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ミズキとハルカの友愛と愛しくも過ぎ去る日常~熱風が二輪の花を散らすとき~

 山林の中に小さな集落があった。十数人の住民がいて、一番若い女子二人は高校生というぐあいだ。


 一人は長身に長髪のハルカ、そしてもう一人のミズキはその逆。小さくて、短めの髪型だった。


 ある夏休み日のことだ、小さな沢に二人は居た。透き通る水にミズキは触れ、靴下まで脱いで足を入れた。

「ハルカ。こっちに来てよ」

「濡れちゃうじゃんもう。滑るよ」


 ハルカの言葉通りにミズキは足を滑らせ、水面に尻もちをついた。激しく水が彼女の体にかかる。

「あーあ。言わんこっちゃない」


 ミズキの足の上をサワガニが歩いていった。そのえもいわれぬ感覚に彼女は足をもぞもぞと動かす。

「どうしたの?」

 眺めていただけのハルカが歩き出しながら心配する。

「いやあ蟹がいて……」


 大きな岩に上ったハルカは透き通っている沢を眺めた。

「へー。ここの水ってそんなに綺麗なんだ」

「うん。飲めちゃうかも」

 ミズキは手で沢の水を掬う。

「ダメ!」

「はい」

 

「家帰って体洗いな」

「はーい」

 ミズキはゆっくり立ち上がり、ハルカと一緒に帰路についた。


 ミズキの記憶の片隅にあった情報がカニによってつまみ出されていた。

「マツおばさんが言ってたんだけど、修学旅行が名古屋じゃなくなるかもって」

「ああ、行く予定だった水族館が駄目になっちゃったんでしょ?」

「そうそう。壁が潮風で駄目になって張り替えだって」

「チタンの壁にするつもりだったのにって館長がテレビで言ってたね」

「詳しいね」

「ほら私、工学部志望だから。生産国と揉めて禁輸中なんだよねチタン」

 自信ありげな表情をハルカは見せる。

「よっ未来の……未来の……」

 ミズキが片手で自身の顔を抑える。ハルカはいたずらげな表情で彼女の顔を覗き込む。

「工学に関する偉人が思いつかなかった?」

「そうそう」

「アインシュタインとかでいーの!」

「オッペンハイマーとかもあり?」

「良く知ってるね。理系なら何でもいいよもう」

「映画であったじゃん」

「みてなーい」

「私もー」


 しばらく駄弁りながら二人は帰り道についた。


 次の日、二人はバスに乗っていた。村からしばらく行ったところにある町の輸入用品店に遊びに行く途中だったのだ。バスが町の駅のロータリーで止まる。


 二人の髪を潮風がなびかせた。

「ここだよね」

「もちろん」

 小銭を入れてバスを降り、二人は輸入用品店へと向かった。店内は独特の雰囲気をしている。幾つかの異国情緒漂う食品や飲料が置かれていた。

「お酒もある」

 店番の青年が二人の事を眺め、カウンターから声をかける。

「ウォッカだよ。もう輸入できないからレアモンさ」

「ありがとうございます」

「いいんだ。それより、何を探しに来たんだ? この店に」

「おいしいお菓子」

「それなら、その隣の隣の棚。このご時世、東欧の奴は少ないな。それとも韓国のグミでもご所望か?」

 青年は彼女らの雰囲気からなんとなく好みを見透かしたような顔をした。この店を訪れる人間はどうせ田舎の潮風に当てられて、僅かな都会という奇抜さを求めるような人間だけだというあざけりがあった。

