第八話 夏樹、語り合います。
改めて、今僕が思っていることを考えた。
夏樹と同じ大学を志すことにして、そうして、努力してきた。そしてこの夏も、その大学に行くためにひたすら勉強していた。
夏樹の志す大学は、とても偏差値が高い。夏樹や陽菜の点数で丁度良い程度の場所。僕では行けるかはわからない場所である事。
なのに、それなのに、そんな暇は無いのに、今の僕は、会長がこれからどんな将来に挑んで行くのか、気にしている事。
そして、そんな事を考えていたら、この時間が、高校生である時間がずっと続けば良いのに。そうすれば悩まなくて済むのに。
変わって行くこと、変わらなければならないこと。変化を強要されることが、嫌になってきた。
それが、僕の気持ちだった。
何も考えずに、夏樹や、陽菜や、乃安や、京介や、会長や。入鹿さんや……そんなみんなと、もう少し馬鹿をやっていられるのかもしれないと思うと、僕は、今に留まるという叶えようもない願いを抱くようになっていた。
馬鹿みたいだ、でも、それを、夏樹に、気がついたら、話していた。
話せる人がいる。嬉しい。
「変わりたくない。進みたくないんだ。怖くなったんだ、僕は。変わって行くことが」
夏樹は、こんな僕の話を、黙って聞いていた。
花火を目の前にして、なんで僕は鬱々と、こんな事を語っているのだろう。
「うん。そっか」
夏樹は、それだけ答えた。
「うん。わかるよ。共感はできるよ。相馬くん」
夏樹は、さらにそう答えた。
「わかるけど。でも、相馬くんの気持ちは、正確にはわからない。私の気持ちは、私の気持ちで。相馬くんの気持ちは、相馬くんの気持ちだから」
夏樹はこちらを見ることなく、花火を眺めながら、そう言った。
花火は、綺麗だ。とても、綺麗だ。涙が、流れた。夏樹は、僕の言う事を受け入れなかった。それが、嬉しかった。
なんでだろう。
僕と夏樹は違う人間で、独立した一人の人である。そんな当たり前の事が確認できたからだろうか。
夏樹は優しいようで、そんな厳しさがあって。甘いようでどこか冷たくて。それでも、結局は、温かい。
「私は相馬くんが好き。それだけ」
夏樹は、そう締めくくった。
「怖い時は支えられる。そんな人が隣にいる事だけは忘れないでね?」
そしてそう付け足した。
「さて、一旦この話題はお仕舞にして、相馬くんが近々やること、やろうとしていること、ちゃんと教えて」
言葉の銃弾を込めて、一気に詰めて来る。
「……会長に……選ばされる……未来を」
「うん」
結局のところ、僕の悩みは、会長に感化された。それだけのことか。と思うと、ちっぽけに思えてきて、でも、他人事じゃないと思ったのは、確かだった。
そうか、そうか。
僕は、会長と似ているのは、本当らしい。
僕は、僕の手の届く範囲を、守りたい。
会長は、世界を変えたい。
「ふぅ」
気がつけば、僕はスマホでメッセージを送信していた。
「よう、会長」
「こんな夜中に、と文句を言うのは無粋か」
「あぁ」
夜の公園は、誰もいない、街灯が僕らを照らす。
夏樹には、あとで謝らないと駄目か。デート、ほっぽりだしちゃったから。
陽菜と乃安に預けたから大丈夫だと思うけどさ。
「祭りはまだ続く。しばらくこっちに人は来ない。これだけ良い時間、無いじゃん?」
「そうだな」
そこまで言われて、会長は髪をかき上げ、ネルシャツのボタンを二つ外した。僕も、手首をほぐす。
「お前は、これで決めるのは正しいと思うか?」
「さぁ。決めるのは時代だとか、民衆だとか、そんな悠長な事言ってられないから。会長もそうでしょ?」
「ふっ、俺は、まだわからん」
「そんなんで僕に勝てるの?」
「勝てば、何かわかるかもな」
僕は、まだ目的も何も言って無いのに、会長にはお見通しだったらしい。考えることは、同じか。
「じゃあ、行くよ。後悔しないでね」
「俺が、俺のやる事のために、何も準備していないと?」
会長は、身を低くして、一気に距離を詰めた。そして、上半身を反射的に後ろに傾けた、その目の前を足が通過した。
速い……!
