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魔法世界の奴隷と主人  作者: 小山 優
33/75

第十五章・前 チョコレートトラップ

①②を統合しました

 水を吸って重くなった上着を脱ぎ捨て、砂利の上にその身を投げ出した。

「泳ぎ、疲れたぁ〜…」

 荒い息を寝転びながら整え、全身を脱力させる。

 時間は、太陽の位置から見て、十時ごろ。少女は、落ちた沢からやっと岸に上がれていた。

――…どのくらい流されたかな。

 泳ぎ自体はそこまで辛くはなかった。ただ、今いるような陸に上がれる場所まで流されるまでの間、溺れないようにするのが大変だった。

――感覚だと、十キロは流されたと思うけど…。

 勘に自信が持てない。途中、二回は滝から落ちたのでそこで計算を間違えた気がする。

 胸元に手を当てて、そこに魔法石のネックレスをかけていないのに気付いた。泳いでいる途中でなくしたのか。

――ここは…。

 ゆっくり起き上がり、辺りを見回した。

 屋敷の裏山とは違う、鬱蒼と繁った森が川の両岸に広がり、自分のいる砂利の岸以外は森林土が地面を成している。川は、またこの先に滝があるようで、少し速度を早めて流れていた。

 全体的に、暗い印象を受ける森林の風景だった。

――…どうしようか。

 何はともあれ、屋敷に戻らないといけない。川に沿って上っていっても良いが、滝の高さがどれほどのものだったか覚えていない。そこでよじ登れない高さだったら、帰還ルートは最初から考え直しだ。

――堅実に、どこかの道に出て、村か何かに寄ろう。

 そこで道を聞ければ万事解決だし、最悪でも、こちらの捜索を開始しているであろう魔法使いに見つけてもらいやすいところには行ける。

――…『捜索を開始しているであろう』か。

 そうすぐ予想するぐらいには、彼のことを信頼している自分の思いに、うーむと一瞬また悩む。

――…深くは考えないでおこう。疲れるだけだ。

 溜め息を一つつき、川辺をあとにした。



――なんだ、これは…?

 少女がそれを発見したのは、一時間ほど歩いた後のことだった。

――…家、なのは間違いない。

 森の中、道なき道を踏破し、なんとかやって来たところ。森の生まれた虫食いのように、その『家』の周りだけは木がなくなっていた。

 それは、紛れもなく、庭付きの一軒家だった。こじんまりした小屋に、泉と植物のある庭。

 ただ、決定的におかしくて見逃せない部分があって…

――…お菓子で出来てる。

 ウエハースで出来た壁。ビスケットの屋根。チョコレートの柵。木すら飴細工だ。ローマの専門店街で、ファフナーやリスティナ、リットと行ったお店で見たお菓子が、その家を形作っていた。他にも、自分の知らないお菓子がいっぱい。

 ギュルルと、甘い匂いにお腹が鳴る。

――…昼御飯、食べてないだっけ。

 昼御飯のために狩りに行って、そこから少しハードな水泳をし、一時間の林間行軍だ。腹が減ってない訳がない。

 ぐ、と甘い匂いに唾が溢れる。

――食べて良いのかな? でも、人の家だし…あれ、家かこれ?

 少しの思考のあと、意を決したように顔を上げた。

――少しだけ!

 つまるところ理性は本能に負けたらしい。

 敷地の外周にあるチョコレートの柵に右手を伸ばし、人差し指でチョコレートを掬う。思ったよりもチョコは柔らかく、柵の骨組み部分らしいクラッカーに指が当たった。

 そうっとチョコのついた人差し指を口元に持っていく。そして、口の中へと突っ込んだ。

――甘くて美味しい!