「別に!」

 ハルカはそれに腹を立て、チョコレートらしき製品を幾つか手に取ってレジに置き財布を取り出した。

「いくら!」

「千二百円ちょうど」

「はい!」

 小銭とお札をぴったり渡し、ハルカは明らかに苛立った様子でその店を後にした。


「どうしたのあの子」

 ミズキはあきれ顔で青年の言葉を聞いた。

「他人が自分のことわかった気になってるの嫌いなの彼女は」

「はあ、悪いことしたな」

 青年はちっとも悪びれる様子はなかった。ミズキは炭酸飲料の缶を二本手に取り、レジに向かった。


 店の外で待っていたハルカとミズキは合流し、買ったものをわけあう。

「お味を拝見……。ぐえっ」

 ミズキが炭酸の味にむせる。

「外れだったか」

 ハルカは手元のもう開けてしまった缶を見てそう言った。



 そんな怠惰な日常が続いていたある日、二人は畳の上に寝転がり、一つのタブレットを覗き込んでいた。日常の終わりを告げる文章が書かれていた。

「ソ連の侵攻?」

「戦争が始まるみたい」

 北海道の某所から撮られた映像が同時に上がっていた。光の弾丸が次々と飛び交い、そのうち一発が鉄塔ような見た目の変電所に着弾して爆発を起こし、街の明かりが消えて動画が終わった。


「まあ大丈夫でしょ。ここはド田舎だし。疎開って授業で習ったもん」

 ミズキは楽天的なことを言って立ち上がり、縁側に出て靴を履いた。ハルカはタブレットを置き、慌てて立ち上がる。


 歩き出したミズキに付き添うようにハルカも慌てて歩き出した。

「ねえ! 戦争なんだよ。ソ連軍が攻めてくるんだよ」

「どうせここまでこないよ」


 ミズキはのほほんとした表情で前日の沢の方へ歩みを進めた。

「ねえ、そこで何するの?」

「いい洞窟を見つけたんだ」

 二人分と少しの大きさの洞穴がそこにはあった。


「秘密基地にしよ!」

「小学生じゃないんだから……」

 ここでハルカは核シェルターを勧める記事を見たことを思い出した。

「いいんじゃないかな」

「そうと決まれば!」

 二人がここに秘密基地を作ると決めてからの行動は早かった。


「いらない布団があった」

「見てみてカップ麺」

 ボロボロの敷布団を抱えてきたハルカは、カップ麺をいくつも持っているミズキと出くわして笑いをこらえる。

「んふっ。なんでそんなにカップ麺あんの?」

「好きなんだもん。でも家にいるとママがあんま食べるなって」

「そっか。お湯も持ってこないとね」

「あ! そうじゃんどうしよう」


 小さな洞窟の中、焚火で温めた湯が沸いた。ハルカは沸いた湯の入ったやかんから、カップ麺へと湯を注ぐ。白い蒸気が洞穴に漂った。

「三分! 三分測って!」

「おっけ、まかせろ」

 祖母からもらった古い懐中時計をミズキが太陽の下で眺める。

「ちゃんとした明かりがほしいなあ」

 暗い洞穴の中でハルカがそう呟いた。

「扉もね」

「サトさんが処分に困るタンスがあるって言ってたよ」

「そうなの。じゃあこんど貰ってこよう」


 他愛もない話をしているうちに三分が過ぎた。

「はい。ミズキのお箸」

「ありがと」

 二人はしばし無言で具を絡めながら麺を啜った。


 途中で、沢を眺めながらミズキが口を開く。

「久々だなあ。カップ麺」

「最近食べてなかったの?」

「うん。ママがオーガニックな物を食べろって」

 しばし沈黙が流れた。


「好きな物食べる方が健康にいいでしょ」

 ハルカが呟いた。

「だよね。でもママはこっちの方がいいって」

「気にしないの。胃が痛くなるよそっちのほうが」

「うん。気にしない」

 ミズキは決心した目つきで麺を啜り、スープまで飲み干した。

「熱くない?」

「めっちゃ熱い!」

 そう言いながら、空になったカップ麺の容器で沢の水を掬って飲むミズキを、ハルカは温かい目で見ていた。


 一方そのころ、どこかの海上ではマラートという革命家の名を受け継いだ巡洋艦が、彼の死にざまのように機関部をミサイルで一突きされ、四百余名の搭乗員と共に海に沈んでいた。

 

