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【書籍化】氷月の騎士は男装令嬢~なぜか溺愛されています~(旧:侯爵令嬢は秘密の騎士)  作者: 藍上イオタ@天才魔導師の悪妻26/2/14発売
本編

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35.アイスベルクの春


 今日はぬし様の湖に行く。その後、町へ行こうと思う。町歩き用のワンピースを誰に気兼ねなく着られるようになったのに、胸にはポッカリと穴が開いている。

 誇らしかった士官学校の制服。黒いマント。いずれは、騎士団の白いマントを羽織れたならと憧れていた。でも、その夢はついえた。いや、そもそも望んではいけない夢を見ただけだったのだ。



 

 今年は湖の氷が解けるのが遅い。

 秋の狩りシーズンにフェルゼンが来なかったからかもしれない。なんとなくだが思うのだ。ぬし様はフェルゼンを気に入っている。寂しがっているのかもしれない。

 もう春も来ようとしているのに。

 薄く張られた湖の氷に、一片の雪が舞った。

 

 ごめんなさい。心の中で謝る。もう、フェルゼンはここには来ない。

 すべて私の我儘で、いろんな人を傷つけた。それなのに心配してくれる人が居る。


 ミシリ、湖の氷が鳴った。



「……本当に女の子だったんだね……」


 懐かしい声が後ろから響いた。

 忘れようにも忘れられない、柔らかくて芯があって強く深い王者の響き。

 

 シュテルの声だ。


 ずっと聞きたかった。恋い焦がれていた声だ。夢でいいから聞きたいと、そんなふうに思っていた。

 それなのに、怖い。

 自分の本当の姿を知られるのが怖い。

 振り返れない。失望する顔を見たくない。逃げ出したい。逃げられない。


 ずっと騙し続けて来た罰が、今、下される。


 サクサクと凍える大地の上を踏み進む靴の音。

 真っ直ぐに迷わない足取りで、振り向かない私の横に並んだ。


「ベルン」


 名前を呼ばれるだけで、息が止まる。胸の中で何かが広がって膨らんで、はち切れそうになる。 

 

「迎えに来た」


 迎えに来た、そう言った。ここは私の領地で、ここが私の居場所なのに、シュテルは私を迎えに来たと言う。


 恐る恐るシュテルの顔を見た。

 優しく微笑んでいて泣きたくなる。

 名前を呼びたくて、でも声が出なくて、息を吸った。


 そこへ馬の蹄の音が響いた。

 見ればウォルフが、ヒラリと馬から舞い降りて私に走り寄った。


「ベルン様から離れろ!」


 ウォルフが剣を抜く。シュテルに剣を向ける。


「ウォルフ! 止めて!!」


 慌ててシュテルを背に庇う。


「この方は王子だ! 剣を向けるようなことは許されない!」

「知っている! だが今更なんだというのだ!」


 嚙みつくようにウォルフは叫んだ。獰猛な獣のようだ。


「王子というだけでベルン様の背に守られて安穏と生きている奴が、隣に並べると思っているのか!」


 ビリビリとするほどの怒りだ。

 シュテルは黙って、私の背から前に出た。


「僕は姓を置いてきた。もう王族じゃない。不敬には当たらないよ」


 シュテルの言葉に息を飲む。だって、まだ早い。成人は二十歳だったはずだ。

 シュテルはスラリと剣を抜いて構えた。ウォルフと睨みあう。

 キンと凍える空気が緊張をはらんで、今にも砕けてしまいそうだ。


「やめて!」


 再び二人の間に入る。

 二人とも傷つけたくない。傷つけあって欲しくない。


「ウォルフ、剣を収めろ。これは命令だ。シュテルも剣を仕舞って」


 私の言葉に、渋々というように二人は剣を仕舞う。


「いったい、なんなんだよ!」


 ムカムカとせり上がってくる。なんで二人が傷つけあわなくてはいけないのか。意味が分からない。


「ベルン、選んで」


 シュテルが言った。


「なにを」

「僕と王都へ来るか、アイツとここへ残るか」


 ウォルフは黙ったままこちらを見ている。真っ黒な瞳が私を捕らえるように見つめている。


 私はため息を吐き出した。そんな選択を聞く意味が分からない。そもそも私は王都に居場所がないのだから。


「シュテル、私は王都には戻れないんだよ。知ってるだろ?」

「この春、女騎士が正式に認められることが昨日可決された」

「……え?」

「君がその第一号になる」

「嘘」

「だから、君を迎えに来た。無論、女騎士にはまだ反対意見もある。アイスベルクを疑っている人もいる。辛い思いもすると思う。ここみたいに穏やかに生きられないかもしれない。だけど、僕と一緒に来て。士官学校へ帰ろう。一緒に卒業しよう」