 思わず顔が綻ぶような甘さが口内に広がる。

――…もうちょっとだけ。

 もう一掬いと行けば、もう止められなかった。

 何回も人差し指が柵と口を往復する。その度に顔を緩ませた。

 だが、その往復が二桁に届きそうになったとき、

『ガチャリ』

家の方から、扉の開く音が聞こえた。ビクリと肩が跳ねた。

 恐る恐るその音の方を見ると、家の扉の前に立った女性がこちらを見ていた。

「あ――お客さ――んて珍――わ」

 その女性が発したのは、聞き慣れない方言。魔法使いが最初に喋っていた言葉に似ている。

「――あ、ラテン――だっ――たいね」

 ん、と喉を鳴らした女性は、右手を首に手をあて、するとそこが淡く光だす。何かの魔法だろうか。

「言語同調完了、っと――こんにちは、チョコの味はどうだったかしら?」

 その女性は、肩の露出したドレスを着て、頭には大きなトンガリ帽子。色は全体的に黒で、薄目の化粧。上品に落ち着いたお姫様、という印象だった。難点をあげるとすれば、背は高いのに、胸が自分に負けず劣らず貧相、ということ。

「あ、えっと、その、道に迷ってしまって…」

 つまみ食いの言い訳のように、しどろもどろで言葉を呟く。

「まあ、迷子。あなたが…ふふ、あなたが迷子。ええ、わかった。わかってる」

 呟くように言う相手に首を傾げる。何だかおかしな人だ。

 その女性は、顔を上げ、にっこりと微笑んだ。

「お入りなさい。ようこそ、お菓子の家、魔女のお家へ」




「あの…こんなに食べてよろしいんでしょうか?」

「いいのよ。久し振りのお客様なんだから、精一杯もてなさせてくださいな」

 目の前の、クッキーで出来たテーブルの上には、幾つもの豪華な料理が乗っていた。七面鳥、豚の丸焼き、ケーキにジュース…。

「待ってね。私もそっちに座るから」

 お入りなさい――そう言われるままに家の中に入ると、なし崩しにこの豪華な食卓へと座らされた。

「遠慮しなくていいのよ。私は食べているのを見るのが好きなんだから」

 そう言って笑う女性の名は、フェル。種族は魔女で、いろんなところにある別荘を回って旅をしているらしい。この、『お菓子の家』もその一つだそうだ。

「さあ、食べましょ」

 促されて、フォークを握り、ケーキを食べる。

――〜〜! 甘い!

 おいしい、と顔を緩ませていて、そうだこんなことをしている場合じゃないと思い出す。私は今遭難中だ。

「すいません! あの、私、帰らないと!」

「うん? 今から、森に行くの?」

 やめておいたら、と問い掛ける相手にその理由を聞く。

「この辺り、ちょっと物騒なのよね。もうすぐ夕方だし、狼の群れが出てくるかも。森には道はないから、出会ったらちょっと危ないかも」

 それじゃあ、フェルさんに飛んでいってもらって…。

「んー、私として、せっかくのお客様の貴女には、もう少しぐらい家にいてほしいんのよね」

「でも、それだったら、あの人に心配が…」

 あの人?とフェルは疑問符を浮かべる。

「えっと、私の雇い主というか、ご主人というか…ローマの『魔法学院(アカデミー)』で先生をやっていて、名前は、」

「あーっと、もしかして、茶髪で、鼻にソバカスのある子?」

 子の範疇かは知らないが、他の要素はあっている。頷いた。

「なら、大丈夫ね」

 何が大丈夫なんだと首を傾げた。

「待ってね、と」

 フェルは、机の上に置いてあったナプキンを綺麗に折っていく。出来上がったのは、

「鶴、でいっか」

――すご、い…。

 布で出来た鳥が、フェルの手の上にあった。

 そこに、フェルはふぅ、と息を吹き掛ける。

 すると、パタパタと紙の鳥が翼を羽ばたかせて…

「…え?」

 そのまま窓の外へ飛んでいった。

「あの、今のは…?」

「うん。君の『ゴシュジンサマ』には、今ので連絡したから大丈夫」

――魔法って本当、なんでもアリだな…。

 一つ溜め息をして、席に座り直した。

 普通なら、他人がたかが紙の細工で自分の主人に連絡したなどというあやふやなことを信じる訳がなかったが、何故か不思議と、フェルの言うことには何も考えずに信じられていた。

