第五話 夏樹 in 合宿
なるほど、確かに涼しいと思う。
窓から見える景色は森林、その向こう側に僕らが住む町。外界から一切の情報がシャットアウトされ、勉強に専念できるという、自由参加という名の強制参加の勉強合宿だ。
進学を目指す人たちはもれなく参加。スマホは全員没収。遊び道具はトランプまで全て持ち込み不可だ。許された娯楽は食事のみである。
さて、そんな環境を、会長は忌々しそうに、合宿の栞が配られた時点で眺めていた。
「こんなもの、ただの牢獄では無いか。我々は犯罪者か何かか?」
「まぁ、それくらいしないと勉強しないと、この年代は……」
「ここは高校だ。勉強したくないやつは勝手に辞めれば良いだろ」
「そうだけど……そうだね」
なるほど、確かにそうだ。僕がここにいるのは、義務ではない。だけど、うん。正しいんだけど、それは、正しいだけ。それが黒井会長だ。
「ふむ……」
「何かする気?」
「いや、良いや」
「ん? んん?」
それまでクロスワードを解いていた夏樹が変な声を出すのも無理はない。この場合、いつもなら会長の頭の中には既に何が閃いている筈なのだ。
「今回は大人しく従おう」
僕らの会長は、どこかおかしかった。
合宿が始まるまでも、毎日学校までせっせと通う。そして、クーラーを効かせた特別な教室で、受験対策の授業を受ける。
「良いか、時間が無いと思ったら次の問題に行け、部分点を狙うんだ」
そんなテクニックまで教えてくれる。
まぁ、似たような事は高校受験でもやったと思うけど。
そして、家に帰ると、乃安が嬉しそうな顔で迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、先輩方。今日もとても暇でした」
きれいに掃除された玄関、廊下。ここ最近の乃安は暇すぎるようで、晩御飯もその日考えた創作料理が並ぶ。
「合宿終わったら楽しみにしていてください。はい、楽しみにしていてください」
そして、今に至る。泊まり用鞄は、乃安が用意した。陽菜がやろうとして、乃安が奪って、奪い返して、その繰り返しは、僕が気づくまで続いた。
コイントスで僕が決めた。鞄を覗くと、へぇ、洗濯ネットにその日着る服を詰めとくのか。なるほど、脱いだら中身を交換。帰ったらそのまま洗濯機に入れられるようにしてしまうのか。便利だ。
そして、晩御飯。料理を受け取って席につく。そして全員一斉に食べ始める。
「えっ、マズっ」
思わず口に出して、慌てて手で口を覆う。なんだこれ、本当にラーメンか? ラーメンの麺と間違えてうどんを入れたとか? いや、それにしても麺にコシが無さすぎる。
スープもコクがない。
「炒飯は……」
一口。炒飯は普通だ。なんだ、ラーメンがおかしいのか。
ふと、壁を見ると。おすすめは手打ちラーメンとか書いてあった。
「まぁ、話題の種にはなるか」
うん。合宿終わったら調べてみよう。ここの評判。ものすごく気になる。
晩御飯食べたら風呂だ。温泉だ。温泉は好きだけど苦手だ!
