第十話 夏樹と包容力。
そう、包容力だ!
陽菜ちゃんの腕の中で気づいた。包容力こそ、女の子に必要なスキルであると。そう、腕の中で眠れば安心した睡眠と快適な目覚めが保証される、そんな。
そう、甘えるための抱き着きでは駄目だ。安心させる抱き着き。いいえ、抱きしめて、そのまま深い眠りを誘い、そのまま朝を迎えてもらう。そんな。
ならば、私がどうするべきかは決まっている。
私は、相馬くんを安心させる女になれば良い。その向こうに、頼られる女はある。じゃあ、あとは、そうだな。お姉さん気取ってたけど、案外、子どもっぽいのかも、私。大人な立ち居振る舞いが、よくわからない。
「陽菜ちゃん!」
いつも通り抱き着いてみる。陽菜ちゃんはいつも通り抱き着かれる。無抵抗で。
「おはようございます。夏樹さん」
そして、この余裕。
なるほど、余裕か。大人な余裕。ヒントがある気がした。
あぁ、良い匂い。サラサラな髪に顔を思わず埋めてしまう。
「……あの、変態じみているので、やめた方が良いのではと、一応警告しておきます」
「はっ、ごめんなさい」
そう、何されても揺るがない、乱されない。その余裕こそが、私に足りないものだった。心を乱されず、明鏡止水。
なら、普段抱き着かない人に抱き着くのもありかな。
というわけで、莉々ちゃん。
「やっほー」
廊下で、目の前を歩いていたから、ぴょんと抱き着いてみる。
「……はぁ」
「ん? 何でため息?」
「いえ、はい。夏樹先輩。とりあえずそのふかふかした凶器を私の背中から外していただきませんか? ちぎりますよ?」
「あう」
思わずパッと飛びのく。
「あっ」
心が乱されてしまった。どんな時も余裕を失わない女、布良夏樹の新たな仮面は一瞬でどこかに吹き飛んで行ってしまった。
「どうかしましたか? 布良先輩」
「どうかしちゃったよ~。動じない女になりたかったのに」
じーっと、莉々ちゃんは私に視線を送る。刺すような視線だ。視線にめった刺しにされる。
「莉々、あっ、夏樹先輩も」
「乃安ちゃん。はい、ぎゅー?」
「どうかしましたか?」
「私のやっていること、逆に子供っぽいかも」
「そうですね」
私はふらふらと壁にもたれ掛かり、二人を眺める。う、先輩なのに、心配するような視線、送られてる。
心が痛いよ。大人な頼られる女になりたいのに。
どうすれば良いんだろ、私。動じないことの難しさ。はぅ。
「あっ、そろそろ時間ですね」
乃安ちゃんが唐突にそう言うけど、周りを確認しても時計は無い。
「行きますよ、莉々。先輩、ではまた」
乃安ちゃんが階段を昇って行く。それと同時に、予鈴が鳴った。
「腹時計?」
ものすごく正確な。
「なぁ、陽菜」
「はい」
「久々に、喋った気がする」
「……はい?」
「自分でも何言っているかはわからないけどさ」
本当、変な事言っている気がする。まぁ良いや。
最近、夏樹が僕に弁当を作るようになった。今までは無かったことだから驚いてはいるけど、同時に嬉しいという気持ちもある。夏樹は、どこか僕に手料理を振舞う事を嫌がっているところもあったから。
夏樹に陽菜と乃安の職業を明かしてから、その傾向はさらに強まっていた気もする。だから、彼女の中でどんな変化があったのか、僕にはわからないけど、嬉しい事には変わりはない。
そんな僕の弁当を、陽菜はじっと眺めている。
「相馬君、卵焼き、一つよろしいですか?」
「よろしいけど。どうしたの?」
そう言いながら、僕は箸で差し出す。陽菜はそれを直接口で受け止めて。咀嚼して、飲み込む。
「ふむ、なるほど。いえ、興味があったので」
陽菜はどこか考え込むように、頷き、そして。
「美味しいです」
陽菜はそう結論付けた。
夏樹が、どこかホッとした顔をした。僕は目を下げて弁当を眺めた。よくわからない感情だった。
