第1段階 水サカズキの別れ
入るとそこは、イ号潜水艦の中であった。
ご丁寧な事に、壁に『回天の母艦・イ号潜水艦・艦内』と書いたプレートが、貼り付けてあるのだ。
(こいつあ、いいや)
若い男達が五人ばかりいた。
勿論、皆、海軍の軍服姿である。
いうなれば、映画のセットの中に入った気分だ。
潜水艦乗り達は、階級章は付けているものの、役職名が全く解らない。いや、そもそも階級章を見たって、なじみの無い無知な善行には、解る訳がない。
やはり「艦長」とか「砲術長」とか、大きな名札を付けて欲しいものだ。
もっともその場合は、学芸会のような雰囲気に、更に拍車がかかってしまうだろうが。
潜望鏡を覗きながら、三十代半ばの男が言った。こいつが最年長で、どうやら艦長らしい。
他の連中はハタチをちょっと過ぎたくらいだ。
「少尉、大物だ。覗いてみろ」
と善行に言った。
艦長は、帝国海軍士官のくせに、ブルガリか何かの、フレグランスの匂いがした。
善行が潜望鏡を覗くと、敵戦艦のシルエットがくっきりと見えた。
子供の頃、遊園地なんかで遊んだアーケードゲームの『魚雷戦ゲーム』と似たようなものだ。
潜望鏡を覗く善行の鼻先を、甘ったるいフレグランスの香りが通りすぎて行く。
(ふんふん、この匂いだけはドッチラケもいいとこだな)
「このシルエットは宇宙戦艦ヤマトとは違うでありますな。ヤマトのシルエットだけは、自分にも解るであります。ケロケロ」
と、思わずケロロ軍曹言葉で、おちゃらけてしまった。
「馬鹿者! ありゃ敵さんだ。それにしても少尉、きさまは運がいいぞお。ありゃ戦艦アリゾナだ」
「おお!」
と皆がどよめいた。
(オーデコロンの匂いをぷんぷんさせて、何が「敵さん」だ!)
とにかく強引に、シナリオ通りに進めるつもりらしい。
セリフは、まあまあ上手いのだが、ありありと違うのだ。つまり、帝国軍人らしくない。
全員小綺麗すぎる顔をしているからだ。
だから周囲の兵隊達なんか、更に輪をかけて全然、らしくない。
大体、潜水艦乗りなんて、薄汚れていて油臭いんじゃないのか? その上、フレグランスなんて、もっての外じゃないか!
と善行は思う。
だからどうしても、おちゃらけたくなってしまう。
今は昔の「現代っ子世代」である善行だって、オジンのくせに戦争は知らない。
しかし、此処にいる小綺麗な顔の連中とは、旧日本軍のイメージが、どうしても重ならないのだ。
だからと言って、汗臭くて油臭い、リアルな潜水艦乗りに囲まれたいとは思わないし、リアルな事がイベントの成功へ繋がるとも思えない。
まあ、しょせん遊びじゃないか。
それなら、もっと好意的に見てやるべきかもしれない。
善行は考えがまとまらない。
(それにしても、いつからだろう? 男がこんなに小綺麗な顔になったのは。綺麗に眉毛を整えて、全員まるでホストみたいじゃないか。役者だからか? あれれ、そうか。考えてみれば、こいつら、息子の一善と同じ年頃だ。一善どうしてるかな? ずっとアメリカだもんなあ。……元気でやってりゃいいけどな。美和子にはちゃんとメール送って来るんだろうな。……やっぱり私は、つくづくダメな父親だな)
善行の思考はどんどん脱線して行く。
この連中はさっそく、水サカズキの準備を進めて行くのだが、これもやっぱり、わざとらしく感じる。
成る程、歳を取るという事はこういう事だったのか。
自分自身が優柔不断となっているくせに、意地悪な目線ばかりがやたらと強くなるのだ。
(成る程。私は、小うるさいジジイになったって事だ)
「少尉」
「しっかり頼むぞ!」
「少尉、お願いします」
「武勲を」
口々に喋るのがいささかうるさい。
だからジジイは思わず意地悪を言った。