「えっと、じゃあ…」

 頂きます、と手を合わせ、食べ物を口に運ぶ。おいしい。

――…なんでだろ。

 何故か、心に変な気持ちが浮かぶ。

――…ここにいると、良くないことが起こる気がする。



「なんで皆さん、ことあるごとに私の胸のことを話題にするんでしょうかね!」

「だよねー。そういう奴等には、胸のないつらさをわかってほしいよね」

 夕方に近付いてきたころ、少女とフェルは、変な所で意気投合していた。

「私もね、服買う度に店員さんにすごい顔されるの。気にしてるんだから触らないで欲しいのに」

 フェルは、溜め息をつきつつ、自分のそのささやかな胸を見下ろす。

「魔女の魔法で、肉体改造できたりしないんですか?」

「あることはあるけど、一時的なものだし、体への負担も大きいの。下着に詰め物入れた方がいいかしら」

 そんな、女同士で傷を舐めあった夕暮れだった。



「あ、そうそう。あなたに見せないといけない――ううん、見せたいものがあるの」

 何故か言い直したフェルを不思議に思いながら、着いていったのは、お菓子の家の地下倉庫。そこだけは普通の部屋だった。

「ここは…?」

「うん、と…ちょっと待ってね。んー、十年ぶりだから、開くかしら」

 鉄の扉がガリガリと嫌な音をたてて開かれる。その先には…

「わ、わ、わ!」

 何百、何千という本が、綺麗に整頓されて本棚に並んでいた。埃一つない小さな部屋には幾つもの高い本棚が置かれている。

「魔女が長年溜め込んできた、膨大な知識よ。秘書や魔書、禁書の類いもあるわ」

 微笑むフェルの説明に、ただただ嬌声をあげるのみ。

――魔女の本ってことは、魔法の本、よね?

 魔法の知識をつけて、授業で格好つける――昼にそう思っていたところにこれは、願ったり叶ったりだ。

「あの、どれか読ませてもらってもいいですか!?」

「うん、もちろん。右から五番目までの本棚なら、何を読んでも良いわよ」

 わあいと内心喜んで、言われた本棚の方に駆け出す。

 順々にその本のタイトルを見ていき、どれを読もうかと悩む。『初期魔法力学』、『高度空間展開指南』、『エネルギーを物質に! ゴブリンでもできるE=mc^2』、『新訳・原子物理学 特殊相対性理論とかバカだろアインシュタイン』…。

