表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/3

中編


「……お前、なんで……胸──」


 その言葉を最後に、ディアスは何かを飲み込むように顔を歪め、踵を返して駆け去った。

 リヴェは伸ばしかけた手を宙に残したまま、ただ呆然と立ち尽くす。

 胸に巻き付けた衣服が、やけに重い。


(ディアスに……知られた。──裏切りだよな、これ。せっかくオレのこと、親友だって言ってくれたのに……)


 急に胸が苦しくなって、苦いものが込み上げる。


(それより、まずい。誰かに話されたら)


 気を許しすぎたツケが回ってきたのだ。

 リヴェの魔力に耐性のできたディアスにはもう、リヴェの施す状態異常の類は一切効かないだろう。


 あの、事実を見たときの歪んだ表情が、瞼に焼き付いて離れない。


 誰かに知られるかもしれない恐怖と、彼の顔が脳裏にちらつく苦しさに、その夜、リヴェは一睡もできなかった。



 翌朝。

 目の下に隈を作ったリヴェと、普段の溌剌さを欠いたディアスに、班員たちは首を傾げた。


「フローレス……大丈夫か?」

「ディアスも、どうしたんだよ?」


「別に……」


 そう答える、ふたりの表情は硬い。

 リヴェの体調を心配した班員のひとりが、戦闘の指揮を代わろうと申し出た。

 判断力の低下を自覚していたリヴェは、その提案をありがたく受け入れた。


 森を進む足取りは、湿った落ち葉を踏むたびにかすかな音を立てた。

 仲間と歩調が合わなくなったふたりは、いつしかその列から少し離れていた。

 沈黙が重く伸びるなか、ひりつく胸を押さえつつ、口止めを頼もうとリヴェが深く息を吸った、その時だった。ディアスが、低い声で呟いた。


「……誰にも言わねぇ。安心しろ」


 リヴェは目を見開き、ディアスを見つめる。

 一度詰めた息をゆっくりと吐き、リヴェは安堵の笑みを浮かべた。


「……ありがとう」


 ディアスはリヴェの笑顔を見てほんの一瞬固まると、痛みをかみ殺すように目を伏せた。


「でも、ごめん。お前と、どう接していいか……わかんなくなっちまった」


 早足になったディアスの背を追うことが出来ず、リヴェはひとり、立ち止まった。

 足が動かない。瞳の奥が熱い。

 苦しくて、苦しくて、堪らず嗚咽が漏れた。


(そうか……オレ、ずっとディアスが好きだったんだ……)



 実習期間も、その後の日々も、ディアスは陰ながらリヴェが女性と悟られないよう、さりげなく気を配ってくれていた。

 それに気づいても、お礼が出来ない。声をかけようとすると、ディアスはくるりと踵を返してしまうのだ。彼の背を見るたびに、リヴェの胸はギシギシと痛んだ。


 数日後、ペア実習の日。

 悩みを抱えたまま、リヴェは教室の隅でひとり、弁当箱を片付けていた。

 ディアスに避けられている以上、別のペアを探さなくてはならない。けれど相性が良すぎれば、彼のときのように幻惑が効かなくなるかもしれない。

 どうしようもない不安と寂しさが、リヴェの心を覆っていた。


 そのとき。


「なあ、フローレス」

 学外演習で同じ班だったクラスメイトが近づいてきた。

「いっつもディアスと一緒だったから声かけられなかったんだけど、コツとか色々教えてほしかったんだ。アイツと仲違いしたならさ、今日から俺とペア組まない?」


 彼の魔力はそれほど強くなく、リヴェの光とは混ざりにくい土属性だ。


「うん、いいよ」


 安堵して彼と握手をしようとリヴェが差し出した手を、横から別の手が(さら)う。


──慣れ親しんだ、温かく力強い掌。


「ダメだ! リヴェは俺の……ッ」


 咄嗟の大声に教室が一瞬、静まり返った。

 注目の視線に気づいたディアスの顔が、かあっと赤く染まる。


「……来い」


 ディアスはリヴェの手をぐいと引き、そのまま駆け出した。



 辿り着いたのは学院の屋上。

 昼下がりの空が、雲ひとつなく広がっている。


「ディアス?」


 リヴェが名を呼ぶと、自分たちがまだ手をつないだままでいることに気づき、ディアスは慌てて手を放した。


「わ、悪い」


 真っ赤な顔を肘で隠しながら、ディアスは言葉を搾り出す。


「俺、妙に意識してさ。ずっとお前を男だと思ってたから……ベタベタ触りすぎたよな、とか。気持ち悪かったならどうしよう、とか。お前に散々近いって言われてたのに、やめなくて悪かったなって」