嘘だろ。僕より速いぞこれ。
頭が、一瞬で切り替わる。視界に映る時間が、急激に遅くなる。突き出した拳は空を切る。でも、牽制だ、これは。
右手に手応え、それと同時に左頬に確かに殴られた感触。重く、思わずぐらりときた。
「やるな。意外と」
「お前こそ」
速さも、技も、負けている、僕が。
長引けば長引くほど、地力の差が出てくる。だから、勝つなら早めに仕留めた方が良い。僕は、彼を負かせて、真っ当な道を歩ませる。けれど、同時にそれは正しいのかという迷いが、頭の片隅で生まれる。
「うぐっ」
腹に、重いものが叩き込まれた。
「それで、俺に勝てるのか?」
「黒井琉瑠……」
「ふっ」
だけど、会長も、今のはもっと確実に決められる手を打てた。
迷いながらの殴り合い。お互いが決めきれないまま、ただ傷を増やしていく。
「会長、お前はどうしたいんだよ!」
「知るか! ぐっ」
技も何もなく、もはや、ただ拳を叩きつけ合う、そんな時間。倒れた方が負け、そんな単純なルール。信じるものも定かでは無い二人が、わけもわからず暴れているだけだ。
避けたら、負けだ。ノーガードか。
倒れろと思いながら、耐えろと良いながら殴る。殴る。歯を食いしばって。
なぁ、僕はなんで戦っているんだ? 理由がはっきりしない。
ふと、夏樹の顔が頭に浮かんだ。
なんで、今夏樹の顔が浮かぶんだ。
あぁ、そうだ。
吹っ切るためだ。夏樹と頑張るために。後悔を残さない。それだ。
「おらぁ!」
僕は、殴る時に声を出すことは少ない。なぜか、剣道とかでは気合いを出して叫ぶそうだけど。体感的に歯を食いしばった方が方が威力が出る気がする。筋肉の緊張が解れるとか、相手を威圧するとか、そう言うのだろうか?
でも、僕はその時は、獣のように咆哮した。
逆に、そんな僕と向かい合った会長は、一瞬だけ、ニヒルに、不敵に、肩頬を吊り上げるように笑って。
そして、一息にお互い距離を詰め、僕の攻撃を身軽にかわして、懐に潜り込んできて、膝を鳩尾に叩き込んでくる。それをグッと堪えて、僕は黒井を背負い投げ、地面に叩きつける。そして僕も地面に膝をついた。今ので体力も使い切った。もう何も無い。
「お前、馬鹿だろ」
「馬鹿だな」
会長も限界だったらしい。立ち上がろうとはしなかった。
公園の中央。汗だくで、血まみれで寝転がる阿保が二人いた。
「ふぅ。おい、これではどちらに正義があったか、決められないだろうか」
「だな」
「どうする?」
「俺は、俺のやるべきことをする」
「具体的には?」
「今の世界で、誰が一番正しいか。俺が一番正しい事を証明する」
「そうかい」
花火が終わったのか、遠くから、この住宅街に帰ってくる人の声が聞こえ始める。
あぁ、夏も終わりだ。僕は密かにそれを感じる。
「お前は、どうする?」
「僕は」
僕は、そうだな。
「僕は、手が伸びる範囲の人を、守りたいな」
改めて、はっきりとそう告げる。一時でも迷った僕に、言い聞かせるように。何の疑問も持つことなく一時は従った僕が、改めて見つけなおした答えを。
そして、公園に入ってくる、五人分の足音。
「おう、相馬に、げっ、生徒会長」
「よう、京介。ハーレム気分はどうだったよ? お前に任せておけばナンパだろうがカツアゲだろうがのしてくれると思ったから。任せてよかったよ」
「信頼はありがたいが。お前の苦労がわかったよ」
「僕はそこまで苦労した覚えはない」
何があったのかは、あとで聞こう。
「陽菜、治療、頼んだ」
「あっ、相馬くん、また陽菜ちゃん頼った」
「もはや癖だからなぁ、これ」
実際、陽菜も癖なのか、何か木箱から色々取り出しているし。
「夏樹さんは、傷口の洗浄をお願いします」
「はーい」
京介も、手慣れた様子で会長の治療をしていた。
そうして、帰る時、僕と黒井琉瑠は、拳をぶつけ合って別れた。
全身が痛い。でも、どこか満ち足りた達成感があった。満足していた。僕は。
「夏樹。僕も頑張るからさ。点数抜いてやるから、覚悟しておけよ」
「……相馬君、今の夏樹さんを抜くという事は、ほぼ満点を取るという事です……」
陽菜がぼそりと呟いた。
夏樹、恐ろしい子。そして、僕はやっぱり馬鹿だ。