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魔法世界の奴隷と主人  作者: 小山 優
15/75

第七章・前 強い彼女の弱さ

 少女は最近、自分でもよくわからない状況に陥っている場合が多い。

「はい、じゃあ教科書十五ページ開いて~」

――何で私が教室で座ってあの人の授業なんか受けてんのよ!?

 今日もまた、そんな状況だった。


 広いが静かな教室に響くのは、チョークの音と、

「この魔力注入式と、第三定理のニュートン指示式を組み合わせることで、運用効率が――」

彼の良く通る声。

 忘れないように、と一週間前の自分なら全く理解出来なかっただろう言葉をノートにメモしていく。

 先週の週末。ハイルディが来た次の日。魔法使いからノートとペン、そして教科書を渡された。

『明後日から君、俺の生徒だから』

 え?

『午後は暇してるみたいだし、大丈夫だよね』

 ええ?

『君なら難なくこなせるから。イケるイケる。あ、二十ページまで予習しといてね』

 えええ?

 会話のキャッチボールはなかった。問答無用である。

 聞くと、週に二回、午後にある授業に出席しないといけない らしい。理由を聞いたが、

『君の力の有効利用? とか制御のためかな』

 訳がわからない。やっぱりバカなんじゃないか。

「そして、前回もやったけど、これは魔力付加(エンチャント)に応用したときに一番有効です。それぞれの欠点を上手く消してくれるからね」

 自分が生徒として授業を受けるのはこれで二回目(つまり通算三回目)。授業としては今期第四回目だ。

 内容はちゃんと聞いていれば理解できるレベルなので困ることはない。今のところは魔法式の組み合わせがどういう効果を生み出すとか、どれが一番効率がいいかとかいうことを授業している。

「――王道の使用法としては、アレクサンドロ式かパルテリア式が有名なんだけど――」

 ギリシャとローマがどうのこうのという話をメモしていたところで、横に座っていた少年――リットから折りたたまれた紙を渡された。開ける。

『放課後、四人で街にいかない? ファフナーより』

 向かって左の後ろを振り向いた。こちらの一段上の席で、小さく手を振っているファフナーと、横でクールな笑顔を浮かべているリスティナを見つける。

――四人…ファフナーとリスティナと、あとはリットか。

 行く、と簡潔に書いた。授業終わりから家に帰るまででも何時間かあり、魔法使いには好きに遊んでいるようにいわれている。出掛けても問題はないだろう。

 もう一度紙を折り畳み、リットに渡すと、呆れた顔で溜め息をつかれた。

『授業中に僕を郵便係にしないでください。全員年上とはいえ怒りますよ』

 テレパシ ー。それでリットが直接こちらの頭の中に言ってきた。

 リットはこのクラスで、少なくとも先程の四人の中で一番魔法の技術が高い。六歳児の癖に恐ろしい。

『年下だから足蹴にされているのだ。悔しければあと十年早く生まれてくるんだったな』

 次に聞こえたのは、リスティナのテレパシー。

 テレパシーが出来るのは、四人の中ではこの二人だけで、その会話をこちらにも流しているという形をとっている。どうやってるんだと聞いたが、「四人を『ろーかるねっとわーく』で結び、『ろーかるさーばー』上に情報をあげて」いるらしい。そうすると、「個人の『しょりふたん』が軽減されて」便利らしい。さっぱりわからない、勉強しないと。