 リヴェはぶんぶんと首を横に振った。


「気持ち悪いなんて思ってない! ディアスといるの、楽しかったから」


「……そっか、よかった」

 ディアスは息を吐き、真剣な瞳を向けてくる。


「俺……リヴェとのペア、誰にも譲りたくない。魔力が混ざる瞬間とか、すげぇ心地いいし。あれをリヴェが他のヤツとやるなんて、考えただけでムカムカする」


 真っ直ぐに射抜くような視線がリヴェを捉えた。


「俺、多分……いや、絶対。お前が好きだ。先に言っとくけど、性別知ったのがキッカケになっただけで、女なら誰でもいいとかじゃないぜ。リヴェだから好きなんだ」


 そう告げたあと、思い出したように慌てて両手を振る。


「あっでも、別に今すぐどうこうってわけじゃない! 秘密も守るし、ただ……ペアだけは解消したくないってこと、リヴェに知っといてほしくて」


 また顔を赤らめて、忙しなく立ち去ろうとするディアスの上着の裾を、リヴェは慌てて掴んだ。


「待ってよ。オレもディアスが好きなんだけど!」


 振り返ったディアスの瞳が大きく開かれる。


「嘘だろ? なんで」

「なんでって……、あんなベタベタされて意識せずにいられると思う? オレこそ聞きたいよ。なんで? 女の魔導士なんて厄介でしかないよ」


「それさ……よく今までバレずに来れたよな。こんなかわいくて。とか言ってる俺も気づかなかったんだけど」

「かわい、ってどこが……女らしいところなんて、ひとつもないのに」


「かわいいとこなんて、いっぱいあるだろ。

 小さくてかわいい。白金色(プラチナブロンド)の髪がサラサラでかわいい。まんまるの目がかわいい。金色が、俺と一緒で嬉しい。

 俺がくっつくと赤くなって逃げるところがかわいい。人に頼らずに生きていこうと頑張ってるところが、健気でかわいい。勉強も実技も手を抜かないところが、尊敬できてかわいい。っていうか、何しててもかわいいしかない」


 自分の“かわいいところ”を挙げ続けるディアスが見ていられない。

 嬉しいのに恥ずかしくて、リヴェは、顔を覆ってへたり込んだ。


「ほら、そういうとこ。そのままのリヴェがいい。お前はかわいいよ」


 目の前にしゃがんだディアスに手を取られ、頬に熱がこみ上げる。


「でも、オレとじゃ普通の人生を送れない」

「お前となら、周りに一生“男色”って揶揄(からか)われても構わねぇよ」


 絡めあった指に魔力が混ざる。その心地よさにリヴェがうっとりと目を細めると、同じように蕩けた瞳が近づいてきた。


 ちゅ、と軽く唇が触れ合っただけで優しく甘く、いつもよりも濃密に魔力が溶け合う。そのあまりの多幸感に、始業開始のチャイムがなるまで、ふたりはしばらく唇を重ね合った。



