第十四章・前② ブヒィ
「…ありがとうございました」
「ああ、こちらこそ」
ドラコも、肩から力を抜き、息を吐いた。
「いや、良い手合わせだった。久しぶりに緊張したな。最後は少し本気になりかけていた」
立てるか、と差し出された手に甘えて、それを掴んで立ち上がる。
――…嘘だ。
まだ、ドラコには余裕がありすぎた。本当に二割か? その半分しか出してないようにも思われる。
「一つ言うなら、やや攻撃が単調だな。足技中心なのは良いが、体から離れていて小技が狙いにくい」
「はい。前も思ったことがあるんですが、腕だと筋力不足とリーチのなさが酷くて…。武器を持って速度が落ちれば元も子もないですし 」
ドラコから幾つかのアドバイスを貰う。途中で、脱いだ靴を履いた。
「ありがとうございました。私も、久しぶりに体が動かせてよかったです」
「それなら何よりだ」
また頼むぞ、と言われ、一緒に魔法使いのもとへと戻る。
「あー、二人とも、大丈夫?」
「はい。特には」
「ああ、水をくれるか」
ドラコが魔法使いに言ったのを見て、近くに置いてあった水瓶を自分が取りにいこうとする。
「俺が取るから、良いよ」
「え、でも…」
会話が成立する前に、魔法使いが立ち上がり、水瓶を取ってきてしまった。
――…本当最近、私、『奴隷』してないな…。
もっとこき使って貰いたい、というとおかしな気がするが、本当にこれでいいのか。
『召使ちゃん は、自分のご主人サマのことをどう思ってる?』
突然、ハイルディのその質問が呼び起された。
――いや、だけど、別に私はそんなんじゃ…。
その言葉が、ほとんど意味を成していないものだというものは自覚している。そうなら、彼の一挙一動にドギマギすることもないはずだ。
――…でも、違う。少し違う。これは、恋とかそういうものじゃない、のだと思う。
自分の想像している『それ』とは少し違う気がする。
――…だけど、彼とこの先何年も暮らしていれば、自ずとそういうことになるのは目に見えていることで…。
なにより、求められれば応えなければならないのだし、応えるつもりだ。
『あ、でも、セックス関係は優しくないかなぁ。あの手この手でぐっ ちゃぐちゃにしてくるし、丸一日足腰立たなくなったこともあるし』
――ベッドの上で、二人とも何も着てなくて…。
浮かんだ想像を、うわぁ、とかき消した。
――考えるな考えるな! 今からそんなのでどうする!
ふぅ、と熱い息を吐きかけて、
「――大丈夫? 顔、真っ赤だけど」
「――えあ、ひ、ひゃ、はいッ!?」
水瓶を取って戻ってきた彼に話しかけられた。
「…大丈夫?」
「はいッ! 大丈夫です! 何も問題ないです!」
所々で声が裏返った。
――恥ずかしい! なんでこんなとこで恥かかないといけないんだ!
顔は、自分でもわかるほど上気している。手合わせの余熱だけではないだろう。
――逃げたい! 今すぐここから消え去りたい!
「あの 、私! 今から森行ってきます!」
「…なにしにだ?」
聞いてきたのはドラコ。そんな、答えなんて用意してない。
「えっと、別に、あ、薪を拾いに!」
「…魔法で点ければいいんじゃ?」
おかしなものでも見るように魔法使いが聞いてきた。恥の上塗りだ。
「わ、いや、そうじゃなくて! そうだ! クマ! クマを倒しに! 行ってきます! お昼御飯はクマ肉です! はい! ではッ!」
そう言い、走って庭を走り抜けていく。途中で、すぐ横に裏に通じる出入り口があったのを思い出したり、それで立ち止って振り返ったが魔法使いが不思議そうに見つめる顔を見つけて戻るに戻れなくなったり、迷っているうちに躓いたりしたのは、全部恥ずかしさを倍増させる要素になった。
「あ、召使いさん?じゃないっスか」
玄関から回って裏山に行くと、訓練の帰りらしいドラコの弟子二人と出会った。一人は、フェアリーという種族らしいルサリィという小さい(十センチぐらいの)女の子。羽をはばたかせて浮かんでいる。
「どうも、今からお戻りですか?」
なんとか落ち着いた声で尋ねた。顔の紅潮もある程度収まっただろう。それに対して答えたのはもう一人。
「そうですね。俺らは今から帰るとこです」
聞こえた、聞きなれない方言を言った男性は、ドワーフ。やや長めの髪を首の後ろで結んでいる。
名前は、フラーレスというそうだ。
「おたくは、今からどちらへ? 水浴びでもしはりに?」
言われ、返答に困った。
「…狩りに?」
「…?」
二人が一緒に疑問符を浮かべる。当たり前だ、自分でも言ってて突拍子がない。
「…ああ、はい。獣ッスか。自分、動物性タンパク質はあんまし食えないんスよねぇ。一欠けら食ったら、もう一か月は食えないんス」
ルサリィが空中で器用に胡坐をかいて唸る。
「じゃあ普段はどんなものを?」
「フェアリーの習慣だと、花の蜜や種。まあ糖分とデンプンっスね。燃費は悪いんで、炭水化物摂ってないと死ぬんスよ。まあ、最近は黒砂糖やチョコの甘ったるい系で済ましてまスッけど」
病気になりそうな食生活だ。
「ていうか、狩りですか。俺らも手伝いに行きましょか?」