『「ラッセル」で集合だ。わかったな』

 リ スティナにリットが溜め息で返事をし、自分とファフナーは小さく頷いた。

 それとほぼ同時に終業にチャイムがなる。会話はしつつも板書はしっかりとっていたので問題はない。ファフナーが必死になって写し始めたが。

「今日はここまで。来週からは実技も始まるから、予復習はしっかりね~」

 何故か魔法使いはややニヤケ顔でこちらを見、そのあと終わりの挨拶をした。よくわからない。


「実にいい。この国、この街、この学校は実にいい」

 学院すぐ近くのカフェテリアでリスティナが紅茶片手に言う。

「誰がいても何がいても、何事も無いように過ごしてくれますからね」

 ファフナーが嬉しそうに翼を少し動かしたため、涼しい風が生まれた。

「あなたたちがいて驚かれない方がおかしいんですよ、まったく…」

「? そのようなものなんですか?」

 やはり溜め息をついたリットに問うと、「そんなものなの!」と荒っぽい返答が返ってきた。

 この三人と自分が何故親しげに話しているのかというと、単純明快、前回の授業のグループワークで一緒になったから。議題は確か、魔法で可能にできること、だったか。

 身分の不明瞭な自分にも、普通に接してくれたの は有り難かったと言うべきか。

「ドラゴンや竜人が、街中の! 陽光眩しい! ちょっとお洒落なカフェテリアで! 紅茶を飲んでるなんて! これが常識なら、僕はすぐさま精神科にいってきますよ!」

 ここは、学院のすぐ近く。大通りに面するカフェテリアで、彼らに言わせれば「ちょっとおしゃれな」のだろう。自分としてはもっと庶民的な方が好みだ。堅苦しくて困る。

 この都市は、この国の首都らしく、政治・文化・情報に中心地だ。魔法学院もそれを成す要素の一つに過ぎない。そして、この国の特色として、

「万民平等、万族公平、おまけに信教自由と来れば、最高以外の言葉が見つからぬわ!」

 ということらしい。

「それが顕著に表れてるのが学院の入学制度なんだけどね」 楽で助かる、とファフナーは紅茶と一緒に頼んであったケーキを食べる。

「ファフィ、口元にクリームがついているぞ――と」

 女竜人は、ドラゴン少年の唇の横、生クリームがついているところに自分の口を近づけて、

「ちょっと…リス…みんな、見てるのに…」

「…」

 舌で生クリームを舐めとった。カフェテリアの視線が一瞬集まるが、「なんだあの二人か」とどこからか呟きが聞こえて元に戻る。

 リスティナは、北アフリカ出身の竜人。『救世の末裔』とやらの一端を担うらしい。ファフナーの方は、シチリア島出身の黒竜。二人は昔からの幼馴染みで、

「いや、街中でこんなことをしても「なんだ」で済む気風は実にいい! 気兼ねなくいやらしいことができる!」

「ふ、二 人だけのときにお願いしますよ!?」

 恋人同士である。

「…見てるこっちが恥ずかしい」

「…ですね」

 リットの溜め息と呟きに頷く。

 対するリットは、イタリア北部の都市、ヴェローナ出身だ。

「そもそも、この中で一番その恩恵を受けているのは、リット、ぬしであろう?」

「どういうことですか…?」

 リットは見かけの上は完全な人間だ。

三色合わせ(ミックスカラー)…三種族の混血なんですよ、僕は。人間が二分の一、ドワーフとエルフが四分の一ずつ。人間の血が濃いから、格好は普通ですけどね」

 だからどうしたのだろう。

「混血程度なら、よくいるではありませんか。私もエルフに獣人が混じっているようですし」

 言うと、また唖然とした顔をされる。 ハイルディの時と同じだ。

「あ、えーと? 混血は、遺伝の関係で普通は二種族までしか混ざらないんです。別種族のハーフ同士でも、生まれるのは四種族混血じゃありません。純血が生まれることもあります」

