追跡者の影
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
地平線の彼方に沈みゆく夕日が、荒野を血のような赤に染め上げていた。
万能戦車アウローラは、追っ手を撒くためにあえて舗装路を外れ、切り立った岩壁が迷宮のように入り組む「枯れ谷」へと逃げ込んでいた。エンジンの唸りが止まると、それまで車内を支配していた熱狂的な騒音に代わり、キーンという耳鳴りと、冷え始めた夜気がハッチの隙間から忍び寄ってくる。
「ふう……。とりあえず、熱烈な歓迎は止まったみたいね」
朝宮シャーロットが、シートに深く背を預け、長い脚を組んだ。二十九歳という若さで財団を率いる彼女の横顔には、危機を切り抜けた余裕と、飽くなき好奇心が同居している。
「理事長、出力安定器は今のところ正常です。……あの少年の『物理的な介入』が、奇跡的に磁気回路を再同期させたようですね」
レオが、眼鏡の奥の鋭い瞳をモニターに向けたまま、淡々と報告した。その指先は、コンソールの上で流れるような速さでデータを精査し続けている。
「だろ? だろ!? 俺のハンドルさばきもさることながら、あのガキの度胸もなかなかのもんだぜ!」
マックスが、ハンドルから手を離して豪快に笑い、哲人の肩を強く叩いた。
「い、痛いよ、マックスさん……。僕はただ、必死だっただけで……」
哲人は赤くなった肩をさすりながら、少し照れたように笑った。その視線は、隣で静かに座っている憂へと向かう。
「憂さん、怖くなかった? 急にこんな変な戦車に乗せられて……」
「……不思議です」
憂が、胸元の碧いペンダントをそっと握りしめた。
「揺れて、音がして……みんなが叫んでいて。でも、哲人さんが手を握ってくれたから、少しだけ、温かかったです」
彼女の言葉は、まるで深い湖の底から響くように静かで、それでいて確かな熱を持っていた。その瞳には、今まで眠っていた神殿の暗闇にはなかった、確かな「生」の光が宿り始めている。
「ちょっと、そこの二人。見つめ合っているところを悪いけど、お仕事よ」
シャーロットが、悪戯っぽく口角を上げて割り込んできた。
「レオ。その子のペンダント、予備スキャンはどうなったの?」
「……驚くべき数値が出ています」
レオが画面を哲人たちに見えるように向けた。そこには、複雑な幾何学模様と、計測不能を示すエラーメッセージが並んでいた。
「このペンダントは、単なるエネルギー源ではない。周囲の因果律……つまり、物理的な『結果』を書き換えるほどの高密度な情報体が封じ込められている。これは文明を一段階飛ばして進化させるか、あるいは跡形もなく破壊する、全知全能の力に近い」
「全知……全能……」
哲人は絶句した。自分がただのロストテクノロジーだと思っていたものは、世界そのものを左右するほどの「真理」だったのだ。
「だからこそ、あの『無貌教団』はなりふり構わず追ってくるわけ。彼らはそれを、世界を支配するための最強兵器だと信じ込んでいるから」
シャーロットの言葉が、車内に重く響く。
「……僕に、できるかな」
哲人が、自作のスパナを見つめながら呟いた。
「僕はただの、発明家のたまごだ。こんなすごいものを守るなんて……」
「哲人さん」
憂が、哲人の指先にそっと自分の指を重ねた。
「あなたは、壊れかけたこの船を治してくれました。……私、あなたの作るものの音が、好きです」
憂の真っ直ぐな言葉に、哲人の胸の奥で何かが熱く弾けた。そうだ、理屈じゃない。目の前の少女が笑っていられるように、自分の技術を使う。それが、僕の選ぶ道だ。
しかし、感傷的な時間は長くは続かなかった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ!
レオのコンソールが、それまでとは質の違う、鋭い警告音を上げた。
「高エネルギー反応! 上空です! 衛星軌道、あるいは成層圏からの熱線追尾!」
「何だって!? こんな暗闇でどうやって見つけやがった!」
マックスが飛び起きるように操縦桿を握る。
「教団の連中、とっておきを出しやがったな! 理事長、どうします!」
「逃げるに決まってるでしょ! アウローラの脚を信じなさい!」
シャーロットが叫ぶと同時に、谷底の静寂は無数のサーチライトによって引き裂かれた。上空を旋回するのは、教団の無人飛行兵器――通称「ハイドラ」。鳥のような不気味なシルエットが、紅蓮の光弾を雨のように降らせてくる。
「うわああああっ! 始まったぁぁ!!」
哲人は憂をしっかりと抱き寄せ、座席に踏ん張った。
アウローラが、地響きを立てて急発進する。時速百二十キロの猛スピードで、入り組んだ岩の隙間をすり抜けていく。
「マックス、前方三〇〇メートルで谷が行き止まりだ! 左右は絶壁、逃げ場はないぞ!」
「なら、飛ぶしかねえだろうが! レオ、ホバーの出力を一時的にオーバーロードさせろ!」
「正気か!? 安定器が持たない!」
「哲人が叩いて直してくれたんだ、根性見せろよ!!」
アウローラの前面モニターには、刻一刻と迫る垂直の壁が映し出されている。
「哲人! またあいつを頼むわよ!」
シャーロットが、コンソールの下を指差した。再び、安定器が限界を超え、激しい火花と異臭を放ち始めている。
「わかってる! 憂さん、離さないで!」
哲人はスパナを握り直し、跳ねる車体の中で、火花散る安定器に手を伸ばした。
「……動け! 動けよ、僕たちの足!!」
ガギィィィィィンッ!!
渾身の力で振り下ろされたスパナが、ユニットの金属音と共鳴する。その瞬間、アウローラの底面から青白いプラズマが爆発的に噴き出した。
「いっけぇぇぇぇ!!」
マックスが操縦桿を胸元まで引き絞る。
四トンの鉄塊が、物理法則をあざ笑うかのように重力から解き放たれ、断崖絶壁の縁を蹴って碧宙へと舞い上がった。
眼下には、追いすがろうとした教団の車両が谷底で衝突し、炎上する光景が広がっている。
アウローラは、月明かりを浴びて銀色に輝きながら、虚空を滑走した。
「……飛んでる。僕たち、本当に飛んでるよ、憂さん!」
「はい……。きれいです、哲人さん」
空中で一瞬だけ訪れた無重力。二人の視線が重なり、言葉にならない感情が通い合う。
だが、安堵の暇はない。
「喜ぶのは着地してからよ! マックス、姿勢制御!」
「分かってらぁ! 衝撃に備えな!!」
アウローラは、対岸の岩棚に向かって、再び荒々しい咆哮を上げながら落下を開始した。
冒険はまだ、始まったばかりだ。追跡者の影は執拗に、しかし少年と少女の絆は、それ以上の速さで強固に結ばれようとしていた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