「いえ、一人で十分です。そこまで大物は狙う気じゃないので」
一メートル後半級の熊を狙うつもりだ。大物 か? 普通普通。
「…あの、最初に会った時から思とったんですけど」
フラーレスが、やや訝しげな声を出す。
「なんでしょう?」
「自分、前に一度会ったことないですか?」
言われて、記憶を探る。が、知り合いの男性で生きている人間なんて三人しかいないのは以前の通りだ。魔法使い、黒竜、六歳児。他に覚えはない。
「気のせいだと思いますよ。私、田舎者で知人も少ないので」
そうですか、とフラーレスは引き下がるが、なんとなく納得していないように見える。
二人とはあと二、三の言葉を交わした後、別れ、森の奥へと入った。
熊を狙う、とは言ったものの、そうそういるはずもない。
――苦し紛れに言ったのは、失敗だったな。
そもそもなんであそこで逃げたんだと過去の自分に問い詰めたくなるが、結局無意味なのでやめておく。
足下に視線を落としつつ歩くと、否応にでも考え事が浮かぶ。
――…『あの子』か。
思い出していたのは、魔法使いがドラコとの会話で出した『一蓮托生、運命共同体』のようなものだった『大事な人』。
――ドラコさんがどう関わってくるのかはわからないけど、少なくともハイルディさんとあの人にとっては、欠けがえのない、大事な人。
それが、どうして自分に重なって、慰めの理由となるのか。
――…考えても意味がないっていうのはわかっている。
彼の口から直接教えてもらわなければ、絶対にわからない情報だ。考えてどうにかなるものじゃない。
――だけど、
悔しい。悩んでいる彼のことで、自分が直接関われないということ、違う人間に自分が勝手に重ねられているということ、いろんなことが悔しくて、腹立たしい。
――私の持っている何かで、私のことを考えてほしいのに。
『私が私であること』でその人と重ねるのではなく、『私が成したこと』、『私がいること』で、私を考えてほしい。
――…奴隷の身分で、それは我儘か。
思ってから、ため息。
――色々、最近は迷惑をかけているし、なんとかして挽回したい。
よし、と頷く。
――次の授業は、どうにかして良い格好つける!
帰ったら、魔法技術の本を読み漁ろう。ハイルディから貰ったものはもう読破したから、魔法使いの書庫にお邪魔しようか。ああ、学院の図書館も、今なら読めるか。
――…でも、まずは狩りをしないと。
熊と言った手前、最低でも猪は狩って帰らないと示しがつかない。
さあ探すか、と足を前に出すと、途端に森が切れた。代わりに、ゴウゴウと水が勢いよく流れる音が聞こえた。目の前は崖だ。
「沢、かな…?」
崖を見下ろせば、そう遠くはないところで水が流れているのが見えた。目算で十メートルほどの崖だ。
流れはそこそこ早いが、落ちたら即死、というものでもない。気をしっかりもって泳げば、流されるだろうがなんとかなりそうだ。
――…何故、私は落ちた時のことを考えているんだ。
まさか、と苦笑して、別の道を探そうとした、その時、
「ッ…!」
近くの茂みで、重いものが動く音が聞こえた。
すぐさま振り向き、臨戦態勢をとる。
ガサガサという音は、ゆっくりとこちらへ近づいてきている。
――この音は、熊じゃない。もっと軽い音だ…鹿、猪か?
どちらにしろ、用心に越したことはない。地面に足で基本魔方陣を描いた。ぬかるんでいて描きづらい。
近付く音。早くなる鼓動。
音の主が茂みのすぐそこまで来た瞬間。
――先手必勝!
出てくると同時にケリをつけようと、右足で思いっきり地面を蹴った。魔法での強化を込めた、強い蹴り――だからそれがいけなかった。
「――え?」
すか、と自分を支える地面の感触がなくなった。
なんで、とまさか、と思ったのは同時。
崖が崩れ、それと一緒に自分が崖の下に落ちようとしていた。
――なんでッ!?
理由は考える前に出た。
ぬかるんで脆くなっていた、崖すぐ近くの地面を、魔法によって思いっきり蹴ったから――崩れるのは当たり前だろう。
どうにか、と手を伸ばすが、
『腕だと筋力不足とリーチのなさが酷くて…』
届かなかった。
体は重力に引かれ、落下を始める。地面はすでに足から離れ、足場にはならない。
そうだ、猪は、と思ってみた茂み。ワンテンポ遅れて出てきたのは、
「ブヒィ」
丸々と太った豚。首にタグをつけている。麓の村で飼われていたのが逃げ出しでもしたのだろうか。
――…。
その間抜けな豚鼻を見て、ため息が漏れた。
――また、迷惑掛けちゃうな。
うふふ、と何故か笑みが浮かんで、ゆっくりと沢に落ちていく。
――ああだけど、これだけは言わせて。
ため息の代わりの息を大きく吸い込んで、
「紛らわしいとこで出てくるなよこの豚野郎!!」
八つ当たりが最後まで言い終わるかどうかの時に、水の中へと落ちていった。
――泳いで、どこに辿り着くかなぁ…。
タイトルのネタがなくなってきた。どうしょう。
俺が崖の詳細な説明を始めるってことは、そのキャラは十秒後には崖から落ちるってことなんだゼ!というか森があったら崖があるんだゼ!ブヒィ!




