プロローグ master
男が、やや薄暗い、夕方の細い路地を進んでいく。
大通りから一つ裏へ入ったそこは、どこか寂しげで危なげな雰囲気を生み出している。
角を右に曲がり左に曲がり、狭い路地の中にしては大きく、豪華な意匠の建物を見つける。
『奴隷商店』
描いた当時は洒落たデザインだったのだろうが、今では禍々しさを放つだけとなった看板を一瞥し、その扉を開ける。
テニスコートほどの大きさの店内には、まばらに人がいるものの、繁盛していると言うほどではない。
店員はどこか、と探していると、奥のカウンターから、フードを被った、ずんぐりとした体格の小柄な人影が出てくる。
「どうも、お久しぶりで御座います。魔法使い殿」
「こちらこそ、久しぶり。少し太った?」
その店員――奴隷商人は少し頭を下げ、こちらに近づいてきた。
「以前が痩せ過ぎだったので御座いますよ。種族としてはこれが一般的でして」
「ドワーフだっけ?」
聞くと、ドワーフとオークのハーフだという答えが返ってくる。
「げぇ……。言っちゃ悪いけど、ルックスだと最悪の組み合わせだよね?」
「いえいえ。この職業ではこちらの見かけの方がお客様には喜ばれまして――実にイメージ通りだと」
フードの下からは、ドワーフの彫りの深い顔と、オークの耳や鼻が尖った丸坊主の顔が混ざった、デコボコと不格好な薄い笑顔が見えた。
「で、頼んどいたのは?」
「もちろん揃えましたとも。前金もあれだけ頂いておれば、応えない訳にはいきません」
会話の後、二人はカウンターの奥、倉庫の方へと入っていく。
「家事掃除に長けており、文字の読み書きができる。種族と性別は問わず、できるだけ若い方が良い――前二つの条件を揃えるのが些か面倒でしたが、まあ探せば少なからずおりますので」
商人を先頭に、二人は石で造られた通路を歩いていく。途中、いくつかの部屋からは獣のような唸り声や叫び声が響いてきた。
「……調教部屋?」
「『学習室』と呼んでくだされ」
何事もイメージが大切ですから、と商人が答える。
「何も、『そういった』ことばかりを教え込んでいるわけではありません。読み書きも教えますし、場合によっては魔法の技能や工業技術を教えることもあります。それとも、『そういった』調教をお望みでしたか?」
意地悪く不機嫌そうに尋ねた商人に、いやいやと首を振る。
「僕はそういうの好きじゃないからさ。セックスには愛がないとね」
言った言葉に、商人が溜息をつく。
「そんなことばかり言っているから、人口が減っていくのですよ。神聖ローマの内乱が起きてからは、人の『消費量』が以前にも増して増えているのですから」
奴隷商人としては、『商品』の供給が減るために不満なのだろう。
「さて、着きました」
そう言って商人が立ち止ったのは、少し小奇麗に仕上げた風のある扉の前。恐らく上客との商談や商品紹介に使われているのだろう。一応は綺麗なのだが、自分が来客用の通路ではなく店員専用路で近道して連れてこられたあたり、客として扱われているのかは微妙だ。昔からの馴染みとしても、少し遺憾だ。
商人はフードの下から書類と鍵を取り出し、扉を開ける。
中に入ると、石畳の床の中央に絨毯が敷かれ、その上に低いソファ二個とテーブルが置かれている。そして、その奥、暗い部屋の隅には、
「右の檻が、今回の条件にあった奴隷で御座います。都合五人集まりましたので、その中から選んで頂ければよろしいかと」
幾つかの檻に入れられた奴隷たちがいた。
右の檻には五人の男女。中央には女、左には男が各一人ずつ。
「あっと、プロフィールかなんかある?」
聞くと、先ほどの書類の中から幾つかを渡してくる。
年齢と種族、性別をざっと黙読する。
28歳、人、男。
27歳、人狼でエルフのクオーター、女。
32歳、人狼と欧州ドワーフのハーフ、女。
25歳、獣人とドワーフのハーフ、男。
37歳、竜人、男。
「……竜人なんて、よく奴隷に出来たね。捕まえても普通逃げられるでしょ?」
「そのモノは、もともと魔力量が少なく、力も弱いようで、既存の制御装置でどうにかなりましたので」
珍しい、と呟いて他の項目にも目を通すが、そこまで重要なことは書いていない。
――種族で見るなら、竜人で即決なんだけど……
自分の生まれ年を思い出す。今年で二十歳だ。
――年上は扱いづらいしなぁ……。
奴隷とはいえ、年の功や威厳で命令を出しにくい。気の弱い自分を恨むしかなかった。
檻の方を見れば、それぞれ薄い布の服に身を包み、やる気なさそうに地べたに座り込んでいる。
――あの様子じゃ、うまくやってけそうではないしなぁ……。
その時、たまたま目についたのは横の檻に入っていた女奴隷。
幼い顔立ちの少女で、低い身長。耳は尖っており、エルフのようだ。
服装は他の奴隷と同じだが、足には重い鉄球がつけてあり、その上で檻の壁や格子を蹴って暴れている。ガシャンガシャンと鉄の揺れる音がよく響いた。
「あの娘は? 条件は満たしてないの?」
「あれですか……。満たしてはおりますが……」
難しそうな顔をした後に、商人はプロフィールを渡してくる。
16歳、エルフで少し獣人が混ざっている、女。読み書き可、家事類可。
文面上は条件に的確だ。
「が、ってどういうこと?」
「見てわかりますとおりです」
商人が見た檻の中の少女は、ガシガシと暴れている。
「まあ、あれぐらいのことなら、なんとかなるよ。それに――」
真ん中の檻へと近づき、少女の顔を覗く。
檻を蹴るだけだった少女の顔に、少しの恐れと怒りが生まれ、ギッと睨んできた。
「――好みだしね」
振り返り、テーブルの方へと近づく。
「それじゃあ、契約成立と行こうか」
何よりで、と微笑んだ商人は、テーブルの上に書類を取り出し、自分はそこにサインした。