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0081  作者: 北川瑞山
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第三章

 ともかくそこから僕の迷いが始まったのです。地平線のない白の平面を歩く様な迷いでした。転んでも誰も気付かない、自分ですら転んだのかどうか分からない様な価値観の倒錯が日々僕の内面で起こっていました。嘔吐を催さない日はありませんでしたが、それが僕にとっては何よりの快感でした。それが僕の内面と現実世界の踊り場である事が分かっていたからです。

 入部してからというもの、僕は毎日の様に用もないのに部室に行き、授業をサボって日がな一日入り浸っていました。一人でも多くの部員と一刻も早く関係を築きたかったからです。こう聞くと僕が健全な交友関係を望んでいた様に思われるかもしれませんが、僕が望んでいたのはやはり集団の持つ権力でした。いいえ、それだけならまだ充分に健全です。その為に僕が用いた手段は、所謂反骨精神を演じる事でした。大学の授業になど出ても何の意味もない、という論調は、当時学生のうちだけではなく世間一般に広く受け入れられている価値観でした。僕はそういう世論を支配している価値観の権力を借り、いかにも駄目な学生を演じる事で周りからの好感を得ていたのです。あろう事か真面目な学生を馬鹿にして、大学という存在そのものすら批判して、同じ穴の狢とつるんでいました。自分達こそ真理を知り、周りに流されず、自分の意思を貫く人間だと嘯いていたのです。今思えば実に愚かな話です。しかし共通の敵を持つ事程連帯感を高めるものはありません。お陰で僕はすぐにサークルの同輩と交友関係を結ぶ事が出来ました。僕はその頃には、

「いや、俺って実際ネクラでさ。人間関係とか苦手なんだよ」

等と致命的な人間的欠陥を冗談として言える様になっていました。

 そして僕が入部してから一ヶ月後、サークルの総会がありました。部員全員が会議室に集まり、情報共有等を行うのです。僕は勿論笑顔を絶やさず、それでいて周りの人間に媚びる事のない様に常にバランスをとりながら総会に参加しました。総会の最初に、僕は新入部員として自己紹介を行う事になりました。総勢五十名程の部員の前に立ち、僕はおどおどと自己紹介をしました。内容は名前、学部、担当楽器、好きな音楽など他愛のないものです。それを実に弱々しく、言葉に詰まりながらも懸命に、緊張を隠せない様子で、時折照れ笑いなどをしながら話したのです。弱者が権力を持つ場合もある事を、僕は知っていました。きっと僕を見ていた部員の九割五分が僕の事を謙虚で優しい人間と解釈した事でしょう。しかし内心僕は目の前の部員達の一人残らずを軽蔑していました。凡百の徒の間抜けな面構えの中に映る、集団の権力を得た者が新参者を見つめる安心感を、僕は見逃しませんでした。「畜群」という言葉が僕の頭に浮かんでは消えていきました。そして僕は正面の壁を笑顔で睨みつけながら、自己紹介の最後にこう付け加えたのです。

「僕は微力ながら、皆さんと協力して、このサークルでやっていきたいと思います。よろしくお願いします」

実際、この言葉に嘘はありませんでした。権力を持たない僕は、「畜群」の手を借りることで集団の権力を得て、現実世界で生きていかねばならなかったのです。それは僕が権力の連鎖の中で生きていく為の唯一の手段であったからです。僕の自己紹介は拍手喝采を受け、僕はすごすごと定位置に戻りました。しかしその時、どうしようもない吐き気が僕の喉元にこみ上げ、涙が涙腺の奥からじわじわと湧いて来たのです。思わず机に顔を伏せて、僕は自分の内面世界に帰りました。暗闇の中で僕は呟きました。

(僕の勝ちだ)

僕の肉体は精神に勝ったのです。僕は現実世界にまた一歩近づく事が出来たのです。僕はまた自分の醜さを剥がしとる作業を完遂したのです。


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