陽菜が認めた。その事の大きさを感じたからなのか。でも僕は、僕にとっての一番美味しい味は、あくまで陽菜の料理なのかもしれない。陽菜の卵焼きより美味しい食べ物を僕は知らないと、改めて気づいた。自分で作る味気ない料理や乃安の作る無茶苦茶美味しい料理よりも、でも夏樹の作る弁当はまた別の感慨があって。
戸惑う。ご機嫌な夏樹と、機嫌の良い陽菜と、それをどこか、温かい目で見守るみんなと。なんで、温かい目で見守られなければならないのか、よくわからないけど。
よくわからないことだらけだ。
「そりゃ、お前は心配な奴だからな」
京介はそう言った。
「どういう意味だそりゃ」
「そのまんまの意味だ。お前は心配な奴だ」
体育の時間、外でソフトボール。打順を待っている。甲高い音が鳴り、白球が宙を舞った。それだけの光景。結構遠くまで飛んでいる。
「お前、ほっといたら死んでそうだもんな」
「陽菜にも言われた」
「ははっ、なら俺の見立ては間違いじゃないってことだ。お前を一番わかっている奴からのお墨付きか」
京介の打順が来た。一球目で振って甲高い音。京介の姿は三塁だ。
「はぁ」
「おら、相馬! とっととホームラン打て」
「無茶言うな」
そう言いながらフルスイング。苦手なんだよな、ソフトボール。というか、球技全般。
カキーン。
「は?」
ボールは山なりに、飛んで行く。
「あっ、走ろ」
猛ダッシュ。一周して戻ってくると、肩を叩かれて迎えられた。
「それで、僕が放っておくと死にそうって?」
「あっ、あぁ。そうだな。続きだな」
まだノーアウト。時間はある。
「お前さ、一人だと絶対自分大事にしないだろ」
「どうだか」
一番最近一人になった体験は、一年の春休みだろうか。あの頃の僕は、どうしていただろう。もう、覚えていない。
「わからん」
「だからまぁ、お前には誰かいてやらんと駄目なんだよ」
「うん、言われたことある」
「おいおい」
手を後ろに向ける。軽い衝撃と共に、テニスボールが手に収まった。
「京介、頼んだ」
「おう」
テニスボールは、テニス場に帰っていった。
「いっくよー、陽菜ちゃん。それ!」
「はい」
「それ」
「はい」
「それ」
「はい」
山なりなラリーが続く。夏樹さんは、コントロールは良い。ただ、軽く左右に振り分けて見ると。
「あーれー」
すぐ転ぶ。
「! もういっちょ!」
「どうぞ」
サーブを打つ。夏樹さんは不思議なことに、回転をかけても普通に返してくるから、本気で倒すなら、早めのボールを左右に打ち分けるのが一番手っ取り早い。素人なのか、経験者なのか、本当に、わからない。そんな動き。
動きは初心者臭いけど、うーん。センスある素人?
そう思っていた矢先の事。
「わー、あっ! ごめん」
夏樹さんが特大ホームランを飛ばした。
「ソフトボールやっている方向ですね」
「うん。取ってくるよ」
「あっ、待って、あっ」
「ふぎゃっ」
夏樹さんの頭に、テニスボールがクリーンヒットした。
「うぐぅ」
投げ返してくれた人は、当てられでもしたのでしょうか。完璧な軌道で夏樹さんの頭に当てましたね。いえ、偶然でしょう。夏樹さんの運が悪かった。それだけです。
「陽菜ちゃん、そんな目で見ないで……」
「どんな目ですか?」
「憐みの目」
「では、この目で」
「もっといやー。蔑まないでー」
乙女心は、度し難いものです。
こんな人でも、相馬君の事なら、任せられる。そう思える。きっと、彼の事を支えて行ける人だと思う。そう確信している。
私はもう、必要ない。
二人で支え合って生きて行って欲しい。ふと、空を見上げた。ラケットを頭の上にかざした。
「うぐ」
ソフトボールは防いだものの。その衝撃でラケットが頭に衝突した。
二人で頭を抱えてしばらく呻いていた。




