殺人事件は解決した後が一番難しい
「以上のことから考えて、犯人はあなた以外ありえません」
玻璃光彦は探偵である。普段は専ら浮気調査の依頼くらいしか受けないが、ごく稀にこういう殺人事件を推理することもある。営業時間を終了した東京タワーの展望台にいる今回の事件関係者たちは、一人の男に注目していた。
「……もう言い逃れもできないな」
それはスタッフの一人だった。彼が今日の昼、地上百五十メートルの大展望台において観光客をスタンガンで気絶させ、絞殺した真犯人だとたった今判明した。
「なぜ殺害したのか、それだけが私にはどうしてもわかりませんでした。恐らくこの景色が関係しているのだろうとは思うのですが、説明していただけませんか?」
犯人は語り始めた。
「その通りです。でなければ、あいつを殺すのなんてどこでも良かったわけですからね。ここからはスカイツリーがご覧になれるでしょう? 綺麗にライトアップされてますね。そこなんですよ。俺が歌音と冬馬の浮気現場に遭遇したのは」
ここに警察官はいない。この犯人によってエレベーターと階段が通行不可能なまでに破壊されているからだ。
「歌音さんはあなたの元恋人、冬馬さんはあなたの友人で被害者の三重野冬馬さんでよろしいですね?」
大展望台に残されたのは犯人と被害者の遺体、それに光彦、娘の歩美、息子の元太、当時展望台にいた客とスタッフ、合わせれば十五人になる。
「そうです。歌音の浮気は前々から続いていたんです。俺も浮気したことはあって、その時は必死で謝りましたよ」
地上から階段のバリケードを取り除くため、機動隊が動員されている。
「歌音は土下座させた俺の頭をハイヒールの踵で踏みつけるまで許してくれませんでした。それだけ浮気は悪いことだと思っていたはずの歌音の浮気現場を俺が見て、あいつ何て言ったと思います?」
光彦が答えるより速く、小学一年生の元太が口を開いた。
「何て言ったの?」
「『女の浮気を許せるかどうかが良い男の条件よ』だってさ。反省した素振りも見せないんだ。そこに冬馬が『そうだそうだ』なんて相槌を打ちやがったもんだからいい気になりやがって、それが許せなかった」
「だからって殺すのはだめだよ」
元太は犯人の罪を追及する。
「生きていれば、いつか反省して謝ってくれたかもしれないでしょ?」
「子どもにはわからないことだってあるさ。冬馬はそんな奴じゃない」
「わからないよ。人を殺めるほど心の狭い犯罪者の気持ちなんて、一生わかんないよ」
光彦の制止を振り切り、冷徹に言い放つ。
「このガキ……言わせておけば……」
男は右のポケットからスタンガンを取り出した。恐らく犯行に使用したものだろう。周り全員がどよめく。
「こうなりゃ皆殺しだ! 覚悟しろ!」
犯人が伸ばした腕は、元太を捕まえた。
悲鳴を上げる間もなく、元太が気絶させられた。
「まずい! 逃げろ!」
光彦の声で犯人からとにかく離れようとする。しかしタワーの展望台は狭い。
「どこに逃げ隠れしても無駄だ。お前たちの顔は覚えてるからな。皆殺しにするまで探し続けてやる」
スタンガンを鳴らしながら男が巡回を始める。角を曲がったところで、元太の元に姉の歩美が駆け寄った。
「元太、無事かい?」
元太は痛々しく唸った。女性の悲鳴が聞こえる。誰かが見つかったのだろう。
「……許せない」
元太を再び床に置いた歩美が呟いた。
犯人が一週目を終えたときだった。背後から忍び寄った歩美が首にロープを巻きつけ、力の限り引いた。
「このロープに見覚えありますよね? 冬馬さんの首から取ったものですから。捕まったところでどうせ無期懲役でしょうから、この場で償ってもらいます」
「歩美、落ち着け」
その手を離させたのは光彦だった。
「いつも通り落ち着いているよ」
「嘘つけ。いつもの歩美はこんな事しない。このまま続けてみろ。お前も同じ立場になるぞ」
歩美は舌打ちした後、ロープを床に投げ捨てた。犯人が落としたスタンガンを光彦が拾う。
「なぜ助けたんだ」
犯人が尋ねた。光彦はこう即答した。
「あなたを殺しに来たのではないからです。不幸中の幸いと言うか、あなたが奪った命はまだひとつだ。今からでもしっかり反省して謝罪すれば、社会はもう一度やり直すチャンスを与えます。それに、息子を危険な目に遭わせた上で娘を殺人犯にしてしまっては、いよいよ妻の墓に会わせる顔がない」
「お前、妻が死んでるのか?」
ロープを回収しながら光彦は答える。
「ええ。苗子と言うんですが、息子を産んですぐにね。殺されたんです。探偵なんてやってると、身内が危ない目に遭ったりするんですよ」
ロープを犯人の手首に回した。
「一応、行動を制限させてもらいます」
階段を駆け登る音が聞こえ始めた。機動隊がバリケードを突破したらしい。光彦が最後に、犯人の耳元でこう言った。
「私たちに仰ったことを、裁判所でもそのまま言ってみてください。真実を話せば裁判官は正確に判断を下しますから、あなたもその判決に納得できるはずです」
ドアが開かれた。
「突入!」