運命の日の前日
タイトルをちょこっといじりました。内容は特にはいじってないので(以下略)
日が西に傾き、空がきれいな橙色に染まる頃、農作業を終わりにした俺と父さんは、家路を歩いていた。
「全く……お前は長男のくせに早起きもろくにできないのか? 農作業は朝が肝心なのだぞ。分かってるのか?」
歩きながら、父さんが俺に説教をしてくる。今朝の寝坊のことだ。
「父さんも知ってるだろ、俺が朝にだけは弱いことくらい」
俺は少しうんざりしながら、顰めっ面で返した。そうしたら父さんは、今度は鼻を鳴らして、俺に言う。
「ほう、『朝にだけは』だと? ムカデと毛虫を見ただけで悲鳴を上げるくせにか?」
「うっ……」
俺は言葉を詰まらせた。そんな俺に、父さんは畳み掛けるように続ける。
「それだけじゃないぞ。この前肥料を撒かせたときは、肥料の臭いで吐きかけただろう? そのもっと前には、蜂が近くに飛んできただけで逃げ帰ったじゃないか」
父さんはそこまで言うと、したり顔になって言い放つ。
「どこがだ? 虫も肥料もダメなお前の、どこが『朝にだけは』なんだ?」
「は……はははは…………」
完全に返す言葉を無くした俺は、苦笑いをしながら、父さんの目から視線を逸らす。
そんな俺を見てから、父さんは正面に向き直り、鼻を鳴らすと止めの一言を言い放った。
「まだまだ、お前に畑は任せられないな!」
「はは……はい…………」
俺は苦笑いの後に、肩を落として頷いた。……ここで、俺の身の回りについて、もう少し詳しく説明しておく。
まず、父さんの名前は龍走 厳。“厳”って名の通り、俺に厳しくて口煩い、それでいて反論しようものなら簡単に説き伏せてくる、畑仕事40年一筋の、頑固親父だ。外見もいかにもそんな感じの、少し大柄でがっしりした身体に、ちょっと皺が寄った50代の老け顔、眉間にも幾らか皺が寄っていて、若干の厳つさがある。
また、麦わら帽子を被っているから今は見えないが、頭頂部の毛が少し薄くなりつつある。
「……翔太、今父さんのことを、ハゲって言わなかったか?」
……それともう一つ、変なところで滅茶苦茶勘が鋭い! …………っと、こんなことしてる間に、俺の家に着いたみたいだ。
俺の家は、古い木造の二階建てで、広さはまあまあ、片田舎ってくらいだから、藁葺きの屋根の家だ。
家の裏は、少し高めで急な坂になっていて、そのすぐそばには田んぼがある。
「鱗、正子、帰ったぞ」
父さんは、引き戸を開けて帽子を脱ぎながら、そう言って家の中に入っていき、俺もその後に続いて入っていく。
説明するまでもないかもしれないけれど、さっき父さんが呼んだ人の名前は、龍走 正子で、俺の母さんだ。
「お帰りなさい。あなた、翔太。たった今ご飯の用意ができたわ。囲炉裏に座って」
母さんはそう言いながら、さっきよそったばかりなのか、白い湯気を上げる白飯が入った茶碗を持って、囲炉裏に向かう。囲炉裏には、妹の鱗がもう座っていた。
俺と父さんは、すぐ横の水道で手を洗い、履いていた長靴を脱ぐと、俺は鱗と、父さんは母さんと向かい合う形で座る。
そうしたら父さんが合掌し、その後に俺たち三人が手を合わせると、
「「「「いただきます」」」」
全員で声を合わせてそう言ってから、食事を始める。俺は熱い鹿汁を啜りながら、正面に座っている鱗に、ふと目を止める。
俺の妹の龍走 鱗は、歳が俺の二つ下。農業をせずに、毎日村から片道2時間かけて、高校に通っている。
外見は、低めの背に少し細めだけど優しい目付き、穏やかな笑みを浮かべているような口元、長めの黒髪を、後ろでひとつに縛っている。性格もその容姿通り、穏やかで明るい、他人に好かれやすいタイプだ。
「……お兄ちゃん、何? また私の鹿汁狙ってるの? 本当、食い意地張ってるわね……」
……もう一つ強いて言えば、こいつは俺に対してだけ、少し腹黒くなるな!
