10 救世主
その日、魔物の国インダリアの北方に位置する人類の国――テグリス王国の王城にて、大規模な『儀式』が行われようとしていた。
無数の台座に灯る青い炎によっておぼろげに照らし出されたその空間は、王城の地下に設けられた聖堂のような場所だ。
部屋の中央には複雑な魔法陣の描かれた『聖域』が設けられ、その周囲を囲うようにして漆黒のローブを纏った集団が跪いている。
顔を伏せ両手を組んだ彼らは、皆一様に口を噤み、来る時を待ち続けている。
すると、聖域の正面に立つ一人の老人が沈黙を破った。
「これより、転生者召喚の儀を執り行う。全ては、我がテグリス王国のため。この世の未来に安寧をもたらすため……そして、悪しき魔物に命を奪われた同胞に報いるため。その身を賭して祈りを捧げよ!」
老人の言葉を合図に、聖域を囲う集団は声を揃えて呪文を口にする。
誰ひとり躊躇うことなく、これより成就する奇跡を信じ、その使命を果たさんと一心に呪文を呟いている。
すると、聖域に描かれた魔法陣が、次第に眩い光を放ち始める。
金色に輝く光は薄暗い室内を照らし出し、全てを包み込んでいく。
そして、光に目を眩ませた老人が視界を取り戻すと、空白となっていた魔法陣の中心に一人の男が姿を現していた。
彼は、とある国で見慣れた黒い布地に金ボタンを備えた学生服を纏っている。
服装と同じく髪と瞳も黒々としており、全体的に整った見た目をしていながら、少し呆けた印象を与える。言わば、特徴の少ない普通の青年といったところだ。
そんな青年を見据えた老人は、わなわなと膝を震わせ、感極まった様子で口を開く。
「おお……儀式は成功だ! 新たなる救世主の誕生だ!」
そんな老人の言葉をよそに、頭を抱えた青年は当惑した様子で周囲を見渡す。
すると、自身を中心に無数の人間が横たわっていることに気付いた。
ローブを纏ったその集団は、皆一様にぐったりとして身動き一つとらない。
その極めて異様な光景を前に、青年はますます困惑を示す。
「ここは、一体……」
すると、満面の笑みを浮かべた老人は、青年に向けて恭しく跪く。
「貴殿は我らが救世主です。どうか、その名をお聞かせください」
「ええと、俺の名前は北上アキラ、ですけど……」
「キタカミ・アキラ様……それが、我らが救世主のお名前なのですな」
アキラと名乗った青年は、状況が飲みこめずますます困惑する。
しかし、アキラには不思議な自覚があった。
旅行中に不慮の交通事故に巻き込まれたアキラは、混濁する意識の中で、いつの間にか『力』を得ていた。
今のアキラは、何も無い空間に火や風を起こしたりすることができるだろう。普通に考えればあり得ない現象だが、不思議とそれができる気がした。
誰かが言葉で教えてくれたわけではない。目が覚めた瞬間から、己の体に『魔法のような力』が宿っていることを、一瞬にして自覚したのだ。
そして、アキラがそんな自覚を持った理由を説明できそうな人物は、目の前に立つローブを纏った老人しか見当たらない。
「とりあえず、何がどうなったのか教えてもらえると助かるんですけど……」
半ば投げやりなアキラの問いに対し、老人はまるでその反応が当たり前と言わんばかりに、気さくな態度を見せる。
「では、この私が全てをお話しさせていただきます。その前に、このような場所では落ちつきませんでしょう。部屋を用意してありますので、どうぞこちらへ」
老人に連れられたアキラは、粛々と出口らしき扉へと向かう。
そんな中、アキラは部屋の中で死んだように横たわる集団のことが、いつまでも気にかかっていた。
* * *
その後、豪華な応接間のような場所に案内されたアキラは、ローブを纏った老人から諸々の事情を聞かされた。
どうやらアキラは、『転生の儀』とやらによって、日本から異世界であるこの地に転生させられたらしい。
実質的に日本で事故死したアキラの魂は、彼らの行った儀式――ざっくり言えば魔法の力で、この地に新たな肉体を得て生まれ変わったという話だ。
もちろんアキラは、懐疑的にその話を聞いていた。
しかしながら、多くの生贄を伴う儀式によって生み出されたアキラの肉体は、この地に生を受けた瞬間から『魔法』と呼ばれる力を行使できるようになっており、その自覚が一面の事実を証明する形となっていた。
そして、アキラは気持ちを整理させる間もなく、老人からさらに衝撃的な事実を告白された。
「俺に、その魔王軍って連中と戦えって言うんですか!?」
老人のとある要求を聞いたアキラは、応接間に設けられた豪華な椅子で前のめりになり、素っ頓狂な声を上げる。
「まあ、ざっくり申し上げると、そういうことになりますな。我が国……いえ、この世界は現在、魔王エレナード率いる魔物達の手によって侵略されつつあります。その窮地を脱すために、我がテグリス王国は最後の希望に縋る思いでアキラ様を転生させたのです。どうか、魔王討伐にお力添えをしてはいただけませんでしょうか」
(魔王退治って、それもうドラ〇エじゃん……)
と、心の中で突っ込みを入れたアキラは、正直なところ首を縦に振る気にはなれなかった。
「俺に、拒否権はないんですか? 一度死んだ俺を転生させてくれたことには感謝しますけど、正直なところ俺は望んでこの地に来たわけじゃないし、何て言うか、荷が重いというか……」
その言葉に、老人はいきなり神妙な面持ちを見せる。
「我々は、アキラ様に戦いを強要することはできません。しかし、アキラ様の肉体は、多くの尊き犠牲を払って生み出されたものです。生贄となった者達は、この世界の救済を信じて、アキラ様に命を捧げたのです。それを聞いて、どう思われますかな?」
そう言われると、アキラも話を無下にはできない気がしてくる。
恐らく、先ほど出た不気味な部屋で倒れていた人達が生贄だったのだろう
「でも、俺は魔物と戦ったどころか、マトモな喧嘩だってしたことありません。そんな俺がやる気になったところで、結果が伴うかどうか……」
「アキラ様の体は、生贄の効果によって強大な力を得ているはずです。恐らく、既に自覚があるのではないでしょうか? 心配せずとも、いきなり戦場に放りだすつもりはありません。何事にも、順序というものがありますからな」
(その順序を踏めば、俺は魔王に立ち向かう戦士に仕立て上げられるわけか)
正直なところ、アキラはそんな戦士になれる自信などなかった。
しかし、己の体に力が宿ったことと、そのために多くの犠牲が払われたことは、逃れようのない事実だ。
しかも、この話を蹴ってしまえば、知らない世界でいきなり路頭に迷う可能性もある。
(なら、俺に拒否権はないようなものじゃないか)
そんな考えに至ったアキラは、もはや妥協することしかできなかった。
「わかりました。とりあえず、俺にできそうなことはやってみます。ただ、あんまり期待しないでほしいというか……」
「おお!承諾していただけて何よりです。ではでは、話もまとまったところで、一度我が主に謁見していただきましょう。国王陛下はフランクなお方なので、堅苦しくなる必要はありません。どうか、気楽なご挨拶とでもお考えください」
そんな要求を突き付けられたアキラは、心の整理が追いつかないまま彼の言葉に従って部屋を後にした。