 ファフナーはやや気まずそうに説明する。

「だから、三色合わせ(ミックスカラー)は珍しいんです。稀に、崇拝している文化もありますけど…」

「僕の故郷みたいに、忌避されているのがほとんどです」

 言い淀んだファフナーのあとを、リット本人が続ける。

「両親を恨んではいませんけど、もっと考えて生んで欲しかったとは思ってます」

 リットは静かに紅茶を飲んだ。

「異族差別は、住んでいる場所を変えればどうにかなるが、三色合わせ(ミックスカラー)はどこでも同じ であるからな」

「別に、差別されているとかそういうのはどうでもいいんです」

 視線をリットは少し泳がせる。

「皆さんが受け入れてくれた、ここに居られるだけで良いんですから」

 場が、少し暖かな空気に包まれた。それは急な感謝から生まれた照れの温度であり、「今」を実感した嬉しさの熱であり、

「…すみません、今のは皆さん忘れてください」

――クサいな、六歳児とは思えないぐらいに。

 まるで物語からそのまま引用したような言葉に感じるこっ恥ずかさだった。

「こほん――まあ三色合わせ(ミックスカラー)は集まれないけど、異族差別なら『隠れ里』を作って、集団自衛ができるしね!」

 照れを掻き消すように咳をしたファフナーは、やはり何かを誤魔化すように 雑学を言う。だが、

「『隠れ里』、とはなんなのでしょうか?」

 出てきた言葉に首を傾げた。

「ん? 『隠れ里』はな、何かしらの理由があって、他の集団と暮らせなくなった者が集まる土地や共同体のことを言っているのだ」

「よくあるのは、被差別民族が山奥に籠ったり、宗教上の理由で外界との交流を断つ、とかですね。公然の秘密になってますけど、魔女が高地に作った『見下し山(エーデルブロッケン)』やハーピーの『巣作り高地(アルプスフォールン)』、禅宗の山籠りなんかも有名ですね」

 ハイルディも、隠れ里とやらにすんでいるのだろうか。

「そんなことより! これからなにしますか!?」

 ファフナーが、先程までとはうって変わって爛々とした目で、三人に問い掛ける 。

「ああ、今日はファフィから誘っていたんだったな」

「僕は図書館か本屋で良いです。他に行きたいところもないですし」

 やる気無さげなリットに、もっとワクワクしてよとファフナーが文句を言う。

 どこにでもあるような、学生の会話。だけどそれを見て思うのは、

――私、こんなことしてていいのかな。

 社会的には、自分の地位は学生だろう。しかし、その実態は、

――奴隷。

 被差別者で、低身分だ。

 目の前の三人はその事を知らないし、だから普通に接していいのだけれど、

――もっと、もっとふさわしい扱いがあるはずなのに…!

「――君は行きたいところある?」

「え? あ、はい。えっと…」

 突然聞かれて言葉に惑う。

――食料は昨日買ったし、 雑貨で足らないものは無かったし、あとは…。

「主の場合は、その格好をどうにかせんとな」

 完全に主婦の思考をしていたところで、リスティナの不適な笑みが見えた。

 今の自分は、魔法使いに貰ったメイド服そのままの格好だ。三着あるメイド服をローテーションで着ている。

「センセーのところでお手伝いしながら通ってるんだっけ? すごいじゃん」

 ファフナーの言う、編入時に魔法使いがした嘘の説明にやや心が痛むが、しょうがない。授業を受けさせているのはあの人だ。

「どうにかしろ、と言われても、これが普通ですし、他の服があっても着る機会がないですし…」

 わざわざ学校に来るためだけに、屋敷での作業着を着替えるのも面倒くさい。

「ダメだよ! 女の子な んだから、いつでもおめかしできるだけの用意ぐらいは持っておかないと!」

 何故か白熱しているのはファフナーだ。女子であるリスティナはそこまで興味を見せていない。リットはいわずもがな、紅茶のおかわりを頼んでいるだけだ。

「じゃあ決まりだね。西通りに行ってウィンドウショッピング! リットもその時本屋でもどこでも寄ればいいし、リスは試着を手伝ってあげてよね」

 リスティナとリットは二つ返事で頷く。

――…私の意見は全く考慮されてないな。

 時間に余裕はある。服を買うぐらいならそこまで大仕事じゃないだろう。まあなんとかなるか。

 自分の分の紅茶を飲み干す。すっかり温くなってしまったが、ちょうど良い熱さを喉元に感じて席を立った。



――甘かった。

「んー。赤は似合わないなー。さっきのピンクの方がよかったかも…次はこっちを着てみて」

 女性用服飾雑貨店でワンピースやドレスをこちらにあてがうのは、やはり何故かファフナー。服を受け取ったリスティナはまた二つ返事を返し、服と一緒に私の体を試着室の中に持って行った。

 目にも止まらぬ早業で、こちらの服が脱がされ、新しい服を着せられ、試着室のカーテンが開く。

 薄い青を基調としたミニドレスで、髪に蝶をあしらった飾りがついている。

「あ、これいいかも。でも、獣耳も活かしたいし、髪色と合わない気がするな」

「では、ファフナー様。こちらの方は如何でしょうか」

 ファフナーは顔見知りらしい店員と次の服の相談をしている。

――なんでたかが服選びにこれだけ手間暇かけてるんだ!?

