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チラシ 第三話 『父、丸田八郎』


 丸田八郎は、自分の将来の夢は、何かと考えてみても、なかなか思い浮かぶものはなかった。丸田八郎は、他人から見るといろいろと趣味があって、人との話題にもそつなく対応することができた。また、上品なユーモアのセンスを身につけており、職場においても人に嫌われるタイプではなかった。


 八郎は、自分は動物で言うと神経質なカバタイプの人間だと思っていた。自分の領分を侵されそうなときには、とても神経質になる。そして、穏やかそうな外見からは想像できないくらい危険なときがある。心穏やかならぬ出来事の連続である人生の日々であるが、いまのところ、危険性はなかなか外には現れていなかった。


 ところで、作者の見るところ、丸田八郎の夫人美佐を動物にたとえると、彼女はライオンや虎であった。生まれながらのファイティングスピリットを身につけており、絶えず、自分の世界において、にらみをきかせていた。


 外に目を向けた夫人から見れば、夫の丸田八郎は、野心がなく、その小心な、小物感が鼻についていた。


――つきあいだした頃は、そうでもなかったのよね。もう少し、気概のある、男らしい男に思えたのに……


 夫人は、恋愛結婚であったが、自分で選び取った伴侶に少しばかり不満を持っていた。


 夫、丸田八郎との結婚の際、経済的状況を、夫人の親たちが知ると、結婚に、大いに賛成した。万人に祝福されての結婚生活であった。丸田家の家庭には、いままでのところ大きな波風も立つことなく、結婚生活は進行していたのだが……


 *       *


 丸田八郎は、一枚の写真を眺めていた。丸田八郎がまだ小さい頃にとった家族写真であった。写真には、丸田八郎の祖父母、両親、そして、彼の兄弟、姉妹が写っていた。


 そして、祖父に一匹の犬が抱きかかえられていた。


 丸田八郎は、その写真の犬をじっと眺めていた。犬は毛のふさふさした子犬であった。犬は、祖父の両手の中にしっかりと抱きかかえられており、写真は、正面をむいたカメラ目線の犬をとらえていた。


 丸田八郎は、誰にも話さないが、この写真の犬が、実に自分の家で飼っているタロウによく似ていると思っていた。


 丸田八郎は、タロウが初めて家に連れてこられたとき、まだ、子犬であったがどこか見覚えがある犬であると思った。そして、タロウは、育っていくにつれて、どんどんと写真の犬に似てきた。丸田八郎の父であり、丸田肇の祖父であるものがハヤブサ号と名前をつけていたその犬に。


       *       *      


 丸田八郎の記憶の中のハヤブサ号は、口の中の水分が幾らか多く、少しよだれが垂れ気味であった。ハヤブサ号のだらしなく空いた口元が、せわしない呼吸の音とともにいまでも、丸田八郎の記憶に残っている。


 丸田八郎がそれをネタにハヤブサ号を、「お前の愛想も、汚らしいよだれで台無しだな」とけなすと、冷やかすと、ハヤブサ号は言葉が分かるのか八郎にえかかってきた。八郎は、そういうハヤブサ号の怒る姿をみるのが単純に好きだった。八郎に悪意は無かったのだがハヤブサ号はそう考えていなかった。時と共に、ハヤブサ号の吠えかたに憎しみがこもりはじめた。


 丸田八郎と、始終吠えかかっているハヤブサ号との間には、外目には緊張関係があった。ハヤブサ号の気性の荒さが増し、なにかの事件を引き起こしはしないか回りのものは恐れた。


 しかし、自分の家の犬のタロウが、子供時分に飼っていた犬に似ていたとしても、それは、どうでもいいことであった。八郎とハヤブサ号は良い関係ではなかった。八郎は、ハヤブサ号がどうやって死んだのかも覚えていないくらいであった。実際に、この二匹の犬が似ているからといって、それは全く気になることはなかった。


 しかし、数か月前くらいから、丸田八郎はそれがとても気になってきたのである。つまり、家のタロウが実は、ハヤブサ号ではないかと考え始めたのである。そして、実際にタロウがハヤブサ号か確かめて見たくなった。八郎はハヤブサ号が引き起こした悲劇について知ることになったからである。


 タロウに「お前の愛想も、汚らしいよだれで台無しだな」と声かけてみたら、タロウはどういう反応を示すだろうか。しかし、それを実行すると何か悪いことが起こるのではないかという予感が丸田八郎にはあった。見てはいけないものを、見ることになるのではないだろうか。そう考えると、この思いつきを実行に移す決心がなかなかつかなかった。ことはできなかった。昨晩、タロウが満月を見上げなにか語り合っている姿を見たとき、タロウに魔性のものの影を見たようにも思えた。真相を突き止めたいという気持がいよいよ強くなっていたのだ。


――あいつは、やはりハヤブサ号の生まれ変わりだったのか。


 写真を眺めていた八郎は、つぶやいた。まことに、先ほど丸田八郎に吠えかかってきたタロウの姿は、記憶の中のハヤブサ号そのものであった。


 八郎は、ふと我に返ると、娘の里佳が帰ってきたところだった。


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