「お先に行って参ります。しかし、……ここは是非とも、名前を呼んで欲しいところですな」
男の一人が「あっ!」と小さく叫んだ。
そして、そのまま全員、沈黙してしまった。
申し込み用紙よりも先に、本人が入ってきてしまったのだ。
だから誰も善行の名前を知らない。
これでは呼びようがないではないか。
このような不備を未然に防ぐ為にこそ「モニター」が必要だという事なのだ。
善行は笑顔となり、軌道修正してやる。
「沈黙しないで下さい。悪気はないんですよ。私は小野寺と申します。さて──私、小野寺少尉は、必ずやアリゾナを轟沈してご覧にいれます」
ほっとしたのだろう。弾かれたように皆が口を開いた。
「小野寺少尉」
「小野寺。忘れないぞ」
「立派な覚悟だ」
「あっぱれ小野寺」
「頼むぞ!」
実は、名前を呼ばれても、なお一層、嫌らしくて、しらじらしい感じが抜けない。
だから善行はまた、へらず口を叩きたくなった。
「ところで艦長。ここからは通常魚雷での攻撃は、出来ないのでありますか? いえ、命を惜しんでる訳じゃありません。回天はもっと難しい位置の敵にこそ、用いるべきではありませんか? アリゾナはこんなに近くで、悠々と横っ腹を見せているではありませんか」
「あっ」
と、困った艦長は声を洩らした。
またしても全員沈黙した。
善行は追い打ちをかける。
「世界に誇る、我が日本海軍の酸素魚雷じゃありませんか。ぜひ、発射するところを見たいものでありますな。冥土の土産に」
「ううむ。成る程」
と艦長が唸った。
メモを取ってる奴もいる。
若い男の一人が、たまり兼ねたように言った。
「小野寺さん、あなた、もしかしてドリーム社の人ですか? 役員さんかなんか? 僕達の演技力をテストしに来たんですか?」
すかさず艦長が言った。
「そんなの関係ない! 契約は契約でしょ? もう成立してるんだし。我々『劇団プータロー』はベストを尽くすだけです。あくまでシュミレーションらしく」
「団長」
と誰かが言った。
「馬鹿っ。艦長と呼べ」
と他の誰か。
善行はやっと面白くなってきた。
意を決した艦長は、潜望鏡に向って一人芝居を始めた。
「よおし。こうなったら攻撃するぞお! 魚雷3号4号発射! これが最後の魚雷だ! ジュボボボ! 行け行け! うわ! なんてこった! 外しちまった! こうなったら仕方がない。という次第だ。 小野寺少尉、頼むぞ。もはや、お前だけが頼りだ」
そして、声を潜めて言った。
「次からはドリーム社に頼んで、魚雷攻撃のシュミレーション画面を、潜望鏡に仕込んでもらいましょう」
「あははは艦長。熱演でしたな。それでは不肖、小野寺少尉。これより出撃します。皆さんお達者で」
水サカズキである。
「やってくれ!」
「小野寺頼むぞ」
「俺も後から行くぞ」
「貴様の事は忘れん」
「万歳!」
善行は悪ノリする。
「小野寺、立派に死にます。オーデコロン艦長、見ていて下さい」
艦長は顔をしかめ、自分の袖の匂いを嗅いでいる。
役者共の目が、
「さっさと行ってくれ」
と言っている。
ここで、最後のイケズを思いついた善行であった。
「ところで、インパール作戦は、どうなっているのでありますか?」
全員が顔を見合わす。
若い人に限らず、こんな事柄を、戦後世代が知る訳がない。
またまた沈黙である。
結局、艦長が苦しげに答えた。
「さあ、どうだっけ?……海に潜りっぱなしだから、……陸軍さんの事は、……ちょっと解らんなあ」
「あははは。なかなか、いい答えだと思うよ。それでは」
男共はほっとしながら敬礼している。
艦長は回天へと続くハッチを開けて敬礼した。
これは誰にでも解るように、『回天への扉』と書いたプレートが、貼ってあった。