 かれこれ一時間。服を着ては脱ぎ、脱いでは着ての繰り返し。二十までは数えたがそれより後はわからない。リットは通りの向こうの本屋で立ち読みだ。

――てっきり、もっと実用性のある服だと思っていたのに…。

 上下皮製品で済ませると思っていたのに、連れてこられたのはいかにも小奇麗なブティックだ。戸惑わない訳がない。

「ん? さすがに主も疲れたか?」

 仕事が来ないで暇になっていたリスティナが、だれていたこちらの様子に気づいたらしく話しかけてきた。

「はい、まあ。…リスティナさんから見て、どんな服がいいと思います?」

「私か? そうだな…」

 緑の鱗肌を惜しげもなく――一糸纏わず露出させる彼 女は、一通り上から下までこちらの体を凝視した後、

「――脱がせやすい服。片手で一瞬で全裸に出来るぐらいの奴が良いな」

「はあ!?」

 何を言ってるんだこの人は。

「結局、着飾ろうとも、最後の大事な時には全員が裸ぞ? 私もその方が便利だしな」

 そう言いつつリスティナが恍惚とした表情で見つめたのは、店員と話しているファフナーだ。

「…ファフナーさんの服も、ですか?」

「ああ、奴は授業のある日は皮製品で済ますんだが、二人で出かけるときは中々に惚れ惚れする格好をしてきてな。それを無残に脱がした後の楽しみは――他の何ものにも代え難い」

 何か性生活と恋愛模様が垣間見えた気がしたが気にしないでおこう。

 そうこうしているうちに、相談を終えた ファフナーが手に服を持って戻ってきた。

「リス、次はこれお願い! 次は自信あり!」

 じゃあ今まで何だったんだと思うが、口に出さないでおく。

 試着室のカーテンが閉まり、リスティナがてきぱきとこちらの服の着脱を行う。

「ん、ああ、これは…」

 着せる途中、何故かリスティナに笑顔が浮かぶ。何かおかしいだろうか。

 着せ替えが終わり、リスティナがカーテンをあけた。

「できたぞ――実にいい」

 白。純白で半袖のミニワンピースで、前には装飾用のエプロンがかかる。清楚に明るさを足したような雰囲気だ。髪にはガラスでできた花のヘアピンがついている。

「シンプルイズベストに一捻り加えた感じ。イメージは家事上手なお嬢様、かな」

 ファフナーの言葉に店員が「いいですね」と微笑む。

 これはちょっと自分で も、

――…可愛いかも。

「本当は足元も揃えたかったんだけど、また今度でいいや。とりあえずお会計を…」

 ファフナーは店員と一緒にカウンターに向かいかける。

「あ、いや、そんな、お代は私が…!」

「いいのいいの、どうぜ僕が好き勝手やりたくて付きあわせたんだし」

 何事でもない風な笑顔で流される。値札を見ると、買って買えないものじゃないが、相応な値段だ。

「もう試着なさっているようですし、そのままの格好になさりますか?」

 店員が変な気を使う。

「うん、そうしてくださいセンセーにお披露目してきなよ」

――それは、ちょっと…。

 またニヤケ顔で何か言われそうだな。

 最後にすこし不安を覚え、店を出る。

「そろそろ時間だよね? 大丈夫? 帰れる?」

 少し心配し過ぎじゃないかというぐらいの声色でファフナーが顔を覗いてくる。身長が低いからと言って舐めすぎだ。これでも一応十六なのに。

「はい。歩いてきた距離と曲がり角からだいたいの位置は把握できてます。最短距離でいけますね」

 言うと、すこしヒいた顔で驚かれる。「君、凄いね…」そこまで凄いか。この技能がなければ、冬に山に狩りに行って道に迷った時どうやって道なき道を歩いて帰るのだろうか。標高と踏破距離と風景から立体地図を考えるぐらい一般常識だろう。

