第20話 魔獣市(バザール)へ
潤沢な収益というものは、人の心を一気に「拡張志向」にするらしい。
「これだけあれば──」
フェリシアは目を輝かせ、ぱっと両手を広げた。
「ついに! 魔獣牧場に仕入れられますよ、マスター!」
ああ、そうだ。
以前に見せられた、あの広大な高原。草と風と空ばかりで、肝心の魔獣はゼロ匹だったあの“壮大な空白”。
今ようやく、そこに命を放り込めるらしい。
「……なるほど。つまり、俺たちは今から“牧場主”になるわけだな」
「はい! そのために──」
彼女は指をぴしっと立てる。
「魔獣市です!」
《魔獣市》──それは定期的に開かれる大市であるらしい。冒険者が捕獲した魔獣を売りに出し、商人は目利きの腕をふるい、希少種に至ってはオークション形式で天井知らずに値が跳ね上がる。
「……やっぱり行かないとダメか」
俺は、未練がましく自分の端末を見下ろした。
かつてはこの端末で、通販感覚でぽちっとすれば大抵の物資は手に入った。
だが、こと魔獣の仕入れとなると話は別だ。通販サイトには“在庫なし”がずらりと並び、レビュー欄には「実物を見に行かないと絶対に後悔する」と書かれている。
「まあ、たしかに。魔獣となると、サイズ感や気性を自分の目で確かめないといけないな」
「はい! それに、魔獣市は大市ですから、普段は出回らない希少種も競りにかけられます!」
フェリシアの目は星を散らしたみたいにきらきらしている。
その勢いに押されるように、俺はついに重い腰を上げた。
──魔獣市。
そこは、俺が想像していた「牛や豚の競り合い」みたいな生易しいものじゃなかった。
まず、入口からして門の高さが城壁並みだ。人用の通路の横に、馬車十台ぶんくらいの幅を持つ搬入口が開いていて、そこからは角や翼の突き出た、とんでもないサイズの魔獣たちがぞろぞろ運び込まれていく。
中に入ればさらに圧巻だ。天井は見上げても霞むほど高く、巨大な梁の上には鎖や滑車がぶら下がっている。どうやら、あのサイズの魔獣をつり下げて運ぶためらしい。俺なんぞが抱える“ダンジョン通路問題”──「スライムを置くにしても、せいぜい幅二メートルの通路をどう活かすか」みたいな貧乏くさい悩み──が、ここではもう視界から消えている。
そして人間。
ここには「ちゃんとしてる感」を絵に描いたような冒険者たちが、いくらでもいる。
剣は磨き上げられ、鎧は揃いの意匠で、盾には紋章が誇らしげに刻まれている。パーティごとにまとまりがあり、ああ、なるほど、こういう連中がもし辺境に迷い込んで俺のダンジョンに来ようものなら──俺なんて、紙細工の城主よろしく一瞬で押し潰されるんだろうな、という予感しかしない。
中堅どころらしいダンジョン経営者たちも集まり、何やら真剣な顔で魔獣を品定めしている。
「こいつなら次の階層で時間稼ぎに使える」
「いや、逆に補助型を混ぜて冒険者の足並みを乱したほうが……」
聞こえてくる会話が、いちいち実戦的で、胃が痛む。
──にしてもだ。
大陸の空気はもっと暗いもんだと思っていた。
あの《大陸教会騎士団》の声明から、まだ日も浅い。
「ダンジョンは邪悪の巣窟、根絶する」とか、「コアごと叩き潰す」とか、あれだけ朗々と宣言されていたのだ。俺のような小心者は、夜中トイレに立つたびに背後から甲冑の音がついてくる幻聴を聞く始末なのに。
けれど実際の魔獣市に立ってみれば、このざわめきだ。
肉を吊るす鎖の軋み、魔獣が鼻を鳴らす低音、そして人間たちの商談。
どうにも「景気よくやってます!」という顔ばかりで、あの騎士団の影はどこにも落ちていない。
いや、まるで「どこ吹く風」ってやつだ。
経営者らしき連中は「補助型を混ぜるか」だの「足並みを乱すか」だの、談笑まじりに作戦会議だ。
……ううむ。
「自信あるんだな、突破されないって」
そう口に出しかけたその時だった。
耳に入る別の声。
「いや、たまったもんじゃねぇよ」
「せっかく先代の資産を継いで、借金までしてここまで広げたのに……」
「教会のやつら、辺境から潰す気なんだろ? 真っ先にこっちじゃねぇか」
俺は思わず、肩越しに話しかけてみようかと思った。
「わかりますわー、俺も似たような境遇でしてね」みたいに軽口を叩けば、案外仲良くなれるかもしれない。
──が。
「マスター」
フェリシアが、俺の袖をちょんと引いた。
その声音は、笑みを浮かべながらもひどく低い。
「ここで余計なことは言わない方がいいです。マスターのダンジョンは──他と勝手が違いますから」
「……違う?」
「はい。工房、祭壇、それに大陸規模の牧場まで。天界のサポートが入っているのは、マスターのところだけです。他の経営者からすれば、理解の外です」
ああ、そうか。
言われてみればそうだった。俺にとっては「押し入れが増えた」だの「秘密基地ができた」だの、割と軽口で受け止めてきたが、それも全部“特別扱い”の産物らしい。
それを無自覚に口にすれば、どう映るか……。
むしろ悪目立ちするほうが危険だ。
なぜなら、俺のダンジョンに限って言えば──コアを破壊されたら、即ち俺が死ぬ。
だったら、ここで浮かれるのは愚かだ。
むしろ、影の中に潜んで、目立たず、着実に、しかし強靭に。
そうやって膨らみ、気づいたときには誰にも踏み潰せない存在になっている。
……そう思えば、騒ぎ立ててる連中の笑い声も、借金まみれで吐き出される愚痴も、全部、別世界の出来事みたいに聞こえてきた。
「……よし、フェリシア。買うぞ」
「はいっ!」
俺は胸の奥にざらりとした不安を抱えたまま、それでも前へ踏み出した。
──魔獣市。その中心へ。




