第八章・前 夢の中の記憶
夢の中。自分の中の記憶を見ていた。今となっては懐かしいという部類に入る記憶。
「お前は私達が守るよ」
父が優しい笑顔で言った。
村に生きるたしなみとして、小さい頃から体術や山登り、畑のことは教わったが、兄が習ったような剣術は教えてもらえなかった。
女には教えないのか、と思ったが、近所の従姉妹や年下の幼馴染みも何かしらの武術を教わっていた。
自分の場合は、その代わりというように、用水路の引き方や村の取り決めがどうやって行われているかを教えられた。普通は出てはいけない村の外にも連れていってもらい、いろんな町を見た。
一度、どうして自分だけ扱いが違うのか聞いたことがある。
「お前は、皆にとって、誰にとっても大切な子なんだ。他の子とは違う」
それは答えになっているようでなっていなかった。首を傾げていると、
「十六歳。十六歳になったら、父さんがほんとのことを教えよう。それまで待っていてくれ」
納得はできなかった。今思えば、幼心に反抗心と好奇心が入り乱れていたのだろう。それを自重するには、まだ自分は子供過ぎた。
「お前は特別なんだ」
聞く度、父は笑顔でそう答えた。
恐らく、子供が知るべきでない、知ってはいけない「特別な」事情があったのだろう、知ってしまえば生きていけなくなるような。
それは紛れもなく愛だった。我が子を要らぬ危険にさらさないようにという、父親から愛しい娘への家族愛。
だけど、私は嫌だった。
「お前はまだなにもしなくていい。私達がお前を守ってあげよう」
私は、「私が『私』である」こと以外で私を愛して欲しかった。
そして時は流れ、私は十六歳になり、だけど父は決断を先延ばすように事実を教えてくれなかった。夏に言うよ、来月だ、来週、また今度…。
そうしてはぐらかされ、すぐに半年が過ぎた。
そして、「あの日」が来た。
深夜、私は兄によって叩き起こされた。
「何も聞かずについてこい。村から逃げ出す」
軽装の鎧を身に纏い、大剣を携えた兄は切羽詰まった顔でそう言い、私を連れて家を飛び出た。
夜なのに妙に明るい村を、森の方へと引っ張られていく。途中、なんども質問をするが、無視された。
とうとう森のすぐ手前まで来た時、寝ぼけ眼で父や母が家にほったらかしになっていることを思い出した。
「――あ! このッ、バカッ!」
小柄な体はこの時役に立った(仇になった?)。兄の脇を通り抜け、反転。一目散に家へと戻る。
家の方がなぜか明るい。そう思いつつ家へと向かうと、
――家が、燃えている…?
黒煙を吹きながら炎上する我が家の姿があった。
訳はわからない。だがそれがどういうことなのかはわかる――両親は命の危機に瀕している。
「お父さん! お母さん!」
裏口から飛び込むか、正面から入るか、いっそ窓をかち割るか…。
救出方を悩んでいた、その時。
――ドンッ!
突如、家の右半分が火を噴いて大爆発。炭化した建材を空に撒き散らして轟音をあげた。
「う、そ…?」
目まぐるしく変わる状況に脳が着いていけない。
――二人は、どうなって…?
唖然としたまま突っ立っていた私に話しかけたのは、
「! お前、まだ逃げてなかったのか!?」
「お兄ちゃんと一緒に森に行ったんじゃないの!?」
他でもない父と母。二人が家とは反対のほうから来て、その顔はやはり鬼気迫るものだった。二人とも、手には短刀と小盾を持ち、まるでどこかに戦いに行くような格好だ。
「お父さん! お母さん! 良かった無事で…!」
二人の無事に安心し、駆け寄ろうとするが、
「違う。いや、私達が無事でも――ああクソ! あのバカ息子はどこ行った!?」
二人はそんな雰囲気を微塵も感じさせず、焦った表情であたりを見回す。
「――親父! お袋! ここらへんであいつを…ここにいたかこのバカ!」
その時、追い付いた兄がこちらを見つけた。
「てめえ、早く逃げろと言っただろうが!」
「こいつが途中でどっか行くんだからしょうがないだろ!」
兄と父が言い争う。常なら微笑ましい一場面なのに、今日だけは二人とも何の余裕も持っていなかった。
「二人とも、こんな暇ないでしょ!? この子を早く逃がさないと…」
母の声にも、いつものような優しさはなく、ただ焦りのみが伝わってくる。
「ああ、そうだったな…。頼むぞ、お前しか頼れないんだ。守ってやれ」
「冗談! 言われなくとも妹を守れなきゃどうすんだよ!」
話の内容が掴めないこちらをおいてけぼりに、父と兄は話を進めていく。
どういうことなのか、と母の方を向くと、
「っ、お母さん…?」
「ごめんなさい…。少しだけ、こうさせて…」
母がしゃがみこみ、私を抱き締めた。豊満な胸がこちらに押し付けられ、少し恥ずかしい。
「お母さん…」
あまりにも強く抱き締められたせいで背中が痛い。
「ここもそろそろ危ない。俺達が最後の見回りをしてから追い掛ける」
「わかった。ご近所さんにも声掛けてから行く」
兄と父の会話は終わったようで、母はゆっくりと手を離す。そのかわりというように、兄がこちらの手を握った。
「森の南で落ち合おう。父さん達もすぐに――」
父が最後の言葉を言おうとして、
――ドンッ!