 胸に熱いものがこみ上げてくる。

 一緒に卒業、諦めていた夢が叶うかもしれない。女騎士になって、みんなと一緒に騎士になる夢が叶うかもしれない。


 でも、望んで良いのだろうか。また分不相応な夢を見て、周りを傷つけるんじゃないだろうか。


 ふとウォルフを見れば、柔らかな目で私を見ていた。行ってこいと語る瞳だ。


「ベルン様、嫌になったらいつでも帰ってきてください。あなたの帰る場所はここだ」

「……うん」

「ご武運を」


 何時でもそう。ウォルフはそうやって私の背中を押してくれる。大丈夫だって言ってくれて、失敗して逃げ帰ったとしても、受け入れてくれるのだ。


「ありがとう、ウォルフ」


 ウォルフは目礼をして、馬に跨る。そして振り返らずに駆けていった。





「ベルン」


 シュテルに名前を呼ばれて、ドキンと胸が跳ねた。


「その格好も、似合ってる」


 シュテルが顔を赤らめて照れたように笑った。

 唐突な言葉に驚いて、私まで顔が熱くなる。


「あ、ありがとう……」


 俯いて爪先を見た。どうしていいのか分からない。

 シュテルもそれっきり何も言わないから、窺うように上目遣いで見てみれば、シュテルの唇が目に入って、慌てて目を伏せた。


 無理やり、キスしちゃったんだよね……。


 緊急だったとはいえ、なんてことをしてしまったんだろう。

 これで会うのは最後だと思ったから出来たことだけど、こんなふうに顔を合わせることになってしまって、とても気まずい。


「ねぇ、『好きだったよ』ってどういう意味?」


 シュテルに問われて、私は恥ずかしくて答えられずにいた。


「過去形なのはなんで? もう好きじゃない?」


 あまりに悲しそうな声色に、慌てて顔を上げる。

 見たこともない不安そうな顔。


「そうじゃない! でも、もう二度と会えないと思ったから。本当のことを知ったら、嫌われると思った。……ゴメン。嘘ついててゴメン」


 うなだれる頬に、シュテルがそっと手を添え、顔を上げさせられる。


「僕こそ嘘つかせてゴメンね。好きだよ、ベルン。君が君だったらそれでいいんだ」


 シュテルの言葉が沁み込んでくる。ユルユルと心の中に固まった何かが解けていく。


 私が私のままでいい。


 当たり前なことなのに、なんでこんなに嬉しいんだろう。


「私もシュテルが好きだ」


 シュテルが安心したように微笑んで、手を離す。


「僕、臣下に下ったんだ」

「さっき聞いたよ」

「だから、僕と結婚しようよ、ベルン」


 唐突な言葉に、頭が付いていかない。


「アイスベルクは、王族とは結婚しないんでしょう?」


 シュテルはイタズラっぽく笑った。

 私は言葉もない。


「学校のみんなは知ってるよ。僕が君のために名前を早く捨てたって。あーあー、これでフラれたら、僕、いい笑いものだよ」

「ちょっと! シュテル!!」


 外堀から埋められているらしい。相変わらず、悪魔のような天使だ。

 

「危ない橋を渡らないってベルンみんなの前で言ってたもんねー」

「それはそうだけど、そういう意味じゃなくて……!」


 シュテルは伺うように私を見た。


「ダメ?」

「……ダメじゃない、けど、ズルいっ!」


 怒って見せれば、シュテルは全然反省していないように笑った。私もつられて笑ってしまう。

 二人で笑いあって一息つけば、シュテルは真剣な目で私を見た。


 ああ、あの魔法を使われてしまう。動けなくなってしまう。





「僕は、運命も作るよ」


 あの日の言葉をシュテルがもう一度言った。

 シュテルの大きな手が私の頬を覆う。

 血液の中の金属がきっとシュテルに沸騰させられている。身体の中から熱くなる。体を巡っていく鉄が、シュテルの磁石に引かれてしまう。どうしょうもなく触れたい。

 鼻と鼻が触れ合って、息と息が融け合って。


「ほら、逃げないと」


 シュテルが意地悪に言った。


「魔法、使ってるくせに」


 答えればシュテルが笑う。


「違うって言ったでしょ? 理由、分かった?」


 悔しいけれど、答えは一つ。


「……私がシュテルを好きだから」


 そう答えて、悔しまぎれに私からシュテルに口づけた。

 恥ずかしさですぐに離れようとした私の頭を抑え込み、シュテルがあの日の冷たいキスとは反対の接吻を降らせる。

 あんなに冷たかったキスが、最期にならなくてよかった。


 冷たい身体がグズグズに溶けてしまえば、その体をシュテルが抱き留めた。


「呪いが解けて僕の体から出てきたのは、青い琥珀ベルンシュタインだったんだよ。あのモンスターに奪われそうになったのは、君への気持ちだったんだ」


 シュテルは言った。


「守ってくれてありがとう。そして本気でお願いする。僕に結婚の約束をください」


 真剣な瞳に射抜かれる。

 答えなんか決まっているのに。


「約束しよう」


 私は小指を差し出した。

 シュテルははにかんで小指を絡ませる。


 小さいころから何度もしてきた指切り。破ってもハリセンボン飲んだことなんてなかったけど。


 今回だけは例外だ。


「破ったら許さないよ。ハリセンボンだからね」


 そう言えばシュテルが満面の笑みで笑った。



 湖の氷がギシギシと音を立てた。ああ、湖の氷が割れる。

 アイスベルクに春が訪れる。





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