第四章・前 これまでの積み重ね
ぐるぐると回転する重力の中から抜け出した。
テレポートの感覚を振り切り、降り立ったのはいつもの研究室。
「ついたよ。…大丈夫?」
「…すいません。少し気持ち悪くて…」
少女に問いかけると、フラフラと壁に手をついているところだった。
「まあ、はじめては大体そんなもん。あとでどっか痛いとかあったら医務室に行ってきなよ」
魔法使いの方は、その背中を擦りながら声を掛ける。
「室長。御早う御座います。その子が前に言ってた奴隷の子ですか?」
一段落して話しかけてきたのは、例の女性研究員。
「うん。読み書きと計算なら問題なくできるよ。会計程度の事務処理なら楽々ね」
へえ、と呟いた彼女は少女に近付く。
「室長…あなたのご主人の下で働いてます。これから長い付き合いになると思うから、よろしく」
出された手を、少女はまだすっきりとしない顔で握る。
「じゃあ、早速だけど仕事の説明するね」
魔法使いは少女を自分のデスクまで連れていき、座らせる。
「ここが君の仕事場」
「これは…」
書類が机上で山を作っているという惨状に、少女は絶句する。
「ざっと三日分貯まってるね」
「…」
無言のまま少女は溜め息をつく。
少女を研究室の事務処理に当てるのを思い付いたのは二週間前。今日はハイルディが家に来てから一週間後だ。
家事のほうも変わらずやってもらうが、書庫整理をなくし、休み時間を融通してもらって暇を作ってもらった。自分が学院で授業や研究しにくるのと一緒に来て一緒に帰るのが日程だ。
「で、頼むのは書類の処理。会計書類は計算して判子。他は適当に判子押して終了」
「…確認などはしなくてもよろしいんですか?」
「大丈夫、大丈夫。俺のとこにあがってくる案件なんて、ほとんど承認待ちの奴だから」
はあ、と戸惑いの色を浮かべながらも少女は頷く。
「ある程度終わったら、終わった書類をあそこの間抜け面に、」
違うデスクに座っていた男性研究員を指す。「室長、ひどい!」
「渡しといてね」
「わかりました」
言った少女は早速書類に目を通し始め、仕事をして行く。
――これなら大丈夫そう。
一桁の数を処理するのを見守り終えたところで、
「すいません室長。ちょっと見てもらいたいものがあるんですが」
事務室の奥、実験室の扉から顔を出した女性研究員が呼んできた。
「了解――じゃああとよろしくね」
「え、あちょっと…!」
わざと制止を聞かない不利をして離れていく。少しの意地悪だ。
実験室に入る前、チラリと見た少女は、やや困惑しつつも仕事へと戻っていた。
その姿は、誰かと似ているようで、でも違っていて、それが救いだった。
「いい子ですね、あの子」
午前の研究と午後の授業の間の小休憩――所謂昼休みに、事務室の一角で話しかけてきたのは「間抜け面」の男性研究員。
「賢い子だよ、本当」
返した自分が食べているのは少女が用意してくれたタマゴサンド。「美味しそうですね」「絶対にあげないからね?」「本当ひでぇなこの人」
「他の奴等にもなかなか人気じゃないですか」
少女の方はというと、少し離れた場所で四、五人の職員達に囲まれて質問攻めにされたり、頭を撫でられたりしている。
「あーあ…髪の毛クシャクシャ…」
「手触り良いですもん。あの子の髪」
触ったのかと聞くとイエスの返事がきたので後頭部をはたいておく。「なんでッ!?」「あの子の髪に触っていい男は俺だけだから」あそこにいる連中もあとで男は拳骨だな。
「――で、どうでしたか?」
「実験結果は良好。うまくいけば再来週にも何かしらはできそうね」
誰も仕事の話なんてしてません、と男性研究員は少しいやらしい笑みを作る。
「あの子の抱き心地は、どうだったんですか?」
なんでそういう話になる。
「女奴隷とあんたをくっ付けて、そういうことを連想しない奴はいませんよ」
「お前らのなかで俺はどういうキャラなんだ」
「伊達にあんたを学生時代から知ってるわけじゃありません」
もっと上手く学生生活過ごすんだったなあ、と溜め息をついた。
「…手出してない」
「ウソだぁ!!」
心の底から驚いたような顔をされる。「地獄の業火」の魔法で丸焼きにしてやろうか。
「いろいろあるんだよ。大人の世界には」
「そこまで歳変わりませんよ」
尋ねる。「幾つ?」「十八です」
「俺らって、年齢的には恐ろしく若いよな…」
「ええまあ。そういう部署ですから」
若い、幼い。思い出したのは、まだやっと分別がつくようになったような歳の記憶。
「なあ、もし――」
「なんでしょうか」
声に気分を変えたのが出たのだろう。相手は真面目な顔でこちらを向いた。
「若い時、いや、もっとガキの時にした失敗の償いは、今、もっと大人になってから、違う形でやっても良いんだろうか」
研究員はパチパチとなんどか目をしばたかせ、立ち上がる。
「知りませんよそんなこと。あんたの方が俺より大人でしょうが」
お前なぁ…、と呆れかける。
「償いなんて、結局は自己満足じゃないですか。そんなもんをいつしようが何しようが、ただの自己満足には変わりありませんよ」
うーん、と「間抜け面」は伸びをした。
「だったら、あんたが満足する方を選べば良いじゃありませんか。自己満足して、それで誰かへの償いになるものを」
そうか、と同意と納得の確認を取るが、さあ?、と中途半端な答えが返ってくる。いっそ焼いてやろうか。
「一応先生のあんたに教えることなんてありませんよ、自分はまだガキですから」
だな、と納得の声をあげる。「そこは納得しないでくださいよ」
そろそろ休憩も終わりだ、と男性研究員は持ち場に戻っていく。自分も授業に行くために立ち上がる。
――償いになって、自己満足できる、か…。
何も変わってはいない。だけど、心の中で少し、何かが動いた気がした。
時代設定は中世なんだけど、文化や戦術や政治形態はルネサンス前期、悪くすると近現代まで進んでるから中世とは言いにくいんだよな…
魔法の社会に対する影響を考えるのは楽しいんだけど、そこの描写がやや面倒くさい…