第十四章・後 クソッ
少女が去っていった中庭で、その去っていった方向を見つめながら魔法使いは溜め息をついた。
「逃げられたな」
「…言わないで下さいよ」
ドラコからのからかいに、やや不貞腐れて返した。
はあ、とまた一つ溜め息をついてその場に座り込む。
――…最近、ぎこちないなぁ…。
自分も、少女も、お互いのやり取りに少しのやりにくさを感じていた。
――自分の理由は解る。
相手への好意を自覚させられて、どう接するべきなのか戸惑っている。以前のままで良いのか、それとも距離を取るべきなのか。あるいは、自分の欲望に正直になって、恋愛慣れしてないあの子をやや強引に口説き落とせば良いのか――いいなそれ、背徳感と愛情でゾクゾクする。
――けど、あの子の方はなにもないはずじゃ…。
まさか、あの夜、ハイルディから何か吹き込まれでもしたのか。
そう思い、ドラコに視線を向けた。
「先輩、あの日、ハイルディがあの子に何か言って…」
「ん? なんだ?」
その腕のブレスレットには、見覚えのある青い石がつけられていて…
「…あの、もしかして、腕のそれは、」
「ああ、近距離通信用の魔法石、その送信側だな」
まさか、いやそんなはずは、と冷や汗が頬を伝う。
「いつ、それを使って…?」
「一週間前だなあ。厳密に言うと私とお前がチェスをしていたあの瞬間だ」
うえ、とかあえ、とか、人語になってない絶望の呻き声が出た。
「あの、あのときの会話をいったい誰に流して…?」
「お前はいちいち自分が絶望したがる答えを聞くなぁ」
それが全ての答えを意味していた。
――あの子に、あの恥ずかしい独白を全部聞かれてたのか…。
大方、ハイルディとグルになっていたのだろう。でもどうやって意志疎通を――ああ、ハンドサインか。手をヒラヒラさせていたのはそれか。汚いな戦闘職種。
「別にいいだろう? お前が自覚できていることをあの娘も知れたんだ。口説き落としやすくなったと思うがな」
「それとこれとは問題が別ですよ」
好意を知られて恥ずかしくなる程度には、自分はまだ若いということか――いやまだ二十歳だぞ。
「まあ、なんだ。私もただお前に恥をかかせて終わりにするほど鬼畜ではない」
ドラコは尻ポケットから紙を取りだし、そこに何かしらを書いたあと、こちらに渡してきた。
「私の習った・作った独自魔法で、これ以上の技術発展は私では無理になったものだ」
受け取り、すぐさま斜め読みする。『魔方陣防護壁』、『魔力停滞』、『魔力刀の範囲増加』…。幾つかの魔法の魔法式や発動概念が小さい字で記されている。
「そのままでも十分有用だが、実験室ではまだ改良の余地が有るかもしれん。私には思いつかいない使用方法もあるだろう」
パッと見ただけでも、何個かはそのままで商用に転用できるものがある。兵器に使えるのも少し。
「ありがとうございます。権利とかはどうしましょう?」
「お前持ちで構わん。どうせ、利益が出るレベルで実用化されるのは何十年も先だ。そのころには私も戦死しているだろう。戦闘に使えそうな発展があったら教えてくれ」
あと、とドラコは付け足した。
「裏に、警備部の知り合いの連絡先が書いてある。あとで紹介状も書いてやろう」
紙の裏を見た。――警備主任の名前があった。
「…知ってる奴です、すごく…」
「なんだ、それなら良かった。説明の手間が省ける」
事情を知らないドラコは何食わぬ顔で言い、屋敷の中へと入っていく。が、こちらとしては警備主任に少し負い目がある。主に尻の穴関係で。
――ハイルディへの慰安の代わりにやってもらおうかなー…。
ハハ、と乾いた笑いを一つして、庭をあとにした。
あの子が戻らない――そのことで慌て始めたのは昼前のこと。
最初に気付いたのはシラタマだった。
「いくら呼び掛けても、返事が返ってこないのです。しかも、どうやらネックレスを着けていないようで…」
遅い、と大人二人が苛立ち始めた頃にその報告が来たので、まず最初に出たのは怒りだった。どこをほっつき歩いているんだ、と。――少しの嫌な予感を抱えて。
すぐに魔力波探知測距を使い、居場所探した。『末裔』レベルの魔力量保持者なら、嫌でも反応があるはずだった。しかし、
「…いない」
少なくとも、屋敷から散歩程度で行ける距離に、そんな魔力の塊はなかった。
「召使いさんっスか?」
「俺らと入れ違いに、山の奥ん方、はってきはりましたけど」
弟子たち二人の証言から、森の中を探すこととなった。この時点で、持っている感情は苛立ちから心配へと変わっている。
ちょうど正午ごろに、ドラコが沢の近くでそれを見つけた。
「小規模だが、崖が崩れていた。ぬかるんだ部分に重量級の力が掛って崩れたんだろう」
その検分と、
『行ってきます! お昼御飯はクマ肉です!』
少女の発言から導き出される結論は、
「クマに、襲われた?」
まさか本当にクマを狩りに行っているとは思っていなかったが、何かの拍子に遭遇して、かつ負傷していたりすれば…。
「いや、あの娘の実力で負傷することはないだろう。魔法戦闘なら、グリズリーでもない限り倒せる。大方、距離を取るうちに崖際に追い詰められて足を滑らせたか何かだ。クマもその時に崖から落ちたんだろう」
そう言われて少し安心はしたが、行方不明なことに変わりはない。