次に俺は、そんなことを思いながら、母さんに視線を移した。母さんは、地味な着物と割烹着がよく似合う、40代後半で少し皺が寄ってはいるが、綺麗な顔立ちの専業主婦だ。背は俺とほぼ同じくらいで、そんなに大きくはない。性格は温厚だけど、口は父さんと同じくらい達者で、俺の文句なんか全然効かない。
そして何より、母さんの作る料理は絶品だ。いま俺が啜っている鹿汁なんかも、本当に頬が落ちそうなくらいに、美味い。
でも、何も作れない俺が言うことじゃないが、ちょっと品数が少ないかな……。
「あら? ご飯の文句言うと、もう作ってあげないわよ?」
……母さんについてももう一つ、父さんみたいに、変なところで勘が物凄く鋭い!
…………まあ、こんな感じのが、俺の家族だ。ちなみに俺、翔太は、身長は170㎝ほど、体型は一応農業従事者らしく、まあまあ筋肉質、黒い短めの髪に、少し鋭い目付きで口元が締まっている。要するに、普通の18歳の男だ。
こんなところで考えるのを止めた俺は、鹿汁が入った器を置き、ご飯に手を出した。その時、
(ジリリリリリリン……ジリリリリリリン……)
俺の後ろで、突然黒電話が鳴った。
「……はい、龍走です」
後ろを向いて受話器を取り、それを耳に当てた俺はそう言った。
『あ、翔太? 俺、遣主佳だよ』
すると、受話器から聞こえてきた声に俺は、思わず少し元気に答えた。
「よお、遣主佳!」
今俺が話している、遣主佳っていうのは、本名は流獄 遣主佳。
俺の幼馴染みの男で、簡単に言えば、俺の一番の親友だ。俺の声に、電話の向こうの遣主佳が答える。
『さっき学校から帰ってきたところだ。お前は、今は飯の時間ってとこか?』
「ああ、ちょうどそんな時間だ。ところで、こんな時間に電話するなんて、何か用か?」
俺は遣主佳の問いに答えてから、用件を尋ねる。
『ああ、そうだった。ちょっと、お前の親に代わってくれないか? 話したいことがあるんだ』
その答えに、俺は後ろを向き、俺を見ていた母さんに伝える。
「母さん、電話」
「はいはい」
母さんは食器を置くと、電話の前に来て、俺から受話器を受け取り、それを耳に当てる。
「はい? …あら、遣主佳くん。こんな時間にどうしたの? ……え? …あら、そうなの? わざわざありがとね。それで、いつなの?」
普通に電話の対応をしていた母さんを、俺はご飯を食べながら、なんとなく見ていた。すると、
「っ!! ……わ、分かったわ。ありがとね」
母さんは一瞬、間違いなく驚愕したような顔をすると、すぐ元の表情に戻し、少し震えるような口調になってそう答えると、受話器を置いて電話を切る。
「……? どうしたんだ、正子?」
父さんに尋ねられた母さんは、振り向いて父さんと向き合うと、やっぱり少し震えるような口調を、必死で隠すように答えた。
「『竜狩り』の日程が決まったんですって」
「……何? いつだ?」
すると父さんは、一瞬遅れてもう一度尋ね、その言葉に母さんが答える。
「明日……ですって…………」
「っ!! …………そ、そうか、明日か。それはまた急な話だな……」
その答えに、今度は父さんも、一瞬驚いた表情をしてから、母さんみたいに震える口調を隠すようにそう言い、ハハッと笑った。でも、その笑いはまるで作り笑いみたいで、いつもと何かが違った。
「……? ……『竜狩り』明日なの?」
ここで鱗が、そんな二人の妙な様子に、少し戸惑いながらも、おずおずと二人に尋ねる。
すると母さんが、はっとしたように鱗の方を向き、答える。
「そ、そうよ。さっき決まったみたいなの。本当、急よね」
(…………?)
俺はそんな母さんの表情に、また何か違和感を覚えた。
母さんは笑っているのに、全く笑っていないような…………そう、笑っているのは表面だけで、裏にはまた何か別の感情を持っているような……
「翔太、鱗、そういうことで明日は『竜狩り』の日だ。夕飯が済んだら、すぐに寝なさい」
ここで、父さんがそんなことを言ったため、俺と鱗は、同時に父さんの方を向く。父さんも、無表情ではあったけれど、やっぱり何か違和感を感じた。
でも、『竜狩り』の前日はいつも早く寝ろと言われていた俺たちは、その言葉自体には違和感を持たずに、二人で頷くと、また夕食を食べ始めた。