第七話 夏樹、帰還します。
目を開けて、ここが家であると認識して、そして息を吐いた。安心したからだ。
昨日は、乃安がとても張り切って腕を振るって、軽くフルコース状態になった。夏樹がいなかったら、いや、乃安もちゃんと考えて料理の出す順番を決めていたみたいだから、大丈夫だったとは思うけど。料理を出す順番は大事だ。胃が驚かないように……負担をかけないように……。
さて、お盆休暇だ。夏樹とはしばらく会えない。寂しい気持ちもあるが。これもまた、必要な事だろう。ゆっくりと立ち上がり、全身が起動されていくことを確認する。血が、通っている。
「先輩、起きていますか」
「うん」
「良かったです。あの、胃の調子は大丈夫ですか?」
「問題ない」
「良かったです……」
乃安がどこか申し訳なさそうな雰囲気を出して、扉の前にいた。だから頭をポンポンと撫でて、そして外に出る。どこか空虚な気分を感じながら走った。
朝食はお粥だった。
お盆だから、本当はじいちゃんの旅館とか、行きたいけど、でも、母さんに自分の事を優先しろと言われている気がして、予定には入れなかった。
ぼんやりとしてしまう。
「相馬君、手が止まっていますよ」
「ごめん」
「いえ、夏樹さんを心配しているのですよね。その心情、お察しします」
そうだ。でも、僕は、同時に。残り半分となった三年生でいられる期間。僕が高校生を名乗れる期間について考えていたのだ。
会長を、夢へと歩ませるのは正しいのかを考えていたのだ。このまま放っておいても、会長はその頭脳を、行動力を、求心力を、もっと真っ当な道で活かせる。それもまた、正解なのだ。
世の中の利益を考えるなら、むしろそうするべきなのだ。だというのに、僕は、なんで迷っているのだ。会長の夢を砕くなら、今だろ。止めを刺せば良い。夏樹がいない今、会長を呼び出してその夢を否定すれば良い。会長はきっと黙っていてくれる。夏樹にバレることなく、人でなしな行為をするなら、今だ。陽菜と乃安も、きっと黙って僕のやる事を見守っていてくれるだろう。だから、今なんだ。
「陽菜」
「はい」
「僕は最低かもな」
「はい。ですが、相馬君の迷いは、とても真っ当なものです」
陽菜は、いつものように、淡々と、当たり前の事のようにそう言う。
「真っ当なのか?」
「はい」
わからない。僕は、一人の人間の未来を決定する権利があるのか。
「そうじゃないのですよ。相馬君。あなたに必要なのは、自分の正しさを信じる勇気です。あなたは、人の正しさを肯定することばかり上手ですから」
陽菜は、穏やかな声で、歌うようにそう言う。
「あなたの正しさを、教えてください。あなたの、独りよがりな意見を聞かせてください」
思わず、目を閉じた。別に泣きそうというわけでも無いけど、ただ、陽菜の言葉が妙に染みただけだ。彼女は、あっさりと、いつも僕の迷いを振り切ってくれる。
「僕は……」
「はい」
「夏樹にむちゃくちゃ会いたい!」
「……はい?」
陽菜は、きょとんと首を傾げた。
「勉強自体、嫌では無いけどさ。遊びたいんだよね。少し」
「は、はぁ?」
「夏樹と家でも良いから。何をするわけでもなくゴロゴロするだけでも良いから。悩むのはそれからが良いな」
「はぁ、あっ、繋がりましたね。相馬君が考えていた事と」
「いや、当たり前のように読むなよ。僕の考え」
朝野陽菜。恐ろしい子。
いや、もう慣れたけど。もう隠し事できるなんて思っていないし。
今思うのは、夏樹に僕の悩みを話したい。。
「でも、今回は陽菜の予想外せたし良いか」
「えぇ。完全にその繋がり方は予想外でしたね」
さて……えっ、言ったは良いけど、どうすれば良いのだろう。
「どうしよう」
「どうしましょう」
陽菜と二人、リビングで間抜けなことを言う。クーラーが稼働する音が、やけに大きく聞こえた。
腰を落ち着けて、茶をすする。夏は、やはり冷たい麦茶だ。
