episode.09 〜sideロウェル〜
「…………シュナと何かあったの?」
セレネの遠慮がちな問いに、ロウェルはフンと鼻を鳴らした。
「何もなかったよ?彼女から聞いていたんじゃないの?」
「それはそう、なんだけど……」
何も無かった。約束通り一緒に食事をして、シュナは翌日も仕事だと言うので寄り道もせず送り届けた。
彼女は終始緊張していたようだけれど、それは基本的にいつもの事だ。
ただ、初めて彼女の近くに他の男の気配を感じた、ただそれだけ。
何となく口に出た言葉に、彼女は間違いなく動揺して見せた。「過去の男」と言ったけれど、それが本当に過去のものになっているのかは正直分からない。
彼女の心が、自分では無く他の誰かの元にあるのかもしれないと思うと、苛立ちに似た感情で支配されそうになる。
少なからず、好印象を得ていると思っていたのだが、それもただの独りよがりだったのかもしれない。
そこまで彼女に惹かれる理由もよく分からない。仕事は丁寧で実力もあるし、少々内向的ではあるものの、彼女の魅力は多い。だけど何か、自分の中で絶対的な何かが彼女だけが特別だと訴えてくる。
「ねぇ、セレネ。君はあの子と昔から仲が良かったんだよね?」
「……?ええ、そうよ」
「じゃあ彼女が今までどんな男と付き合っていたのかも知ってる?」
「え?」
なるべく感情が表れないように、ただの世間話でもするような口調を心掛けたが、内容が内容なだけにセレネは不審そうにロウェルを見上げた。
「…シュナには長年想いを寄せる人がいるようだけれど、実際に誰かとそう言う関係になった事はないはずよ」
「長年、ね」
ロウェルがシュナと出会ったのは約1年前。長年と言うには短い年月しか経っていない。
「油断したなぁ」
「………なに?」
「いや、なんでもないよ」
シュナの内向的な性格から、それほど親しい仲にある異性はいないとたかを括っていた。
とは言え、彼女を諦めたいとは思わない。
悪い事をしてしまった。己の醜い感情を隠すためとはいえ、さっきの反応は彼女を混乱させるだけで良い方には作用しない。
「彼女に謝らないとな」
ポツリと漏れ出た言葉に反応するように、セレネが立ち止まる。何かと振り返ると、そこにはいつものイタズラ好きな顔を捨て、皇女として、鋭い視線を向けるセレネがいた。
「ロウェル・ストルキオ」
その声色に、ロウェルは姿勢を正した。セレネの表情から、自分が、何かよからぬ事をしてしまっているのは明確だ。
「はい、殿下」
「あのお方は、かつて神から力を与えられ、我らの祖先を救った輪廻の魔女様です。その力を受け継ぐあのお方は、我々では到底想像もし得ない当時の記憶を、今も鮮明に受け継ぎ、神からの罰を甘んじて受け入れているのです。それは、当時抱いた恋心さえ、千年、忘れる事を許されていないのです」
「………罰?」
眉間に皺を寄せたロウェルに対して、セレネは小さくため息を吐いた。
「以前、シュナから聞いた事があります。輪廻の魔女の記憶が代々受け継がれるように、他の者の魂もまた死した後、未来に輪廻するのだと。シュナはその魂を見極める力を持っています。かつて共にあることは叶わなかった、最愛の魂を」
「……………」
シュナが、輪廻の魔女と呼ばれる存在だと言うことはもちろん知っていた。彼女が、戦火の記憶を保持し、語り継ぎ、戦争の抑止力になるべく存在なのだと。
だがそれは、ただの側面でしかないような口ぶりだ。実際にそうなのだろう。シュナが輪廻の魔女たる本当の理由は、神への懺悔。
「輪廻の魔女はこれまで、叶わぬ恋を幾度となくして来たといいます。本人の意思とは関係なく、その体に刻まれた魂が求めてしまうのだと。シュナもそうです。私は、そんなシュナをあなたに託しても良いと思っています。その意味が分かりますか?」
セレネは皇女である一方、時に自由を愛し、その物や人があるべき姿である事を好む。だからこそ、政略的なだけの婚姻関係に首を縦に振ろうとしない。
そんなセレネが、政略ではなく自分にシュナを託しても良いと言う。
「僕が、シュナの…?」
その問いに、セレネが答えることは無い。
だがそれでも良い。例えシュナが、輪廻の魔女が長年求めていた魂を持っていてもいなくても、自分に出来る最大限で彼女を幸せにすればいい。
「助言を頂き、感謝します。陛下」
ロウェルが頭を下げると、ようやくセレネがふっと笑みを浮かべた。
「シュナには幸せになって欲しいのよ。もう十分苦しんだでしょう。……だけど、千年という長い年月が、彼女から希望も勇気も奪ってしまったから、自分の恋心を叶えようという気持ちが無いのよ」
「大丈夫。きっと叶えてみせるよ」
「えぇ。神への懺悔は、今後は私たち皇族が、戦争を起こさず、できる限りを尽くして自然を保護するわ。そうすれば神も罰を与える事はないでしょ」
セレネとロウェルは決意を新たに歩き出す。
クシュンっと書庫でくしゃみをするシュナは、埃が舞っているのかなぁ、と鼻を啜っていた。