 じゃあ、と二人に手を振って別れる。結局、リットはどこ行ったんだろうと思っていると、本屋から紙袋片手に出てきた六歳児を見つけた。分厚さから察するに学術書か辞書だ。六歳児のくせに。

 陽が西へと傾き始めた街の中を歩いて行った。


 迷った。

 目の前にあるのは、建物と建物に囲まれた袋小路。陽の光は明るいのにどこか薄暗い雰囲気を醸し出している。

――…そうだ。街中って、歩けばどこかに着くような地形じゃないんだ。

 学院までの最短距離で――つまり直線でひたすら突っ走るという方法で進んでいたのだが、山や森とは違い、街は行き止まりがあり、道路に沿って移動しないといけない。そんなことを見落としていた。

――まあ、こんな大都会なんてくるの初めてだし…。山なら、崖につきあたっても登るからいいんだけど…。

 自分が行ったことのあるのは、大抵は村の規模の集落。せいぜい小都市だ。学院から何度かこの街の風景を見ていたが、ここまで複雑とは…。

 溜息を一つついたとき、左右の建物の窓枠や突端を見つける。

――あそこの枠に足をかけて、排気口を足場に二段ジャンプしたら、この壁を超える…いや、ベランダに飛び乗ったら屋根までいけるかも。

 さすがに屋根の上まで障害物はないだろう。屋根伝いに学院を目指せば五分とかからず着く距離だ。

 跳ぶか、と助走をつけようとして、

――この服じゃ…。

 歩いた拍子に優しく風に靡くワンピースは、自分と少し不釣り合いながらも似合っていた。

――動きに支障はないだろうけど…。

 服の型は崩れるだろうし、汚れるのは必至だ。自分で買った服なら躊躇なく汚すが、人様に見繕ってもらったものであるし、

――…可愛いし。

 しょうがないか、と進路を変える。元来た道を走ればなんとか間に合うだろう。



 迷った。

 目の前にあるのは、陽の光のほとんど入り込まない十字路。小さな広場になっているが、人気は感じられない。

――迷子の子を助けている場合じゃなかったな。いや、あそこで一個曲がり間違えたのかな?

 要因はいろいろと浮かんだが、悩んでいてもしょうがない。

――人に道を聞くか、どこかで地図でも探すか…言葉は通じるよね?

 なんとか時間までには帰れるかな、と路地を出ようとしたとき、

「――なあ嬢ちゃん、ちょっと俺らに付き合ってくんねぇかな」

 自分に声を掛けられたのかと思い、一瞬ビクリとなる。だが違う。声の場所は少し離れた場所だ。

 下卑た、と形容するのが相応しい、気持ちの悪い男声。悪い雰囲気を持っているのだが、如何せん小物の臭いがしてたまらない。

 その声の方向を振り向く。

 暗い広場から、さらにもう一つ裏の路地へと入ったところ。そこで、二、三人の若い男が一人の少女を壁際に追い詰めていた。

「あの、えっと…やめて、ください…!」

 少女の姿はやや大人びた空気を纏っているものの、背丈は低く、よく見ても十歳少し。大方八歳程度だろう。白いブラウスに短めのスカート。どこかの学生だろうか。

――チンピラのナンパ…? それも悪質な種類の…。

「ああ? こちとら遊びに誘ってやってるだけじゃねぇか! 文句あんのか!?」

「ひゃっ…」

――…なんというか、人間の屑というか、心の底から小物というか。

 男たちの怒号に少女が固まる。もっとも、あれを怒号とするなら、魔法使いの授業の声は騒音で、奴隷商人のところにいた男の声は災害になるぐらい迫力が違う。

「いいから俺らと一緒に来ればいいんだよッ!」

「や、やめてっ・・・」

 とうとう、チンピラの一人が少女の胸ぐらを掴む。そのまま地面に倒す流れに入ろうとしていき…

――…助けないと。

 ここまできて見過ごせるはずがない。五分遅れるかも、と心の中で魔法使いに詫びを入れる。

 タタタと助走を兼ねて駆ける。目指したのは、少女を地に組み伏せようとしている男の方。

 歩数を合わせて、一、二、三――

――蹴る!