「我慢するしかないのかな」
「無いのでは?」
「夏祭りまでに帰って来てくれるかな」
……なんで帰ってくる日、聞かなかったのだろう。僕はアホか。
「うぐっ」
「あの、悶えないでください」
急に胸が痛くなり抑えれば、陽菜が隣で戸惑ったような声を上げる。乃安が慌てて麦茶を注いで持ってくる。そして台所に戻って行ってしばらく。そうめんが盛られた皿を持ってくる。
「お、お昼にしましょう」
「そうですね。そうしましょう」
メイド達の優しさに涙でも出そうだ。
『もしもし? 生きてる?』
「死んでる。これは冥界からの電話だ」
『そう? お兄ちゃんいたら代わって』
あぁ、この程度の冗談は飛ばせるのか。今の夏樹は。
夏樹の変化を感じて、少し気が楽になる。
夏樹が今いるところはネット回線が無いため、こうして声だけで電話をしている。
それも、悪くはない。テレビ電話という選択肢は、あえて出さなかった。こうして、繋がりを薄くすることで、強く意識できると思ったから。
馬鹿だろうか? いいえ、馬鹿です。
『今日、早速行ってきたんだ』
「うん」
『意外と、落ち着いていられた』
「そう」
良かった。
とは言わない。わかっていたことだと、そう見せたかったから。僕は、夏樹を信じているから。矛盾しているようで、僕の中ではすんなり収まっているんだ。
そう、人は、矛盾を抱えて生きている。だから、矛盾を嫌う。同族嫌悪だ。
天井を見上げる。キャンドルの明かりが、ゆらゆら揺れる。それに合わせて、景色が揺れる。
そんな、僕にとって少しの時間も、夏樹にとっては、少し長い時間だったみたいで。
『眠いの?』
僕の沈黙に、そう意味付けした。
「少し、かな」
『あは、私もだ』
「寝る?」
『うん』
その日は、お開きになった。
乃安が、浴衣を着ていた。
「どうです? 先輩」
「似合うね。流石美人さん」
「照れます。でも、それは、もうすぐ来る人に言ってください」
「感想求めたのは誰よ」
それと、夏樹は、美人というより、可愛いだ。ただの印象の問題だが。
夏樹が、玄関に現れた。いつもの元気いっぱいな印象では無い。もっと大人びた雰囲気だった。
ちょうど、西日が射しこんでいる。それが、幻想的な雰囲気を演出していた。
「久しぶり」
「本当。そんな気分だよ。乃安は、知っていたんだ」
「はい。むしろ、先輩が知らないことに驚きました」
結局、僕は聞くことを忘れていたらしい。なぁ、相馬。どうして聞かなかったんだ?
後ろめたい事があるから。
そうか。なぁ、相馬。でもさ、話さなきゃダメじゃあないか? だって、夏樹を信じるんだろ。
あぁ。
成長したんだろ、人を信じよう。頼ろうって。
あぁ。
なら、わかるだろ。
「……そうだな。乃安。先、行ってる」
「はい。先輩」
僕は、夏樹の手を引いて、歩き出した。僕が行く場所は、陽菜は、陽菜だけは知っている。この町ではあまり有名ではない、というより、眺めは良いけど不便な、その場所を。花火が、丁度正面で見える、神社の存在を。
浴衣姿の女の子を歩かせるには少々躊躇う。のはおかしいか。昔は普段着だったのだもの。
でも、やはり着慣れていない事は、考慮しなきゃだめか。そう思い直す。
「相馬くん」
「うん?」
「どこ行くの?」
祭りから離れて行くことに、不安を覚えたみたいだ。
「飯は、買って行った方が良いか。僕の知っている、一番長めの良い所、だけど」
「うん」
少しだけ、顔をほころばせる。だから、頭を撫でた。
「相馬くんと陽菜ちゃんが、初めて恋人同士になった場所でしょ」
「そう」
乃安は、わかっているだろう、僕らが合流する気なんて無い事。陽菜も、僕がいない時点であの場所がわかるだろうけど、来ないと思う。陽菜だから。
何か、二人の優しさに甘えているようだけど。でも、今僕が抱えていることを聞いて欲しかった。
それと、そろそろもう一回、気持ちを交換したかった。