 無数の船と人間の残骸が海底に増えて行った。


 ハルカとミズキがそれなりに大きなタンスを二人で持って沢までやってきた。タンスを扉代わりにして暗く光の差し込まなくなった洞窟に小さなろうそくが灯る。僅かにタンスと洞窟の隙間から光が差し込んでもいた。

「怖い話しようよハルカ」

「今が既に怖いでしょ。戦争だよ?」

「そう。じゃあ私のこととか怖くない?」

「ぜんぜん!」

 ミズキはその言葉を聞くや否やろうそくの火を吹き消した。そしてすぐに手を水に濡らし、ハルカの首元に伸ばした。

「ひゃっ」

 ハルカが情けない声を上げる。

「怖いか?」

「怖いとびっくりは違う感情でしょう!」

 ハルカが声高に叫ぶ。

「もー!」

 ハルカは自身の首で手を濡らし、ミズキの二の腕を掴んだ。

「ひゃあ!」

 ミズキもまた情けない声を上げた。それを皮切りとして二人の発する随分子供らしい遊び声がしばし洞穴の中に響いた。


 それを止めたのはタブレットから鳴り響くアラートだった。

「日本海から弾道弾が発射されました。以下の県にお住みの方は早く地下などに逃げてください」

 ハルカが慌ててタブレットに飛びつく。二人が居る県も中にあった。

「奥に行って布団被るよ」

「う、うん」

 二人は一枚の大きな布団に包まり、タブレットの画面を恐る恐る覗き込んでいた。徐々に画面に映る県の数が減っていく。

「大丈夫だよね」

「きっと大丈夫。こんな田舎がって自分で言ったでしょ」

 

 次の瞬間、画面に真っ赤な日本地図が表示される。それは全土が標的になったことを示していた。


 二人は何も話さなかった。ただ、火球を恐れていた。アラートは鳴り続ける。


 アラートは鳴り続ける。


 アラートは鳴り続ける。


 悪魔の叫び声のような爆音がなった。三つの火球が空を埋め尽くし、大地を高熱で焼く。無数の悲鳴がこだまし、電子機器が次々と火花を出して停止する。

 それは終末戦争の始まりではなかった。


 猛烈な衝撃に襲われたと二人は感じ、包まった布団をゆっくりと脱いだ。ハルカは今だ怯えているミズキを背にして、そっと静かに扉代わりのタンスを動かした。

「そんな……」

 はげ山がそこには広がっていた。どこまでもなぎ倒された木々が広がって、煙で遠くの景色は遮られていた。変わり果てた空気が目に沁み、ハルカは目を抑えて洞窟の中に戻った。


「どう、だった?」

「駄目みたい。外は焼野原になってた」


 二人は俯いて、何も言わない。ミズキは地面に無造作に置いていたチョコレートを二つ手に取り、一つをハルカに手渡す。二人は包み紙をはがし、バー状のチョコレートを口に入れた。