残っていた家のもう半分が吹き飛んだ。それも、炎上して爆発、というのではなく、まるで何か巨大な見えない物体衝突して消し飛んだかのような崩れ方。
「クソッ! もうここまで来たか! 早く逃げろ、俺と母さんで時間を稼ぐ!」
悪態をついた父の言葉に兄と母は頷き、母は短刀を構え、兄は手を引っ張って走り始めた。
「待って、何が起こって…!?」
「いいから、お前は俺に着いてくるんだ。今は説明している暇なんてない!」
兄に引き摺られるように連れられ、徐々に両親から離れていく。
「でも、お父さん達が…!」
振り替えって見た父と母の姿。その向こう、爆発と火事で燃えた家の残骸の上に、ゆらゆらと揺れる人影が見えた気がした。
その人影に、父と母は向かっていって…
――一体何を?
炎の中に突っ込んだ二人の姿が見えなくなる。
「お兄ちゃん、あの人は…」
「黙って走れ!」
起こされてから疑問しか浮かばない。家が家事になってなんで森の向こう側に行く話になるのだ。
「――チッ。南はもう囲まれてやがる。強行突破はできねぇし、西の門からなら…」
村の道を走りながら、兄は呟く。
――囲まれてる…? どこかの誰かが攻めてきた?
まず浮かんだのは戦争、その次に盗賊。
村長の家で見せてもらった本にのっていた投石機や大砲。戦争で使われて然るべきそれらは使われていないし、まわりの大人からそんなことがあるなんて聞かされていない。
消去法で、答えは盗賊。なら、
「お兄ちゃん、私も戦える! だから!」
お父さん達を手伝いに行こう。
子供ながらに、「どう」手伝うかは認識していなかった。落ち着いて考えれば、盗賊を撃退することが、自分が相手を「どう」することなのかなんてわかるのに。
「そういう問題じゃないんだよ! 何をしても、俺はお前を――」
兄が言葉を紡ごうとしたとき、
――ドンッ!
横にあった家が燃え出した。何の予兆もなく突然に、だ。
「クッソ! 来んのが早いだろ!」
兄は私を引っ張って前に押し、自分は後ろを向いて大剣を正面に構えた。まるで、私を後ろから来ている何かから守るように。
「お前はまっすぐ逃げろ! 兄ちゃんが足止めするから!」
「え、でも…」
後ろを振り返り、見た先にいたのは数人の男達。だが、知っている村人ではない。しかも、それぞれが何かしらの武器を持っている。
「あいつら程度なら、俺が倒せる。早く行け!」
そう言った兄は、凄まじい速さで男達へと突っ込んだ。
大剣を構えた兄は、男の懐に一瞬で入り込み…
――す、ごい。
一刀両断のもとに、その腹を叩き斬った。一組の人間が地に倒れる。
続けざまに横の男を剣の腹で殴り、腹を蹴りあげて昏倒させる。
流石兄、と感心していたところで、
――ドンッ!
「きゃっ…!?」
自分のすぐ横にあった家が、またも爆発した。思いがけずめめしい声が出て、尻餅をつく。
その家を見ると、中にいた人らしき影が立ち上がっていた。
――良かった、無事で…。
ほ、と胸を撫で下ろして、
「――俺の妹から、離れろォォ!」
男達をすべて倒したらしい兄が、あの速さのまま家の中の人影に斬りかかりに行った。
「お兄ちゃん! 何を…!?」
その人影は、兄の方を見るとすぐさま懐から何かを取り出す。そして兄の剣を防御するようにそれをかざして、
――キィィン!
響く金属音。それで人影が取り出したのは短剣だったとわかった。
大剣と短剣。力負けするのはどっちか明らかだ。
短剣を押し返された人影は、倒壊した家から飛ばされ、地べたを転がった。
「近接戦闘なら、俺でもあんたらを倒せるんだ。舐めんじゃねえぞ」
兄は大剣を構えてそう言い、人影の方へと歩いていく。
慌てて人影は短剣を構え直し、防御の態勢を取る。
「行くぞ」
兄は瓦礫を蹴って加速し、すぐに『人影』へと詰め寄った。
キン、と再び金属音がなり、二つの剣が弾き合う。
「二度はさすがに食らわねぇか」
続けて二人は剣を打ちつけ合う。二合、三合、四合…。
――いつ、助太刀に入れば…!?
助けようと考えるが、濃密な剣の打ち合いに気圧されて割り込む隙が見えない。
七合目。とうとう兄の大剣が短剣を弾き飛ばした。
――やった! これで勝ちだ!
