第28話:深遠への踏み出しと、不気味な足音
早朝の静寂を破り、ギルド前の広場には特別精鋭調査隊の面々が集結していた。
街の空気を重く湿らせているのは、大森林の奥から風に乗って漂ってくる不気味な紫黒色の魔力だ。周囲に集まったベテラン冒険者たちの表情も固い。
調査隊を率いるのは、ギルドマスターのヴァルターだ。その隣には、傷が完治しきらぬまま出撃を志願したBランク冒険者バルガスと、数名の熟練冒険者たちの姿がある。
そして、隊の最後尾に控えるのは、森羅家の三姉弟だった。胸元には、Fランクであることを示す鉄色のプレートが朝日に鈍く光っている。
「全員揃ったな」
ヴァルターが重厚な声を響かせた。
「今回の目的はただ一つ。大森林最奥部に発生した『歪み』の核を特定し、これを破砕、あるいは浄化することだ。王都からの救援を待つ猶予はない。我々の手でこの街の未来を掴み取るぞ!」
「「「おおおっ!!」」」
幹部や冒険者たちの雄叫びが街に響き渡る。
隊が出発の手筈を整える中、一葉たちの傍らに二つの影が静かに寄り添った。父の一二三と、母の葉だ。
「浅層の防衛線までは私たちも一緒だ。撤退路の確保と後方連絡は任せなさい」
一二三が穏やかだが、どこか立ち立ち上がらんばかりの威厳を秘めた声で言った。背負った布包みの魔導具が、微かに共鳴するように重低音を鳴らしている。
「お父さん、お母さん……ありがとう」
一葉は胸元の緑色のペンダントを強く握りしめた。
手のひらを通じて、一二三から託された魔力触媒の温もりが脈打つように伝わってくる。
「一葉、二葉、三葉。決して無理はしないこと。お互いの背中を守り合いなさい」
葉が三人の頬を優しく撫でる。三人は顔を見合わせ、力強く頷いた。
「「「はい!」」」
隊は静かに街の門をくぐり、大森林へと足を踏み入れた。
大森林の浅層は、かつて三人が薬草採取やワイルドボアの討伐で訪れた時とは完全に異質な変貌を遂げていた。
普段なら陽の光が木漏れ日となって差し込む美しい森だが、今は頭上を覆う重々しい紫黒色の霧のせいで、まるで深海のように暗く冷え込んでいる。
咲き誇っていたはずの花々は黒く萎れ、木々の幹からは不気味な粘液が垂れていた。
「……酷い惨状ね」
一葉は周囲を警戒しながら、静かに呟いた。
「うん……森の空気がすごく重いよ。魔力がピリピリして、肌が痛いくらい」
二葉が木剣の柄に手をかけたまま、警戒の眼差しを周囲に巡らせる。三葉は手帳を開き、ペンを走らせながら周囲の空間魔力を計測していた。
「大気中の魔力濃度が、通常の五倍以上に跳ね上がっています。しかも、そのほとんどが不純物と異質な悪意で汚染されている……。僕の【三途の葉落】で空間の魔力を常に少しずつ分解・清浄化しておかないと、呼吸をするだけでも魔力酔いを起こしかねません」
三葉が手帳に手をかざすと、手のひらから微細な分解波動が周囲へと広がり、三人の周囲だけわずかに空気が澄み渡った。
「助かるわ、三葉」
一葉は空中を通じて蔓を巻くように優雅に指を動かした。
「【一輪の秒芽】……!」
淡い緑色の光が一葉の手から放たれ、三葉が作り出した「清浄な空気の領域」をすっぽりと包み込んだ。
一葉の時間保持の魔法により、三葉の清浄化効果がその場に長期間固定され、三葉の魔力消費を大幅に抑えることに成功する。
「すごい……! ひと姉の【一輪の秒芽】のおかげで、一度魔法を展開するだけでこの安全圏を維持できるよ!」
三葉が驚きと感動の声をあげる。
前方を歩いていたバルガスが振り返り、豪快に笑った。
「ハハッ! 相変わらず大したもんだぜ! Fランク冒険者が空間の魔力環境を整えながら進むなんて、前代未聞だ!」
「バルガスさん、油断は禁物ですよ。もうすぐ浅層と中層の境界線です」
ヴァルターが前方を見据えたまま静かに制した。
浅層の拠点に到着すると、一二三と葉が立ち止まった。
ここから先は中層——さらに濃密な『歪み』が渦巻く危険地帯だ。
「一葉、ここから先は本当の試練となる。自分たちと仲間を信じなさい」
一二三の言葉に、一葉は深く頭を下げた。
「はい、お父さん。行ってきます!」
両親と防衛隊員に見送られ、特別精鋭調査隊は中層への境界線を越えた。
中層へ入った瞬間、周囲の温度がガクリと下がった。
湿り気を帯びた黒い泥があちこちに浮き出し、木々の隙間から無数の「視線」が三人を突き刺す。
ズズズ……ッ。
不気味な地鳴りのような音が響き、調査隊の足が止まった。
「敵だ! 陣形を整えろ!」
ヴァルターの叫びとともに、前衛の冒険者たちが大盾を構える。
茂みや樹木の影、そして地面の黒い泥から、次々と漆黒の異形が這い出てきた。
それは先日の『シャドウ・ボア』だけではない。
影で形成された巨大な蜘蛛『シャドウ・スパイダー』や、翼を持った人型の異形『シャドウ・レイス』など、数十体におよぶ影の軍勢だった。
「グギャアアアッ!!」
耳を刺すような耳鳴りを伴う咆哮が響き渡る。
「くっ、数が多すぎる! 物理攻撃が効きにくい影の集団だ!」
冒険者たちが剣を振るうが、影の身体は切断されてもすぐに泥のように溶けて再結合してしまう。
火炎魔法や雷撃魔法も、濃密な影の泥に呑み込まれて威力を削がれていた。
「みんな、落ち着いて!」
一葉の声が響いた。
「二葉、左側の群れの足を止めて! 三葉、構造解析と分解を!」
「任せて! 【二生の根張】!」
二葉が木剣を地面に力強く突き刺す。緑の魔力根が影の足元を駆け抜け、泥状の体を強固に地表へ縫い付けた。
「【三途の葉落】……構成要素の分解!」
すかさず三葉が手帳を掲げ、構造を崩された影の魔物たちの核を一瞬で認識。不純物の結合を断ち切っていく。
「そして……【一輪の秒芽】!」
一葉が空中を通じて蔓を巻くように優雅に指を動かした。
三葉によって分解され、二葉によって拘束された魔物たちの「崩壊状態」を一葉の魔法が逃さず捕捉し、その瞬間を永久的に固定する。
パンパンパンッ! と弾けるような音とともに、十数体の影の魔物が一気にチリとなって消滅した。
「な……一瞬で影の群れを倒しただと!?」
ベテラン冒険者たちが目を見張る。
しかし、一葉の表情は晴れなかった。胸元のペンダントが、森の最奥部から発せられる絶望的なまでの魔力の波動を感じ取っていたからだ。
(これは……ただの魔物の群れじゃない。誰かが意図して、この『歪み』を作り出している……?)
風が不気味に唸りを上げ、森のさらに奥から、これまでとは比べものにならない巨大な悪意の気配がゆっくりと近づいてきていた。
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