第四話 夏樹、愛を向けます。
「布良」
「はいはい。どうぞ」
「それと」
「資料なら、あるよ」
「そうか、それと」
「うんうん。あれは、そうだねぇ。B案が良いかな」
「そうか」
以上。たった今、目の前で行われた、会長と夏樹の会話。会話と呼んでも良いものなのか、微妙な所ではあるが。
「夏樹」
「うん。陽菜ちゃんにお願いしてあるよ」
「……どうも」
……夏樹は予知能力者だった……!
「違います。相馬君」
「陽菜もだったな」
「いいえ。観察の成果ですよ」
陽菜は、当たり前のようにそう言う。
「相馬君と会長は、思考パターンは似ているので。予想は容易いです」
「へぇ」
そんなほいほい考え方を読まれると、外しに行きたくなる。
「陽菜」
「はい、先ほど頼んでいた物ですよね」
「違うよ……」
張っておいた罠を起動させようとした、が、それに被せるように、目の前に水筒が置かれた。
「……正解です」
僕は勝ち目のない勝負に挑んでいたみたいだ。
「夏樹ってさ、会長とはどんな感じなの?」
「どんな感じって?」
「ほら、仕事する上で、相性って大事じゃん。僕と会長は、まぁ、相性は良いと思うんだ。夏樹はどうなのかなって?」
家に帰って、テレビ電話で話す。一緒に勉強することも多いが、もっぱら雑談だ。
「んー、悪いんじゃない? 私が合わせることの方が多いから」
「そうなんだ」
「うん。ちょっとしたご機嫌取り? をこなしてたら。それに、相馬くんに似てるし。考えている事、わかりやすいよ」
「はぁ。そんなにわかりやすいかな?」
「うん」
夏樹は、はっきりと、強くうなずく。
「だって、相馬くんが欲しいもの、それと、会長が欲しいものは同じだもん」
「それは?」
「心から信じられる、絶対に裏切らないし、見捨てない、そんな人。心から、自分を愛してくれる人。自分を肯定してくれる人。自分の事を理解して、その上で受け入れてくれる人」
答えられなかった。その答えに対して。
「相馬くん。相馬くんは、私の事、その願望通りの人だと思う?」
だけど、夏樹は、問いを重ねて、僕の逃げ場を奪っていく。
「それは……」
夏樹は、僕を受け入れてくれた。夏樹が向けてくれる気持ちは、確かに好意だと思う。夏樹は、僕を見捨てなかった。
答えられず、頭の中に問いを巡らせる僕に、温かい目が向けられる。
「うんうん。それが正しいよ。その沈黙は、とても正しい」
「どうして?」
「ここではっきりと、イエスと答えられても、困っちゃう。だって私、嘘つきだし。……いやいや、相馬くんの事は、とても大好き。でも、私が私を信用しきれてないから。相馬くんが人を信じきれてないように。ねぇ、相馬くん、会いたいよ。心から、そう思う」
これは、傷跡のようなもの。癒えた傷も、痕は残るし、暫く疼く。それは、当たり前のことだ。
夏休みが始まる。その事をはっきりと意識してしまうと、なかなか、ワクワクする部分もある事はある。変な気分だ。
あの夜の会話は、僕らに影を落とすことも、尾を引かせることも無かった。
僕は、ぼんやりと窓の外を眺める。夏の空は、今の僕には広すぎた。世界の広さを、嫌でも意識させた。
頭を抱えてしまう。頼りねぇ。いや、違うか。
これは、これからなんだ。時間をかけて、少しずつ、焦ってはいけないことなんだ。だったら、今やるべきことは一つだ。
思わず、口元が緩む。笑みを形作っていることがわかる。
「今楽しければ良いみたいな人がさ、よく非難されるじゃん」
「そうだね」
「でもさ、今楽しまないで我慢したとして、これから楽しい事があるって保証できる人って、どれくらいいるかな」
「いないと思う」
「でしょ?」
僕の言葉に、夏樹はきょとんとした表情になる。
「どっちも大事なんだよ、これからの事を考えることも、今を楽しむことも」
「当たり前だね」