 幾つか意味がわからないタイトルを見つつ気付くのは、

「これって全部、古代語…ですか?」

「うん。読める…よね?」

 ええまあ、と返事をする。使えそうな本を何冊か取った。

「そんな、遠慮しなくて良いから」

 欲張ったと思っていると、横からフェルが手当たり次第に本を取り、いつの間にか持っていた紙袋に片っ端から入れていく。

「あの…そんなには…」

「いいのよ。どうせ、誰も読まないんだから」

 はあ、と気のない返事をした。


「あ、そうだ。私、夕飯の用意してくるから、好きにしてて」

 二人で地下室のソファに座り、読書をしていると、フェルが思い出したように立ち上がった。

「え、じゃあ、私も手伝います!」

 それに追従しようと立ち上がる。読んでいた『魔法エネルギー具現・初歩』の本がソファに落ちた。

 だが、チッチッチ、と指を振って座り直される。

「あなたはお客様で、私は家の主人。おもてなしするのは私の仕事なの。だから、あなたはここで好きに本を読んでて」

 問答無用のフェルに返す言葉がない。

「それと、魔法の試行がしたかったら、奥の部屋使ってね。小規模な魔法なら耐える作りになってるから」

 言ったあと、フェルは階段を登って地上へと出ていく。

――…どうしようかな。

 言われた手前、上には上がれない。となるとやることはやっぱり、

「…本、読んでよ」

 よいしょとソファに寝転び、『魔法エネルギー具現・初歩』に目を落とした。



 空には、大きな満月が昇っていた。

「ほら、早く早く」

「あ、はいっ」

 フェルに促され、梯子を登って屋根の上に乗った。

 時刻は夜がなかなか深くなってきた頃。夕食を済ませた自分達は、お菓子の家の屋根に上がっていた。

「綺麗でしょ?」

 理由は、何故かいきなりフェルに『月を見よう』と誘われたからだ。

「はい、本当…」

 空では、遮るものも何もない月が、我が物顔でその全身を美しく晒け出していた。

「お腹が減ったら、適当に屋根を削って食べて良いからね」

 ビスケットの屋根を見下ろし、はてこれはどうやって補強や維持がされているのか気になるが、深く考えないでおく。どうせ魔法で何とかしてるんだろ。

 ビスケットの上に腰を下ろし、空を見上げる。

「地下の本は、楽しんでもらえた?」

 同じように座ったフェルが、ビスケットをかじりながら聞いてきた。

「はい! 面白いことばかりで!」

 もらった本はある程度読んだが、知らない知識がこれでもかと言うほどあり、読んでいて退屈は全くしなかった。屋敷に持って帰ってまたちゃんと読むつもりだ。

「あら、それなら良かった。私も、あなたがすっごくなるの楽しみにしてるからね」

 うふふ、と笑って、フェルは空中に円を描いた。その軌跡が光って魔法陣となる。

「んー、飲み物は何が良いかしら?」

「? いえ、別になんでも…」

 そう、と呟いたフェルは光る円の中に手を入れ、中から何かを取り出した――ああ、ハイルディさんが使っていた収納魔法か何かか。

「じゃあ、オレンジジュースで。私は、と…」

 言ってフェルが取り出したのは、グラスが二個、ビンが二つ。片方はミカンらしき薄淡い橙の液体で、もう片方はやや濁りのある、薄い黄色の液体。

「あの、そっちの黄色のは?」

「黄色じゃなくて、山吹色。極東から持ってきた日本酒…言っても解らないわね。珍しいお酒よ」

 飲んじゃダメよ、とフェルはウインクする。

 二つのグラスにとくとくと橙と黄――山吹色の液体が注がれる。その橙の方をフェルはこちらに渡し、ニコリと微笑んで見つめ合う。

「…乾杯」

 カン、と二つのグラスがお互いを震わせ、甲高い音を出した。

 小口に日本酒とやらを飲むフェルを横目に、オレンジジュースを飲んだ。砂糖が混ざっているらしく、ただの果汁よりもすこし甘い口当たりがした。

「…本当は、月見酒はお猪口でしたいんだけど、ずいぶん前に壊しちゃってね」

 フェルは透明なグラスに満月を透かす。

「お猪口、ですか?」

「うん。こう、職人が丹精込めて作り上げる小さい粘土のグラス、みたいなの。手のひらサイズなのに、作ってる国だと、良いものは家が何件も買える値段で取引されてたりするのよ」

「それは、また凄いですね」

 フェルは、ただじっと満月を見つめている。何かを思い出すように、懐かしい感慨に浸るように。

「そのお猪口は、どこで手に入るんですか? また買いに行けば良いじゃないですか」

「ううん。そうじゃないの。買おうと思えば買いに行けるんだけど、特別な物だったの」

 残っていた日本酒を煽ったフェルは、もう一度グラスに日本酒を注ぐ。

「知り合いからもらった、大切なものだったの」

 山吹色のグラスに月光が拡散され、淡く思い出に色をつける。

 フェルの横顔は、さっきよりも少し幼く見えた。

「――ああもう、私ってば、今日会ったばかりの子になに言ってるんだろ。ダメだね、綺麗な月は昔を思い出させちゃう」

 我に帰ったように、フェルは苦笑いして頭を掻いた。

「わかりますよ。私にもそういうときあります」

 言うと、はは、と小さく笑い声が聞こえた。

 二人で黙ってそれぞれの飲み物を飲み、月を見上げる。

――…本当、何か思い出しそうな、綺麗な満月だ。

 故郷の村でも、こんな月を見た。まるで、力を与えてくれるような、格好良くて、凛々しくて、綺麗な月。お父さんと、お母さんと、お兄ちゃんと、一緒に見た月。

「…ねえ。あなたは、『救世伝説』と、『救世主』についてどのくらい知ってる?」

 突然、フェルはこちらを向き、質問をしてきた。

 …救世伝説?

