13 対テグリス王国会戦
エレナードの采配によりラプタリア王国軍を退け、不可侵条約を締結してから約一カ月の時が経とうとしていた。
その間、人類側は目立った軍事行動を起こさず、インダリア帝国は束の間の平和を享受していた。
しかしながら、その平和が次なる戦いの準備期間でしかないことを、エレナードは重々承知していた。
ラプタリア王国の無残な敗退を目の当たりにした人類は、生半可な戦力では魔王軍に対抗できないことを理解し、無為な攻勢を中断して戦力の集結を進めていたのだ。
それらの動向は、ドヴィナ率いる諜報部の調査によって、随時エレナードに知らされていた。
当然ながら、エレナードも次なる戦いに向けた準備を進めていたが、魔王軍は戦力の集結を既に終えているため、今以上の増強が望めないのが現状だ。
総兵数一万五千――それが、インダリア帝国の動員限界だった。
対して、一大攻勢に向けて集結しつつある人類は、北の大国テグリス王国軍を主力に総数三万の連合軍を形成すると見られており、数的な劣勢は明らかだ。
軍事戦略のセオリーでいけば、決戦前に外交や策謀といった手段で敵の戦力を弱体化できればベストだが、そのような策を講じる足掛かりはない。
ならば、後は腹を括るしかない。
決戦により人類を退ける――それが、インダリア帝国の繁栄を目指す国家元首エレナードがとることのできる、唯一の戦略だ。
そして、いよいよ決戦の日が訪れようとしていた。
* * *
鬱蒼と茂る木々の隙間から、まばらに朝日がこぼれ落ちる。
今回、テグリス王国を中心とする人類連合軍が侵攻ルートに選んだ地は、森林に覆われた自然豊かな土地だ。
その一角に位置する小高い丘の上に、エレナードは野戦軍司令部を設営していた。
司令部内に設けられた一際大きなテントの中で、エレナードは卓上に広げられた戦略図に視線を落とす。
その両脇には、ヴォルガとエニセイの姿もある。
エレナードは航空偵察を続けるアムールから知らせられる情報を整理し、ぽつりと呟く。
「森が邪魔で敵の具体的な布陣がわからないわね。だけど、こんな地で戦おうなんて、テグリス王国の連中は騎兵を活用する気がないのかしら」
そんな言葉に対し、共鳴水晶に映し出されたアムールが応じる。
『恐らく、敵はスライム爆撃を警戒しているのでしょう。こちらも標的が発見できなければ、スライムを投下しようがありません。また、敵は多くの魔女を戦域上空に展開させており、悠々と偵察が行える状況でもありません』
「簡単に勝たせる気はないようね」
人は学習する生き物だ。
以前、あれだけの敗退を喫した人類は、今回の一大攻勢において色々と対策を練ってきたようだ。
そんな状況を前にしたエレナードは、『戦争論』で読んだ知識を思い出す。
「森で身を隠す敵は、戦場の霧に包まれているってわけね」
すると、ヴォルガはテントの外に視線を向けて首を傾げる。
「天候は快晴で霧は出ていないようですが……?」
「バカっ。戦場の霧っていうのは、戦争における不確定要素のことよ。敵や味方がどこで何をしているかわからないような状況を、霧で視界が閉ざされた様子に例えてるの」
「な、なるほど……」
そこにエニセイが口を挟む。
「エレナード様が空中偵察や共鳴水晶による情報共有を重視しているのは、戦場の霧をなるべく晴らして戦おうという、お考えがあってのことですな」
「そっ。前回戦ったラプタリア王国軍は、さしたる偵察もせずに漫然と軍を進めて、戦場の霧に包まれていた。対して、私達は空軍による偵察で戦場の霧を晴らし、簡単に敵を包囲することができた。戦いにおいて、いかに不確定要素を少なくするかが重要なのよ。ここ大切だから、ヴォルガもちゃんと覚えておきなさい」
慌てて返事をしたヴォルガは、「むふぅ」と唸って必死に知識を頭へ書き入れる。
そんな会話を交わしていると、陸軍を指揮するトヴェルツァが共鳴水晶越しに報告を入れた。
『ご報告申し上げます。前線に派遣した斥候が敵を発見いたしました。敵はかなり広い範囲に渡って展開しているようで、恐らく両翼を広げた横隊陣形をとっているものと思われます』
その報告を受けたエレナードは、敵の戦略を推察する。
左右に大きく広がった横隊は、周密した陣形に比べて戦力が分散しやすくなる。
しかしながら、戦線を広くカバーしているので背後や側面を突かれにくく、正面からの攻撃を広い面で受けとめる柔軟な対応が可能だ。
敵は、多少戦力が分散しても十分な数的優位があるため、どこで戦いが起きても対応可能な横隊で平押しをするつもりなのだろう。
「なかなか堅実な戦略ね……こっちが一カ所に攻撃を集中したら、布で包むように包囲してくるつもりなんでしょうね」
話を聞いていたヴォルガも、統合参謀長らしく意見を述べる。
「前回のように爆撃やチャリオットの遠距離攻撃で足止めできれば、戦力の薄い左右の端から挟撃を行うことで敵を擦り減らせそうですが」
「そうね。だけど、今回は爆撃もチャリオットも森の中じゃ効果的には使えない。それに、敵の位置が不正確な状況で、主力を二分させるのは得策じゃないわ」
すると、アムールが何かを思いついた様子で声を上げる。
『では、スライムではなくドラゴンのブレスで森を焼き払うというのはどうでしょう。視界も開けて一石二鳥かと』
「いいアイディアね。だけど、まだ葉っぱが緑だから期待するほど燃えはしないんじゃないかしら。撹乱程度にはなるかもしれないけど……」
エレナードは、己の下に集約された情報を頭の中で整理し、まるでパズルを解くかのように最適解を探す。
同時に、『戦争論』に書かれていたある言葉を思い出した。
――不確定な情報を補うためには、才能によってそれを予想するか、幸運に頼る他無い。
(戦争において、運任せで判断を下す者は二流ね。それなら、後は私の才能だけが頼りってことかしら)
困難な状況を前にしたエレナードは、なるべく心を落ちつけ、理性を保つように努力する。全ては、冷静な洞察力を得るためだ。
策はいくらでも思いつく。だが、それが正解か否かは、実行してみなければわからない。
これがまさしく、戦場の霧だ。
(そういえば、『戦争論』には軍事的天才の条件としてこんな言葉も書かれていたわね)
――戦争当事者が予期せぬ事態に直面した際、果敢に闘争を続けるためには、二つの性質が必要になる。一つが理性で、もう一つが勇気である。
理性は十分に保っている。
後は、己の見いだした策を信じ、実行するための勇気を持つ必要がある。全ては、大胆な決断力を得るために。
(私が軍事的天才にならなければ、インダリア帝国に未来はない……自分で自分の才能を信じるって、滑稽なものね)
そんな自嘲を心の中で呟きながら、エレナードは迫りくる敵を打ち破るための策を遂に完成させた。
――戦争は、全てが極めて不確実である。それはちょうど、霧の中や月明かりの中で物を見るようなものである。
――不確定な情報を補うためには、才能によってそれを予想するか、幸運に頼る他無い。
――戦争当事者が予期せぬ事態に直面した際、果敢に闘争を続けるためには、二つの性質が必要になる。ひとつが理性で、もうひとつが勇気である。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ『戦争論』より