「なッ!?」

 少女に馬乗りになろうとしていた男の顎を足の甲で捕え、高く蹴り上げた。

「てめぇ! どっからッ!」

 他二人がようやくこちらの接近に気づき身構えた。小さくて視界に入らないのはこういう時便利だ。

「あなたは早くこっちに来なさい!」

「は、いッ。ひ、きゃッ!?」

 成す術もなくうつ伏せになっていた少女を足で引っ張り、自分の後ろに持っていく。我ながら器用なことをする。

「てめぇ…ガキが何の用だよッ!? 関係ねぇだろうが!」

 少女と一緒にチンピラと後ろに引くと、最初に蹴った男が痛む顎を抑えながら立ち上がった。

――会う人会う人が子ども扱いして…!

「これでも十六歳です、クズ野郎。あなたは早く逃げなさい。あとは私がなんとかします」

 チンピラに悪態を飛ばし、少女に逃げるよう促す。

「え、でも、あなたは…」

「このクソガキがッ!」

 狼狽えた少女を尻目に、チンピラの一人が突っ込んできた。

――…遅い。重心はブレブレだし、足元はがら空き。

 こちらは一気に姿勢を下げ、その勢いと一緒に右足を大きく外に蹴り出し、下段回し蹴りを行う。

 ちょうど片足しか地面についていないタイミングで狙ったそれは華麗にチンピラの足を薙ぎ払った。それを確認した後、両手を地面について軸とした代わりに左足を地面から離し、右足が戻ってきた勢いをそのままに左足をチンピラに向かって打ち出した。

 倒れかけたチンピラの肺にクリーンヒットした蹴りは、チンピラの体を後方へと押し出した。

――アップができていませんが、こんなチンピラ相手なら大丈夫でしょう。

 足を地につけて立ち上がり、少女の方を振り向く。

「こう言わないとわかりませんか――あなたを助けるのに、あなたがそこにいられると邪魔なんです。早く逃げてください」

 コクコクと必死に頷いた少女は尻尾を巻いて、というのがよくあっているという様子で逃げていく。後ろで人を守りながら喧嘩するとか、どれだけ面倒くさいと思っているんだ。

「ガキが、粋がってんじゃねぇぞ…!」

 チンピラ三人が路地に広がり、こちらの退路を塞いだ。

――少しヘマしたかな、全員倒さないといけなくなった…。

 チンピラの一人がポケットからナイフを取り出し、他の二人も道に落ちてい角材や石を拾う。

――ワンピースは…ちょっと汚れちゃうかも。

「ッラァァァァ!」 

 一人が、ナイフを前に構えて突っ込んできた。

――…何もかもありえない。

 叫んだら筋肉の動きが乱れるとか、手段のわかっている攻撃をしてなんになるんだとか、そもそも足が遅いとかの文句が浮かんだ。

 こちらに飛び込んできた相手の体を横に避け、足を掛ける。

 躓きかけて前のめりになった相手の腹に、

――膝蹴り。

 右の膝で思い切り蹴り上げる。ミニワンピースの端が太股を滑り、露出された膝からは骨にヒビを入れる感触が伝わってきた。次いで体を回転させ、左足の踵でチンピラの体を少し上昇させ、一回転し終わったと同時に大きく左足でジャンプし、