ここぞとばかりに元運動部は鍛え続けた己の肉体を見せつける。例えば僕みたいな帰宅部に。
「どうだ、ひぐ、らし?」
「凄いね。六つに割れてる」
「あ、あぁ。なんだよ、鍛えてるならどっか入れば良かったのによ」
「タイミング逃し続けて今に至る」
柔道部の元エースはタオルも巻くことなく堂々と入っていった。
隣の女子風呂も賑やかだ。スタイルに自信がある女子とかは、それこそ戦争の火種になるのだろうな。だって既に騒がしいし。
「夏樹ー揉ませろー」
「ひえー」
そんな声が聞こえた。元気が良いなぁ。
「日暮とあまり話したこと無いな。そういえば」
「そうかな?」
「あぁ。そういえば俺もだ」
「そりゃあ、君ら、クラスのカースト上位のパリピ様じゃないですか。僕とはとてもとても」
「「いやいやいやいや」」
二人、サッカー部前キャプテン小野と、柔道部の元エース、阿部が同時首を横に振る。
「お前さぁ、わかってる? というか自覚しろ。お前が普段周りに侍らせてる女子の存在を」
「うん? 侍らせてるつもりはないけど」
「何人玉砕したことか……」
「はぁ」
僕が知らないところでそんな事が……。
「剣道部柔道部合同でお前を襲撃する計画まであったなぁ。今や懐かしい。京介さんに止められちまったけど」
「えっ? 何? 僕何される予定だったの?」
「さぁな」
というか、僕は京介に裏でどんだけ助けられているんだよ。本当、有難過ぎる。
しかし、やっぱモテるんだなぁ。いや、わかってはいた事だけど。僕が知らないところで一体何が起きていたのか。
風呂から出て、自販機のある休憩スペースまで行く。流石山の上、全部高い。が、娯楽が少ない今、この自販機のアイスですら、そしてその隣の新聞ですら、面白く見えてくる。
「どれ」
自販機アイスとか久しぶりだ。そして、新聞を読むのも。うわ、地上の方は暑かったんだ。
「じーっ」
「どうしたよ?」
「良いなぁ~の意」
「食べる?」
「うん」
差し出したら一口食べられる。
「間接キスだよ」
「今更だよ、そんなの」
そろそろ戻らないと説教タイムだろうな、と思いながら、時計を眺める。入浴時間として与えられているのは三十分。あと十分くらいだろうか。
戻るか。
「そろそろ行こう、夏樹」
「もうちょっと」
「はいはい」
ベンチの隣に座り、頭を肩に預けて目を閉じる。このまま寝てしまったらどうやって夏樹を運ぶか。悩んでいる。
「そういえば、ホテルの人が、夜食にサンドイッチとか用意しているとかなんとか」
「えっ? 本当?」
「うん」
現金なものだ。速攻で夏樹は立ち上がる。
「よし、行こう」
「お、おう」
ハムサンドか、卵サンドだったら良いな。あれ? おにぎりだったかな? だったらおかかが良いな。個人的にはこういう時はフルーツが欲しいけど。
勉強部屋に戻ると、みんなワイワイと思い思いに勉強していた。何故か、会長が先生のような事をしていた。
「そうだ。つまり、この古文の訳は、私の方が正しいと証明された。故に、この問題集の答えは間違っている」
……いや、まぁ、うん。何に挑んでいるんだ、会長は。
会長はひとしきり盛り上がって、椅子に座り直すと、物憂げにため息を吐いた。その事に僕以外は誰も気づいていなかった。
この本調子じゃない感じは、なんだろうか。それは、僕が首を突っ込んで良い事なのだろうか。参謀とか言われているけど、僕は、乗り気ではない。でも、放っておくのも後味が悪い気がする。わからない。どうしようか。
ハムサンドはからしが効いていて、正直美味しいと思ってしまった。
古文の問題は、時代がこちらに近ければ近いほど読みやすい事に気づいた。当たり前だけど。
「違うよ、相馬くん、ほら、ここ。まぁ、確かに読みにくいけどさ」
「うん」
夏樹の丁寧な説明を受けて、感覚派のイメージがあったけど、夏樹の説明はわかりやすい。伊達にテスト前に放課後授業なんてしていないな。
「頼れる委員長様を独り占めと言うのも贅沢な話だよな」
「いえいえ、遠慮しなくて大丈夫でございますよ」
それでも、どこかぼんやりと考えてしまう自分がいた。肝試しとか、会長が少し企画している部分もある。会長はしっかりとやりきってくれるのだろうか。不安になる自分がいる。
「おーい。聞いている?」
「聞いてはいるよ」
明日、生徒会で肝試し……陽菜が震えていたのはまあ、スルーで。脅かし兼道の警備。最恐の物にしようと会長が言っていた。
僕がしっかりしよう。みんなが求めているのを知ってしまったから。
無意識のうちに頷いた。力の入った手に重ねられた手。
「今は、お勉強。しよ?」
「うん。さて、次の問題だ」