 少しの食べ物が竦みきった二人の脳を活性化させる。落ち着いたミズキはタブレットを取り出した。

「ニュース見てみよう」

 幸か不幸か電源はついた。すぐにミズキはニュースのアプリを開く。


「三発の核弾頭は起爆から半径5キロメートルの街を焼き尽くしました。こちらは空自が公表した映像です。どうやら付近の山林へのダメージも大きいようです。」


 見知った町が跡形もなくなっている様子を見てミズキは絶句した。


「私達、助かるかな」

 やっと呟いた言葉がこれだった。

「きっと助かるよ。原爆が落ちてから一か月たたずに、広島では電車が走ってたんだよ」

 ハルカは自身の言葉が無責任だと感じていた。


「それにほら、ミサイルはもう撃たれたんだ。二度と飛んでこないよ」

 ハルカは、別の記事を指さす。ミサイルを発射した戦略原潜が撃沈されたというものだ。


「このまま何日か待てば外に出られるよ」


 二人はそのまま、カップ麺を食べることになる。やかんの中のお湯が生命線だった。そして、腹を満たした二人は良く眠った。


 二人は雨音で目を覚ました。

「雨だ! 水だよ!」

 そう叫んで外に出ようとするミズキの腕をハルカは強く掴んだ。

「駄目、今のタイミングで降るのは絶対に黒い雨だよ」

 二人の脳裏をよぎるのは歴史の時間にならった幾つかの放射性降下物のもたらす悪影響だ。


「あーあ。これじゃ新聞来ないよね」

「読んでたの?」

「クイズ欄だけね。あと連載小説」

「ああ、今日間違い探しの日か。得意だもんね」


 他愛ない会話を繰り返して、適当なものを食べ、明日はよい日になることを願って眠る。ただそれだけで、彼女らは時間を過ごした。


「うう、頭痛が酷いなあ」

 ある夜中にミズキが呟いた。

「大丈夫。ちゃんと栄養が取れてないだけだよ」

 ハルカは優しげな表情でそういう。ミズキは少し不安な表情をして布団に包まった。


「あれ?」

 ハルカは、自身の鼻から血が流れていることに気が付き、丁寧にふき取った。彼女もまた、激しい頭痛に苦しんでいたことは口にしなかった。 


 ミズキは、そんなハルカの様子を見ていた。自分たちの症状の原因が何なのか、どうなるのか、それなりに察していた。


 ハルカが、差し込む朝日で目を覚ました。

「そろそろ、沢の水は綺麗になってるかな」

 ハルカは、タンスの隙間から沢を眺めた。数日前と変わらない透明な沢がそこにある。


「やった!」

 ハルカは眠ったミズキを背に沢に向かった。そこにはそれなりに綺麗な水と、それに浮く生き物の死骸があった。

「駄目かも。蒸留したら飲めるかな」

 そんなことを呟いた時、彼女をめまいが襲った。


 大きな水音でミズキは目を覚ます。横にハルカがいないことに気づき、嫌な予感と共に洞窟を飛び出した。沢で倒れたハルカの姿が目に飛び込む。

「ハルカ!」


 すぐにミズキは彼女を抱き起こして揺さぶる。ハルカは咳をしながら目を開いた。

「私は……どうしたんだろう」

 鼻血がハルカの顔を伝う。彼女は自身の手でそれを拭い、ふらつきながら立ち上がる。彼女の手をミズキが取った。


「ふもとの診療所に行こう。歩いても日没までにはつくだろうから」

 ハルカはしばし黙った。一面焼け野原、集落に食べ物は残っていそうにない。洞窟に残るのも僅か。どちらにせよここにいられる状況ではないことは二人ともわかっていた。


「うん。行ってみよう」

 二人は洞窟に残っていた僅かな水と食料を持って歩き出した。


 風景が変わることはない、すっかり面影を残さない山道を二人はゆったりと下って行った。


「うう……」

 しばらく歩いたところでハルカが胃液を吐いた。

「肩貸すよ」

 ミズキは彼女の背中をさすりながら支える。そして再び歩き出した。


 山道をいくら降りても、いくら降りても、二人を取り巻く景色は変わらなかった。


 ハルカは空に赤い星のついた航空機が静かに飛んでいるのを見つける。少しの要素が、彼女の心に沢山の思考を強いた。

「ソ連のドローンだ。上陸されたんだきっと」

 ハルカの声はか細かった。

「大丈夫だよきっと。大丈夫」

 ミズキもまた、蚊の鳴くような声だった。


 二人の歩幅は徐々に狭まり、やがて歩みを止める。倒れるようにして二人は座り込んだ。砂と土とが彼女らの靴と足を汚した。


「少し休んでもいいよね、また歩き出すから」


 ミズキの呟きにハルカは頷き、二人は枯れた木の根元で目をゆっくりと瞑った。




 間もなく、戦闘が始まった。戦車のディーゼルエンジンの音が、砲撃が、戦闘機の機関砲が、爆撃が、互いの音をかき消し合うように鳴り響いた。


 これは日ソの雌雄を決する戦いであった。ほんの小さな二人の人間の存在をかき消してしまうには十分すぎるほどの凄まじい戦いだった。


 ミズキとハルカはそんなことを知る由もなかった。

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