「ごめんなー、やっぱりリヴェのペアは俺だから!」


 リヴェを誘った土属性のクラスメイトに明るく断りを入れたディアスは、リヴェの肩に腕を回す。

 いつもなら「近い」「やめろ」と逃げるリヴェがそれを受け入れているのに加え、先程の逃避行も相まって、教室の中はざわついた。


「なんかあいつら、怪しくないか……」

「ついに“リヴェちゃん”落ちちゃったか」


 女とバレていなくとも、線の細いリヴェをそういう目で見る輩がいるのを知っていたディアスは、声の主をギラリと睨みつけ、黙らせた。


 それからも、学院内ではたびたび冷やかされることがあった。


「おい、お前ら。また一緒にいるのか?」

「男同士でお熱いねー」


 そんな声も、ふたりの間ではただの雑音に過ぎない。傍にいるだけで互いの魔力がひそやかに響き合い、心が落ち着く。


「リヴェ、行くぞ」

「うん、ディアス」


 実習でも日常生活でも、些細な言葉のやり取りの中に、互いへの信頼が滲む。居心地のいい関係はこれからも続いていくと、ふたりはそう信じていた。



 ある日の午後。

 学院近くの農村に、熊に似た魔獣──マッドグリズリーの群れが現れたとの急報が入った。

 国家魔導士が到着するまでの足止めとして、学院の優秀な生徒たちが緊急招集された。


 現場に着くと、褐色の巨体が畑を踏み荒らし、地を揺るがす咆哮を上げていた。鋭い爪が柵を粉砕し、近くの水車小屋はすでに半壊している。


「クソ、斬撃魔法が通らない!」

 先陣の攻撃は厚い毛皮に弾かれ、火花だけが散った。


「ディアス、合わせるぞ」

「ああ、やってやる」


 真剣な目をしたリヴェと、舌なめずりしたディアスは手を重ね、魔力を一点に集中させる。

 光と炎が渦を巻き、眩い閃光がマッドグリズリーを包んだ。激しい爆撃に群れの半数が倒れ、怯んだ個体には監督官の号令で他の生徒たちが拘束魔法を畳みかける。


 4分の3ほどを退けた頃、後方から悲鳴が上がった。

「うわぁ、誰か!」

「下がって!」

 リヴェは振り返るなり光の障壁を展開し、仲間を守った。


 その背後から別のマッドグリズリーが迫り、鋭い爪を振り下ろす。

 間一髪で身をひねり、直撃を避けたリヴェは、歯を食いしばって閃光弾を連射した。

 体を貫かれた巨体は次々と地に伏し、戦闘不能に追いやられる。


 敵影が消えたのを確かめると、リヴェは仲間の元へ駆け寄り、倒れていた数人に手を翳した。

「大丈夫、すぐ治すから」

 治癒魔法で彼らの負傷を癒やすと、ようやくホッと息をつく。


 だがそこで遠巻きに見ていた村人たちの、泣き崩れる声が耳に刺さった。

「俺の畑が……」「全部めちゃくちゃだわ!」

 視線の先には、荒れ果てた畑と崩れた水車小屋が広がっている。


 リヴェは唇を噛みしめ、再び両手を掲げた。

 体内の魔力をかき集め、高度な再生魔法で農村を復元していく。

「……はあ……ッ、まだ……行け!!」


 そこへ、魔獣の死骸を焼き終えたディアスが戻って来て、青白い顔をしたリヴェを見て叫んだ。


「リヴェ! もうやめろ、無茶だ!」

「ディアス……」


 ディアスに向かって微笑んだリヴェは、すっかり村を修復すると、ガクリと膝から崩れ落ちた。


「おい、リヴェ!」

 ディアスが抱きとめた瞬間、リヴェの意識は途切れた。完全な魔力切れだった。


 その横で、生徒たちと監督官が息を呑む。


「女……!」

「女だ……」


 幻惑が解け、裂けたプロテクターから白い膨らみが覗く。驚愕が現場を走った。ディアスは慌てて自分の上着を脱ぎ、リヴェにかける。


「見るな! ……頼む、黙っててくれ!」

 鋭い声で周囲を制し、懇願を繰り返したが、監督官は苦悩を滲ませた表情で首を振った。


「フローレスのおかげで被害はほぼなかったといえる。だが規則は規則だ」


「待って下さい、こいつがいなきゃ──」

「わかっている。だが国の掟なんだ。見てみぬふりは出来ない」


 短い言葉が冷たく響く。

 リヴェは、マッドグリズリー討伐のためにやってきた国家魔道士たちに取り押さえられ、虚ろな意識のまま魔力封じの塔へと連行された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