勝ちを確信し、兄も大剣を振り上げる。
「これで、終い…だッ!?」
だが、後ろから何かに捕まれたように突然その手が止まる。
「二人、かよォッ…!!」
兄たちが戦っていた反対側から、もう一人の人影が出てきた。その肩には大きめの何か塊が担がれていて…
「時間が掛りすぎだ馬鹿者。苦戦するならまだしも、負けかけるとは何事だ」
「すんません…自分も相手がこんな強いんとは知りませんでしたんで…」
あとから出てきた人影が、女性の声を発し、それに答えたもう一人は、聞きなれない方言の男声だ。
「こちらも粗方片付いた。依頼を達成するぞ」
「わかりゃした!」
男が元気に返事するとともに、女は肩からその塊を降ろす。それが、燃える炎に照らされて何かがはっきりとして、
――お父さん、お母さん…?
認識を頭が拒否した。あれはただの塊だ、肉だ、いや人形だ。
血みどろになった塊の一つは、こちらに気づいたように、私に手を伸ばした。まるで、それは早く逃げて、無事に逃げてなどというような慈愛が籠っていて…。
――あれはお母さんやお父さんじゃない! お父さんじゃない! お母さんじゃない!
「む? まだ生きていたか。なんともしぶとい」
――ぐちょり。
女が、その塊に腕を突き刺した。
塊は事切れたように腕を降ろし、二度と動かなくなる。
「行くぞ。時間がない」
腕をそれから抜きつつ女の方が男に言うと、男はそそくさと兄を離れていく。
「てめぇら…! 待ち、やがれぇッ!」
兄は、今をもって何故か動けず、殺気を纏ったまま二人を睨み付ける。
「あー、師匠? あっちはどうすれば?」
「…」
師匠と呼ばれた女は無言で、腕を上げ、そして虚空に何かを描いて…。
「『発射』」
ピュッ、と地面から何かが幾つも飛んだ。それはそのまま兄へと向かって…。
――ぶしゃあ。
兄の体から血飛沫が上がった。そこでやっと兄の体は自由になり、バタリと地面に倒れ伏した。
「あの子はどうします?」
「放っておけ、目標の回収は私たちの仕事ではない。奴らがやってくれる」
二人は、興味のあるものはもうない、とこの場所を離れていく。
――嘘だ。
瓦礫が燃え、火を噴きだす。
――嘘だ。
横たわる二つの塊からは、血が流れ、地面を赤く染める。
――嘘だ。
煌々と火に照らされた兄はピクリとも動かない。
『お前は私達が守るよ』
――嘘だ。
『少しだけ、こうさせて…』
――嘘だ。
『俺の妹から、離れろォォ!』
――嘘だ。
言葉と笑顔と記憶がリフレインする。
倒れた父――そうだ父は死んだのだ。それが認識できているとわかって、これは夢だったと思い出す。
死んだ父の顔に、笑顔が重なる。母の最期の顔を思い出し、起こしに来た兄の顔が被さった。
――一人にしないで…。
そのどれもが消えていく。
霧が晴れるように、家族の表情が薄まり、視界は黒く染まる。
――嫌、嫌!
変わるように現れたのは、
『早く降りろ!』
奴隷商店にいた男の怒号。
『どっか変態の金持ちんとこに売らせるから安心しな!』
私を襲ったチンピラの下卑た顔。
――ヤダヤダヤダヤダ!
黒々しい記憶は、私のすべてを塗りつぶそうとしてくる。感情は汚染され、思い出を壊す。だけど、
『ああもう喋らない。何回も殴られたんだから』
彼の、青い瞳。
それまであった何もかもを忘れさせてくれて、包み込んで、優しさに溺れさせてくれる笑顔。
『おやすみ、お姫様』
青い瞳はただそこにあるだけで私を救ってくれるようで、私の心へと染み込んでいった。
「あ、起きた? 大丈夫? 気持ち悪くない?」
彼の心配そうな笑顔がそこにあった。
室内ということ以外、場所はどこだかわからない。時間は、日が沈んでいるとだけわかった。
板張りの部屋。外は暗いが少し照らされた室内。ソファに座ったまま、彼に膝枕をされている。後頭部に感じる太股の感覚が、柔らかくもないのに心地いい。
現実だろうか、それともまだ夢の中なのだろうか。どうなって、どこが、えっと…わかんない。
まだ寝ていたい。もっと、優しい海の中で溺れていたい。
「…ずっと、傍にいて」
思いを呟く。意識ははっきりしない。視界はふらふらと揺れた。細いがしっかりとした彼の腰を、ぎゅっと抱きしめた。
「…傍にいるよ」
変わらない笑顔で、彼は見つめるだけで、
「…一人に、しないで」
だけど、ずっと見つめていてくれる。
「ああ、俺がずっと傍にいる」
またもう一度、まどろみの中に落ちて行った。
更新遅れ気味でスミマセン…いやまあ不定期だからいいんだけども。
プロローグと相互性取れてるかな? 大丈夫大丈夫、取れてなくてもだれも気付かないって(自己暗示)
ドンッ!×三回! 爆発音を表す擬音語って他にないの? ドォンとかだとギャグ漫画みたいになって嫌なんだよね。単純に、擬音語を使わないで音を描写できない俺の力量不足なんだけど…。超便利、ワンピースで何万回も多用されても納得だね!