次に、魔力波探知測距の効果範囲を広げ、少女の付けている二つの魔法石が出すそれぞれの波長だけを見つけるようにした。魔法石を使った簡単なものではなく、部屋中に魔法式を書き込んで使う精密・大規模なものだ。業者に頼めば、一家族が質素に一年暮らせるだけの費用を取られる。
結果、魔法石は見つかった。沢の下流、約十キロのところだ。
ドラコと一緒に目標地点の空中へとテレポートし、『衝撃軽減』の魔法で着地したところに魔法石があったが、それだけ。川の浅くなったところの石にネックレスが引っかかっていた。
再び屋敷へと戻り、魔力波探知測距を使う。
今度は、効果範囲をより広く、一定量の魔力を感知するようにした。付近に『救世の末裔』や、それに準じる魔力を持つ生物(例えば、魔女やドラゴン、人狼に、国賓級の魔法使いや傭兵・兵士)がいれば漏れなく感知してしまうが、シラミ潰しに一つずつ探していけばいつかは見つかる。
この頃には、心の中では、自分への叱責と憤慨と焦りと、いろいろな感情が入り乱れていた。
二時過ぎ。本当なら全員で昼御飯を食べていたであろう時刻に、魔法使いは大規模魔法を展開する。
使っていなかった部屋の一つの天井、壁、床のすべてに魔法式を書き込み、魔力を流し込む。一人では体力的に心配な面があったため、弟子の男の方――フラーレスに魔力の供給を手伝ってもらいながらだ。
部屋の中にいたのは、今この屋敷にいる全員。魔法使い、傭兵、弟子二人。男二人が部屋の中央で魔法を発動しているのを、ドラコが見つめ、その肩にルサリィが座っていた。
光っていた魔法式の光が収まり、部屋の灯りは窓からの陽光だけになる。
「どうだ、見つかったか」
ドラコが問いかけてきた。それに答えるように部屋の隅の机に置いてあった地図へと近づく。
「反応は、四つです」
机の上にあった小物を四つ取り、それぞれ置いていく。
「一つは、川の上流側。もう一つは山の向こうで、違うでしょう。三つ目はネックレスのあったところよりもさらに川の下流側でしたが、かなりの速さで移動していました。恐らく、ドラゴンか何かでしょう」
消去法で最後の一個。ネックレスからさらにもう十キロほど離れたあたりの場所になるのだが…。
「…」
「どうかしんたスか?」
ルサリィが地図の上に立って首を傾げた。
「先輩、月の満ち欠けってわかります?」
――嫌な予感が、
「ん? ああ、昨日たまたま夜空を見ててな。多分今日は満月だ」
――当たった。
もう一度地図を見た。
四つ目は、周りよりもさらに深い森の中央部。人がとても住めたような場所ではないところにポツンとある。
――本当、ヒトは到底住めないとこだよ、あそこは。
ふ、とそのままルサリィが目に入る。
――フェアリー…ヨウセイ系種族なら住めそうかな。
「…先輩、お菓子の家って知ってますか? あと、俺らの噂って、どこまで詳しいですか?」
「なんだ、藪から棒に」
いいから答えて、とドラコに促した。
「お菓子の家か、童話だか伝説だか知らないが、神聖ローマとフランスの間に幾つかあるそうだな。陰謀論的に言えば、古代のゲルマン人が設置した地獄への門だとか云う話だが、実際は魔女の迷子センターだとかは聞いたことがある」
――半分外れて半分当たっているな。
「お前とハイルディの噂は…お前の言う『あの子』が…ヴェルとか言ったか。そんな名前の子供を産んだ。それが誰の子なんだろうなあ、と嫌味に噂されてたのを知っているぐらいだ」
「どうしてそうなったかは?」
「いや…だが、思春期の子供が三人寄れば何かあるのは当たり前だ思ってな」
ふぅ、と一息吐いて、傍らに置いてあったローブを羽織る。
「あるんですよ。この近くに、お菓子の家が。ちょうとこの四つ目が指しているところです」
「ほお。じゃあ、安心か。迷子センターだろう?」
半分違っている方の言葉をドラコが言う。
「あそこは、そんなものじゃありません。それこそ陰謀論ですよ」
「じゃあ、何なんだ。それに、それとお前たちの噂にどう関係がある?」
あそこを一言で表現するのは難しい。強いて言うなら、
「悪魔の住んでいる場所です」
そして、
「俺が、臆病者にならざるを得なくなった原因です」
聞いたドラコの口がきつく結ばれる。
「…すぐさま助けに行け、と?」
「はい。ですけど、俺らじゃ辿り着けません。方法はありますけど、死人が出ます。安全に行くなら、ハイルディを呼ばないと」
わかった、とドラコが返事をし、通信用の魔法石を取り出した。ハイルディに連絡を取るのだろう。
――まさか、またあそこに行かないといけなくなるとは。
もう、少女の命の心配はしていない。だが、もっと重大なものの心配をしている。
――…そうか、あの子は『救世の末裔』で、お菓子の家か。
魔力量は有り得ないほど多く、存在は矛盾しすぎている――それが示すのは、
――俺じゃ、手に負えないぐらいのモノだったってことかよ。
奥歯を噛み、部屋の出口へと向かう。
――…救ってみせる。
自分が、彼女の主人だと証明しようと。
――今度こそは、絶対に死なせない。
目指すのは、通称『お菓子の家』――またの名を『知識の小屋』。自分とハイルディと、『あの子』。三人の運命が狂ってしまった場所だ。
更新、遅れ過ぎ…(;ω;)
魔法使いはわかっているんだけど読者を含めたその他には全くわかっていない度が最高の今回。こういう書き方あんまし好きじゃないんだよな…。次回と次々回で明らかになる予定なんだけど…完結したら順番再構成かな。
早めに、書きたいなぁ…