――確か、リットが授業で解説していた…。

「すっごい魔力を持った救世主さんたちが世界を救った、とかそんな話ですよね?」

「うん、そう。その通り。救世主が世界を救ったお話」

 フェルは一度月を見た後、またこちらを向いた。

「じゃあ、歌は、知ってる? 童謡とか、民謡とか」

「えっと…歌、ですか?」

 ここまで来ると、何を聞かれているのかよくわからなくなる。『救世伝説』と、歌?

「そうだなー」

 ん、とフェルは一度喉を鳴らす。

『――八人七族(しちぞく)並んで通る――』

 歌、だった。どこか遠い国を思い浮かばせる旋律。

『――あいつあいつら救えと願い――』

 そのリズムに合わせて、フェルは右の人差し指を振る。

『――生まれは永久の果ての果て――』

『――一つ二つの失敗と、次こそ救うと決めなさる――』

 そこまで聞いて、思い出す。

――…聞いたこと、ある。

 そうだ。そう、こんな綺麗な月の出ている夜だ。小さい頃、眠れないときには、お母さんやお父さんが…。

『――三つの終りのその晩に、――』

 知っている。だから、というように言葉に割り込んで、

「――り、リヴァイアサンはいなないて――?」

 途中まで言った歌詞を引き継ぐと、驚いて、だが嬉しそうな笑みがフェルに浮かぶ。

『――(ゆう)と愛とを守り抜き――』

「――また次次(つぎつぎ)へと頼み申す(たのもうす)――」

 フェルのようにちゃんとした旋律や音程はつけられないが、確かな記憶で歌詞を繋いでいく。

『――されど悲しき道の果て。憂い背負って彼は泣き――』

「――されど救いの道の中。命断ち切り彼は立ち――」

『――それがこの世の()と花と――』

「――それを称えるわが道と――」

 次で、

「『――これが悲しき世の定め。我ただ伝えるのみと思うのみ――』」

 終わり。

 歌い終わりに、歌って使った息を吸い込みなおす。

 ふう、と一呼吸置いたときに、

「――プッ! あは、あはは! 本当、凄い! 凄いよ!」

 突如、フェルが腹を抱えて笑い出した。グラスの日本酒がこぼれかけるのを、絶妙なバランスで保っている。

「あの、どうしましたか…?」

「いや、良いの! 私が、信じられないくらい嬉しいってだけだから!」

 フーフーと肩で息をするフェルは、傍目から見て十分異常だ。

 なんとかフェルも呼吸が落ち着くと、大きく息をついて、また満月を見上げた。

「この歌の意味、知ってる?」

「いいえ、わかりません。子守唄代わりに聞かされてただけですから」

 子守唄、と聞いてまた何故かフェルが笑いかけた。どこにそんな笑う要素があったのだろうか。「これが、子守唄! あは、本当凄い! 頭おかしいんじゃないの!」…大丈夫かこの人。