――蹴りつけ。

 右足で地面に叩き付けた。反撃の意志を見せる前に距離を取る。

「この野郎…!」

 野郎ではなく女子なのだが。

 次々と突進してくるチンピラたちを、避け、転ばせ、蹴り上げ、踵落としし、踏みつける。

 体術、それも相手を気絶させたり殺したりするのが目的の場合、その効果が最も出るのは足である。

 足は手よりもリーチが長いし力も強い。脚力強化がそのまま攻撃強化につながる。体の柔らかさが求められるが、一定を満たしていれば問題ない。

 武人として、家族ぐるみ村ぐるみで体術を習ってきた自分にとっては、こんな街のチンピラ如きとまともにやって負けない訳がない。クマより弱い。イノシシといい勝負だろう。

 畜生以下の連中に通算三十は蹴りを込めたころ。三人のチンピラは石畳の地面に寝そべり、痛そうな呻きをあげているだけとなっていた。

――勝負あり、か。

 効果よりも痛みが残るように蹴りを食らわせたので、一分二分もすれば起き上がるだろうが、少なくとも今は動けなくなっているだろう。

――時間は、もう十分は遅刻してる。怒られたらヤだな。

 早く帰ろう、と走ろうとしたところで、

――気持ちの悪い殺気。ズルをして獲物を襲うような、卑怯な殺気。

 そんな気配を背後に感じると一緒に、右へ飛びのいた。だが、

「ウッラァァ!!」

 左肩の露出した肌の部分を、鈍いが強烈な痛みが刺激した。

――後ろから、もう一人…!

 倒れている三人とは別のチンピラが、後ろから棍棒で不意打ちを仕掛けていていた。しかも体格は三人よりも幾分かでかい。

 あのままいれば、後ろから頭を殴られて脳震盪を起こしていた。持ち前の勘で、なんとか回避できた――肉を切らせて骨を守れた。だが、

「チビが調子乗ってんじゃねぇぞ!」

――クズはその骨ごと押さえつける。

 痛みに怯んだこちらの体を、大男は片手で地面に叩き付け、巨大な手で口を押さえつけた。その流れでマウントポジションを取られた。

 モガモガと口を動かすが、手が邪魔して声も出せず、噛み付こうと口を開くこともできない。

「ったくよぉ。遅ぇから見に来てみれば、なんだってこんなチビ女に手間取ってんだ。第一、もっとイイ女選べっつったろ。わざわざ襲う女の選択間違えてどうするよ」

「すんません…兄貴。こいつに、元々目ぇつけてた奴を邪魔されまして…」

 大男が上から目線でチンピラ達に言うと、最初に顎を蹴った奴が痛みを堪えながら立ち上がる。

「ほお…でもまぁ、こいつもまあまあ見てくれも良いし、綺麗に飾ってんじゃねぇか。運よく傷もついてねぇし…肩は治んだろ。ガキは趣味じゃねぇんだが…」

「でもそいつ、十六らしいですぜ。自分で言ってたから間違いありやせん」

 大男は、気持ちの悪い目線でこちらの体を視る。

 ワンピースは、少し乱れているがあまり汚れてはおらず、憎いほど綺麗にこちらの美しさを際立たせていた。

――見るな見るな見るな! お前に見せるために着ている服でも、ものでもない!

「まあいい。たまにゃあこういう趣向もいいだろ。チビの方がイイっつー話も聞くからな」

 舌なめずりをした大男は、ワンピースのスカートに手を掛ける。

――やめろ、触るな! それは、お前が触っていいものじゃない! お前に触ってほしいものじゃない!

「十六なら結婚できるだろ? ツカッた後は、薬でグチョグチョにして、どっか変態の金持ちんとこに売らせるから安心しな! どうせその頃にゃなんもわかんねぇようになってるぜ!」

――お前に奪われるぐらいなら、あの日、あの時、初めて会った時、彼に、無理やりにでも奪われていた方が――!

 絶望の暗い感情が抵抗心を塗りつぶしていく。だけど恐怖に負けるな、抗えと奮い立たせた、その時、

「ギリギリ法律的にセーフかなー。だけど、今やってる行為そのものがあらゆる面でアウトだと思うんだ、センセー」

――え?

