いた次の瞬間、先頭を飛ぶ翼竜の首が綺麗に刎ね飛んだ。
残る一匹は仲間に何が起きたのか理解することもできない様子で、尻尾を巻いて一目散にその場を離れていく。
アキラの見事な技を目の当たりにした一同は、たまらず感嘆の声を漏らす。
当然ながら、ドナウもアキラの実力には驚かされた様子だ。
「迎撃の難しい高空を飛ぶドラゴンをいとも簡単に……これが勇者アキラの実力か。恐れ入った。先の非礼、詫びさせてもらおう」
アキラが謙遜を告げようとすると、ラインが先に声を放つ。
「だから言っただろ。こんな魔法の使い方ができるやつは、国中探しても見つからないぜ。それに、アキラが使える魔法はこれだけじゃない。戦いに生かせそうな技はいくらでもある。どうだ、コイツのことが恐ろしくなってきただろ?」
「まったくだ。しかし、味方となればこれほど心強い者はいない。いざとなれば、存分にその力を発揮してもらうとしよう」
そんな会話が飛び交う中、照れくさくなったアキラは頭を掻いて苦笑いを浮かべる。
だが、今の芸当は遠くの敵を一匹倒しただけのことだ。
本格的な戦いとなれば、数え切れないほどの敵が目の前に押し寄せてくるかもしれない。
それに、自分より強い相手が立ちはだかるかもしれない。
そんな状況で、ちゃんと戦うことができるのだろうか。
そんなアキラの不安は、未だに拭えていなかった。
<将棋>
将棋は、古代インドのチャトランガと呼ばれるゲームが起源とされる戦争を模したボードゲームである。交互に駒を動かして相手の駒を取り合うというゲームはチェスを中心に様々あるが、将棋は取った駒を味方にして活用できる『持ち駒』の概念が特徴的である。
チェスや将棋のようなボードゲームは戦争を抽象化する図上演習の起源とも言え、歴史上においても実際の戦争をより再現できる細かいルールを設けたゲームを行うことで、立案した作戦の妥当性を検証したりする演習が度々行われてきた。日本では、そういった図上演習を兵棋演習とも表現する。