「ふー…。この歌はね、ずっと、ずぅーっと前の、世界を救った人たちの歌。何人も、何回も、救世主たちの歌」

 だから、「童謡とか、民謡とか」と聞いたわけか。

 まだ顔が笑いでひきつるのを抑えるように、日本酒がフェルの口に流し込まれた。

「…いいね。やっぱり月は、ずっと傍にいてくれる。あの頃も、今も、多分、この先も」

 また月を見上げながら呟いたフェルの言葉が不可解で、少し首を傾げた。

「月はさ、ずっとあそこに昇ってるんだろうね。子供の頃も、ローマ帝の時代も、伝説の時代も、救世の時代も、それよりずっと前も」

 はあ、と気のない返事をした。何か変な気分がする。何かが、どこかがおかしい。

「この歌と同じように、何回も何人も、世界を見てきて、始まりと終わりを見てきて! 月は一体どんな気持ちなのかな!」

 おかしい。変だ。凄く、危ない方に変だ

 フェルの口調が熱を帯び始め、また日本酒を一気飲みした。

「そうね、あなたはそれを知らないといけない。これまでと、これからと。だから、あなたはここへ来た。だから、あなたはあなたなの!」

 ふ、とフェルの顔を見た。

 赤く、上気した頬。少しぼやけた目線。そして、手に持っているのは…『珍しいお酒』。

――まさかこの人…!

 フェルは立ち上がり、じっとこちらを見下ろした。そして、庭を顎で指す。そこには泉があって…

「さあ、目の前にあるのは、知識の泉! 禁じられた水! 沈めば、『水』が見た、あなたの知りたいことを教えてくれる!」

――完全に酒に酔ってる!

「落ち着いてください! どうしたんですか! 酔ってますよ!」

 フラフラと揺れるフェルを屋根から落としてはいけない、と取り押さえにかかる。だが、ハイルディに負けず劣らず強い力で抵抗してきた。

「あの! 落ち着いてください!」

「あなたは世界を知りたいの! |New World Order For Next Stages《次世代のための新世界秩序を》!」

 もう言っている意味がほとんどわからなくなってきたフェルとの、屋根の上での格闘が始まる。なんでこんなことになってるんだ。

 ひひ、と酒臭い口から洩れたフェルの呻きに驚きながらも、相手の腕を取った。と、その時、

――がりっ。

「えっ?」

 足場がなくなった。最初に思ったのは、「またか」。

 揉み合いにビスケットが耐えられなかったのだろう。屋根が壊れ、自分の体が庭の方へと投げ出された。なのにフェルは何ごともなく屋根にいる。どういう格差だ。

「泉は、あなたの自分の知るべき知りたいことを、知ら…せて、くれ、う、お…」

 落ちた拍子に相手を押したのだろう。フェルはそのままビスケットへと倒れた。

――…やっぱり、か。

 うぃー、と酒飲みのゲップを出したフェルは、倒れたままに寝落ちする。

 その間抜けな格好を見て、溜息。

――…今日は、よく落ちる日だなぁ。

 崖、滝二回、そして屋根。通算四回だ。腰とか骨とか大丈夫かな。

――うん、でもまあ、さ。これぐらいは、言っても良いよね。

 落ち行く中、大きく息を吸い込んで、

「なんで肝心な時にぶっ壊れるんだよこの酔っ払い!」

 ドッポンと水に落ちる音がして、視界の満月が水面に覆われて見えなくなる。

――今度は一体、どこに行き着くんだろ…。


奴隷ちゃん、野生の勘すぎるよね。なんだこのターザン。


設定・伏線回収するっつったのに、広げるだけ広げちゃったぜおい。



ちなみに、フェルも他作品に出す予定のキャラクターです。


小ネタ

この世界の人名のつけ方は、宗教によって異なりますが、大抵の欧州の成人、つまり魔法使いや奴隷ちゃんが生きているところの大人は、

(名前)=(聖人の名前)=(家名・苗字)

となっています。聖人は、例えば救世主たちの名前だったり、古代の王様の名前だったり。大人になるときに教会からつけてもらえます。

王族の場合は、家名が何個かあったり、地名や王朝名を後ろにくっつけます。

人狼という種族は、(Wi+名前)=(部族名)。例 名前 イルガンド 部族 ディシィニング→ウィルガンド=ディシィニング。

魔女は、過去にあった名前の中から組み合わせて自分の名を作ります。


なんでこのタイミングで名づけ方なんだって? さあ?

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