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0081  作者: 北川瑞山
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第七章

 その日の夕食は屋外のテラスで行うバーベキューでした。僕は夜空を背に一人酒を飲んでいました。相変わらず部員達は権力の構造を反映させる様にあちこちで群れていましたが、僕は敢えて一人でいたのです。集団の権力などと言う作為的かつ無意味な権力をもはや信用しなかったが為です。頭上に広がる満面の星空は、日中の衝撃をかき消してはくれませんでした。のみならず、日中の衝撃は僕の頭蓋の中で未だに燃え広がり、夜空を赤く染める様な威力を保っていました。この為に、僕の興味は一層集団の権力などというものから遠ざかったのです。女子部員が甲高い声を上げて橋本の下に群がっていました。僕はそれをある意味では微笑ましくすら思いました。自然の権力は美しいのです。彼女達も自然の権力に酔いしれているのであれば、それは一夫一妻制などという価値観を放棄してでも求める価値のあるものだと思われました。「誰でも良い」という娼婦性を女の醜さだとするならば、一夫一妻制をかなぐり捨てても自然の権力を求める彼女達は女として実に美しいと言えるでしょう。

 その時でした。

「大丈夫?酔っぱらってない?」

不意に僕の頭上から、柔らかに湿った声が降り注いできました。見上げると、松井さんの目鼻立ちのはっきりした白い顔が、夜空と同化した漆黒の頭髪の中に浮かび上がっていました。朧月の様なぼんやりとしたその微笑に、あの時の記憶が一瞬にして蘇りました。大学のテラスでの記憶です。僕には未だ分かりませんでした。何故松井さんは権力に群がる事をしないのか。何故僕の様な権力を持たない者の側に近寄るのか。僕は松井さんの顔を見上げながら、一抹の不快を感じました。自然の権力の美しさを持つ者が何故これほどまでに不自然な態度を表すのか、逆行とも言うべきこの自然への反発に恐怖すら覚えました。しかし不思議な事に、その逆行は彼女の持つ権力の美しさを微塵も毀損していませんでした。肉体の権力が精神の権力に逆らっている姿は、まるで風を受けた帆の様に満ち足りた美しさがありました。それは偽悪というものとも性質を異にしていました。彼女はあくまで「善」の性質を保ったまま、醜い他の女子部員達とは一線を画しているのです。醜い、と言うのは、何も彼女達が橋本に群がる事全てを指している訳ではありません。先にも言った様に、橋本の存在そのものは自然の権力ですから、それに群がる事はむしろ美しいのです。けれども橋本のもう一つの権力、すなわち集団の中で得た権力は不自然の権力です。それを求める事はとてつもなく醜い行為です。のみならず彼女達同士は決して融和していません。つまり一夫一妻制の思想を帯びています。それが何より不自然であり、醜いのです。ところが僕はそれと同じ醜さを、松井さんの完璧な美しさの中にも認めたのです。彼女の不自然な行為は、真っ白な半紙に一滴の墨汁を垂らした様にみるみる広がり、その存在を主張する憎むべき行為でした。それが何故なのか分からないながらも、僕は彼女の美しさの完全性を信じたいがあまり、彼女の醜さを無視しました。僕は話しかけて来た彼女に一瞥をくれたきり、黙って酒を飲み続けていたのです。彼女は首を傾げ、それからどこかへ行ってしまいました。

 ところがそれから数分後、僕は妙な事に気が付いたのです。松井さんは決して権力に媚びようとはしないのです。そればかりか権力を持たない者の側へ行っては何かを話しかけ、時折一人になっては物思いに耽る様な表情で酒を飲んでいるのです。権力への逆行を、彼女は辞めようとしないのです。それでいて彼女自身は権力を失わない。僕はその時に気付いたのです。それは逆行の美しさでした。権力の坂を転げ落ちる事なく、遡っていく美しさです。そしてそれは新たな権力の概念でした。権力を拒み、それに楯突こうとする時、人間は新たな権力を得ます。それは反体制を標榜する者が新たな体制を築く事と同じ矛盾です。しかしそれは自然の権力を持つ者にのみ許される行為でした。自然の権力を持たない者がそれを行っても権力は得られず、単なる敗北者で終わるのです。彼女は自然の権力を持ちながら、それを存分に駆使して新たな権力まで得ようとしているのです。この発見は僕に山奥の叢林より暗い絶望をもたらしました。自然の権力を持たない者は、つまり僕は権力に従う事でしか権力を得られないのです。僕は自分の「悪」を、つまり権力に媚びない自分を心のどこかで誇っていたのです。それが僕のただ一つの自尊心であったのです。しかしその精神的支柱であった自尊心、その一縷の望みを、僕はその時捨て去らなければならなかったのです。ただでさえ自然の権力を持たない者のただ一つの望みを。そうした僕の絶望は周りの誰一人にも気付かれませんでした。賑やかに食事をする部員達の歓声が飛び交う中、それまでになかった孤独が僕の身体から一斉にしみ出て、僕は動けなくなりました。権力に従う事が出来ない、さりとて「悪」としても生きられない。僕はもうどうして良いか分かりませんでした。ただ自然の権力そのものを激しく憎悪し、嫉妬したのです。

(僕は何故自然の権力を、その美しさを持って生まれなかったのか?)

自分の生を呪い、卑下し、その内に黒い悪臭の漂う感情を凝固させ、それが悪意となって攻撃性に転化するのにそう時間はかかりませんでした。その矛先は言うまでもなく自然の権力でした。


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