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0081  作者: 北川瑞山
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第四章

 総会が終わった後、そのままサークル全員で飲み会になだれ込みました。その日は晴れた夏の夜でしたから、大学の敷地内にある屋外テラスで酒を飲む事になりました。酒屋で買い出しを済ませて部員達がテラスに集合すると、部長のかけ声で乾杯をし、それぞれがベンチや植え込みの縁に座って酒を飲み始めました。僕もご多分に漏れず二、三人の友人とベンチに座り、酒を飲んでいました。勿論友人といる事で、その場における自分の権力を守っていたに過ぎません。一人になってしまったら、また軽蔑の視線を注がれてしまいますから。僕はその時絶えず満面の笑顔で友人と語り合いながら、そのくせねっとりとざらついた視線で周りを見渡し、権力の構造をつぶさに観察していました。部長や副部長の周りには人垣ができ、笑い声が絶える事がありません。よく見ると、その人垣を構成している何人かは次から次へと権力者の周りを蠅の様に点々とし、その度にいかにも仲の良さそうな様子で談笑するのです。彼らも僕と同じ様に権力に敏感な質なのでしょう。吐き気を催す存在ではありますが、共感は出来ました。またそうかと思えば、一人ぽつんと立ち尽くして、周りをきょろきょろ見渡してはビールを嘗めている部員もいました。誰も彼に見向きもしません。むしろ視界に入る事を避けているようでした。彼はこのコミュニティーという権力闘争の言わば敗北者です。無言無視という手段を以て、そこにいる全員から暗黙の罵倒を浴びていたのです。ともすると僕もあんな風になっていたかと思うと寒気がしてきましたが、しかし自分よりも弱い立場の人間がいるという事は何とも安心感のあるものでした。これぞ「群衆の権力」に従う者の醍醐味でしょう。

 暫くすると、一際大きな歓声があがるのを聞いて視線を送ると、そこには女子部員のみで構成されたそれは大きな人垣がありました。そしてその中心には僕と同学年の、一人の男子部員が座っていたのです。彼の名は橋本と言いました。とてつもなく美貌の男で、その上ドラムの腕はプロ並みときていましたから、それはもう権力の塊の様な男でした。その権力の塊を女という女が食いつかんばかりに取り囲み、その恩恵にあやかろうとしているのです。僕はその時、ダーウィンの進化論を思い出しました。性淘汰の話です。雌の交尾の機会が雄より少ない為に雄の中で競争が起き、その中の勝者が全ての雌と交尾をする機会を得ます。つまりその競争が進化を促すのです。自然界では優秀な精子を得る為に雌が挙って勝者である雄の周りに集まります。これが所謂ハーレムです。その人垣の中に僕がハーレムを見た事は言うまでもありません。しかし問題はそこではありません。そんな事は元より分かりきっている事なのです。問題はこの国では一夫一妻制が強制されているという事です。この事が権力の所在を実に不明確にしています。一夫一妻制は、子供を成人するまで育て上げるという目的の為に敷かれた国家戦略です。しかしこの制度は先に述べた自然界の摂理から言えば極めて不自然な制度なのです。つまり多くの女性は本能的には一人の勝者に群がる習性を持つにも関わらず、嫌々ながら勝者ではない男と結婚するのです。女性が結婚したいと思うのは経済的要因か、あるいは「行き遅れ」という社会的差別を免れるためでしょう。本当のところ、女性の目から見れば男性とは一部の勝者を除けばおおよそゴミの様な存在なのです。妙だと思いませんか?そんな多くのゴミと、結婚しなければならないのは仕方がないとしても、好き好んで恋愛をしたりするのです。それは結局、女が自らの権力を誇示するためです。自然界では女全員が勝者たる男に群がればいいわけですが、一夫一妻制の下ではそうもいきません。勝者たる男を得られるのは一部の女のみですから、そうすると女の中でも競争が起こってしまうのです。女の競争は実に醜いものです。男に暗黙の序列を付け、その中のどの男を得られたかによって自らの序列が決まるという訳です。つまり女が男に近づくのは自らの序列を上げる為であって、男自体が欲しい訳ではないのです。そうして女はセックスを餌になるべく序列の高い男を引き寄せます。そうして自らもその地位を確保する訳です。要するに、一握りの男を除けば、女の方が生物学的権力を持っているのです。女の方が尊いのです。一夫一妻制の下では一見男女の権利は平等に見えますが、実は選ぶ権利は自然界同様、依然として女にあるのです。そんな女に比べ、男など何らの権力も生まれ持ってはいません。男が社会から与えられた権力に依存せざるを得ないのはその為です。何の権力も持たない男が今日まで絶滅せずに生き延びているのは、単に生殖機能上の役割が残されているからに過ぎません。そんな男など、女の目から見れば精子の入った試験管でしかありません。それを眺める彼女達の視線は、権力を持った者の軽蔑、嘲笑を多分に含んでいます。沢山の女が一人の勝者に一斉に群がる時、彼女達の背中からはその他大勢の男に向かって権力を持たない者への暗黙の嘲罵が発せられているのです。女は差別的であるが故に崇高な存在であると言えましょう。

 僕がそんな事を考えながら酒を飲んでいると、いつの間にか酔いが回ってきました。実のところ、僕はそれまで酒など一度も飲んだ事がなかったのです。周りの連中とペースを合わせて飲んでいるつもりでしたが、自分がそれほど酒に弱いとは想定外でした。酔って無口になった僕の周りを、友人達は一人二人と離れていきました。そして僕はとうとう一人になってしまいました。このままでは僕は権力を失って、嘲笑の視線を浴びてしまう。しかし僕と同盟を結んでいる所謂友人達は他の人間と話をしていて、取りつく島もありません。僕はとうとう孤立してしまったのです。視界ゼロの大海原に取り残されるよりも茫漠とした不安が僕の前頭部にのしかかり、僕は俯きました。

(ごめんなさい…)

喉元までその言葉がこみ上げて来た時でした。僕の頭上にか細い女の声が降り注いできたのです。それは正に女神の救済でした。

「大丈夫?顔真っ赤だよ」

彼女はそう言って僕を気遣ってくれたのです。見上げると、かがんだその女子部員の心配そうな顔が僕を見下ろし、その奥にシャツの襟から覗く豊かな乳房が暗闇の中で妖しく垂れ下がっていました。その乳房は僕が怨み、憎み、また憧れもした権力の輪郭を成していました。その直視できない程の美しさと触れる事の出来ない畏れに、女が持つ最大の権力を感じたのです。僕は恍惚に似た嘔吐を感じました。それを振り切る様に、僕は慌てて立ち上がり、

「大丈夫です」

とだけ言うと、そのままトイレに駆け込みました。個室に入って洋式便器に腰掛けると、僕は溜め息と同時に酒臭い小便を垂れ流しました。気が付くと、それと一緒に涙が流れていました。不可解なもの程人を恐怖に陥れるものはありません。自分の内側に湧いてくる不可解な感情の温かさに、僕は泣いたのです。それが恋と言うべきものかどうか、僕は今でも分かりません。何しろ僕が不可解だったのは自分の感情に対してだけではありませんでした。彼女が何故あの人垣に加わらなかったのか。そしてその時最も権力を持たなかったはずの僕に近づいて声をかけて来たのか。彼女の行動は一つ残らず不可解でした。その不可解さが恐ろしくてたまらないのです。

 僕がトイレから出てテラスに戻った時には、既に飲み会はお開きになっており、僕は部員達と協力して笑顔で後片付けに勤しんだのでした。


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