「その当たり前を、僕たちは忘れがちなんだ」
差し出した手は握られた。ならあとは。
「じゃっ、さぼろっか」
「いやいや」
ですよね。ノリで行けるかと思ったけど。
「放課後まで、我慢してね。今日はせっかく、生徒会が休みなんだから」
真面目な委員長は、委員長らしく、言う事が真面目でした。時々現れる真面目じゃない部分は、今日はお休みのようです。
「あの、陽菜先輩」
「はい」
「またですか?」
「またです」
陽菜先輩が放課後、私の所に来て、着替えるように指示。今回は、ギャル風の変装のようです。
「やってみたは良いですけど、絶望的に似合いませんね」
「まぁ、陽菜先輩はもっときゃぴきゃぴした表情を作れないと」
「……きゃぴ?」
「全然だめですね。莉々は……」
「何度こちらを見ようと、莉々はやらないから。着替えないから」
「ですよねぇ」
さて、と。観察対象は今回、どうやらカフェでお洒落にコーヒーでも飲むようですね。うんうん、雰囲気も楽しそうです。
「わかっていないね。このカフェは紅茶とガトーショコラが良いのに」
「莉々はよく来るのですか?」
「えっ……あ~。たまたま知ってた」
「? その割には、注文に迷いが無かったですね。いつも頼む、慣れた感じがありました。それに、事前にこのお店のサイト見た時、紅茶に関しては特に記述はありませんでしたよ」
「乃安ちゃん、たまに鬼畜だね」
「いえいえ、陽菜先輩ほどでは」
「乃安さん、誰が鬼畜と?」
「あ~、いえ、陽菜先輩はとても愛らしく、尊敬できる素晴らしい先輩ですよ」
「ありがとうございます。お礼に後で私の部屋に来てくださいね」
陽菜先輩の目が、妖しく光った、ような気がした。
「乃安ちゃんは、無自覚Sか」
莉々が、ぼそりと呟いた、その声は聞こえなかったことにした。自分ではMのつもりなんだけどな。ドがつくほどでは無いけど。
それよりも、二人を眺める。
自分には遠い光景だ。一時期、私が今の夏樹さんの座る位置にいたけど、今では、ただの夢のようだ。なんか違う、私には合わない気がする。
だから、これで良いんだ。だから、この光景が楽しめる。二人の関係を、温かい目で見ることができる。楽しそうで、素直に嬉しく思える。
「餌付けして良い?」
「餌付け? なんで?」
「すっごく美味しそうに食べるから」
「一口どうぞ」
フォークに乗せたガトーショコラがこちらに差し出される。
「どうも」
「ここのガトーショコラは美味しいんだよ。それと紅茶」
「へぇ」
「なんでか、コーヒーの方が有名だけど」
「そうなんだ」
僕は迷わずコーヒーを頼んだけど、夏樹も迷わず紅茶頼んでた。
「飲む? 一口」
「飲む」
一口頂く。あっ、ほんとだ。飲みやすい。
「相馬くんも、美味しそうに飲むじゃん」
「そう?」
「うん」
夏樹ほどじゃないと思うけど。
「夏休み、ほとんど時間無いね。これ見ると」
「だね」
「今年は、私の家族、ちゃんとお盆するんだ。今までは、私に気を使って、二人で旅行と称してたけど、今年は違うの」
「良いじゃん。ちゃんと行ってあげて」
夏樹が、薄く微笑む。どこか儚げに見えて、一瞬、いなくなるのではと怖くなる。この時間がただの夢だったのかと思いかける。
でも、夏樹は次の瞬間、いつも通りだった。
「そんな顔しなくても、私は大丈夫だよ。信じて。相馬くんが信じてくれれば、相馬くんが信じる私なら、私は信じられる」
「うん」
「少しなら、信じてくれるでしょ? 今なら」
「うん」
手を伸ばすと、手を握ってくれる。夏樹の優しさが、染みわたってくる。
僕らの日々は、寄り添う日々。癒し合う日々。支え合う日々。僕らが生きて行く世界、広い世界の中で、道を示し合う。世界の広さに飲み込まれそうになった時、近い存在を教え合う、だから僕は、自分を見失わないで済むのだ。