 恐怖とか絶望とかが、疑問と唖然で埋められた。

 大男のすぐ後ろ、ボコボコに殴られた顔をして倒れているチンピラの横に立っているのは、

「ああ、あと俺。いまめちゃくちゃ怒ってるから」

 彼――魔法使いがそこにいた。



「てめぇ! 何をッ!?」

 大男はこちらの体を横に放り投げ、魔法使い相手に身構える。石畳の上をごろごろと転がり、建物の壁にもたれて止まった。

「あー、今ので怒り度合が完全に振り切れたわ。何人か人殺したい気分かも」

 対する魔法使いは、笑顔のまま立つだけ。

――そんな、あの人が何か戦えるわけが…。

 大学の教授と、街のチンピラの兄貴分――誰が見ても、暴力の勝敗は明らかだ。文科系職業が無法者に適うわけがない。

「モヤシ野郎、こんなところで何してやがる」

「やっぱり、俺ってどっちかって言うとモヤシの分類に入るのかな。よく筋トレしているつもりなんだけど」

――話している暇ないでしょ!? 早く逃げて!

 自分の状況も鑑みないで、彼の無事を願う――いつからこんな考え方になったんだか。

「答えろよ! てめぇ一体手下どもに何をして――!」

「答えるわけないだろこのクズ。人でない奴にやる言葉なんてないだろ。あー、今、会話しちゃった。すぐに家帰って脳味噌から石鹸で洗いたい」

 悪態に、大男は怒りで体中を真っ赤にした。

「このクソ野郎がッ!」

 大男は拳を振り上げる。体重の乗った重い一撃だ。

「語彙力が少ないと悪口考えるにも苦労してるみたいだね」

――早く、逃げて!

 逃げて、避けて、助かって。

 成就されないだろう願いに思わず目を瞑り、彼の悲鳴を想像して、

「これだからクズは嫌いなんだ。好きでもおかしいけど」

変わらない悪態を聞いた。

――なんで?

 この場面で、彼は殴られてしかるべきだと思っていたのに。

 恐る恐る目を開ける。

「死にはしないよ。まあそれより悪いかもしれないけど」

 そこには、変わらない笑顔の彼と、ガチガチと震えながら地面にうずくまる大男の姿があった。

「…どうし、て…?」

「ああもう喋らない。何回も殴られたんだから」

 打撲と打ち身で体が痛い。

 彼は何事もなかったかのようにこちらに近づき、よいしょとこちらの肩を彼の膝の上に置いてきた。ちょうどこちらの顔の上に彼の顔がくる。

 目が合った。

 あの日、最初に会った日と変わらない、青い瞳。

 優しく、何もかもを包み込んで同化してしまう青さ。そこに映っているのは、弱った自分の姿。情けないが、どうすることもできない。

 どうして彼がここにいるのか、どうして場所がわかったのか、どうして大男が動けなくなっているのか。

 疑問は山ほど思いついたが、口に出す気力も勇気もない。

「左肩、ちょっと切れてるね。待ってね、と」

 彼がこちらの肩に何か文字か模様を描くと、そこにあった痛みがジワリと溶けて消えていく。同時に、強烈な眠気が頭を襲った。

「治療の前の、鎮痛用魔法だ。麻酔も兼ねてるから、ちょっと眠く…ああもう寝そうだね」

――まだ、いろいろ、聞きたい、ことが…。

 口を動かそうとするが、思考が淀み、瞼が落ちていく。

「おやすみ、お姫様」

ちょっと遅れ目の更新。ていうか後半急いで書いたから文が粗雑になってると思う。

できるだけ直接的な言葉を使わないでエロいこと言いたいな計画進行中。



設定に関して

中世ファンタジーなのにブティックとか出てきて、なんじゃこりゃな展開ですが、これは舞台となっている国の成り立ちに因ります。

この国は、イタリア半島で、ローマ帝国が崩壊した後の戦乱で成り上がった国、という設定です。その際、当時のキリスト教皇にあたる陣営と対立し、破門されます。ですが、破門されても環地中海の北部を治めるぐらいに成長しちゃいました。よって、キリスト教の影響を受けなかったローマ帝国もどきが誕生し、ローマの思想・政治・経済がさらに千年をかけて成長していった結果、近代並みの国家になったと妄想しております。かなりかいつまんだ設定説明なので、矛盾一杯です。

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