ストーカー日記 2
ここは王都エリリング。
そこの貴族街にあるカエサエル公爵家に住む一人娘のネネリーナは腕を組み何かを悩んでいた。
自室にある丸テーブルの上には小さな透明の袋が置いてあり、パン屑が残っている。
それをじっと見つめるネネリーナは、食事、入浴を済ませ後は寝るだけだと真っ白なネグリジェを身に包んでいた。
「どうなさいましたか?ネネリーナ様」
「……ちょっとパンを(無理やり)頂いたのよ。だからそのお礼をしなくてはと、思っていただけ。……なによ、文句あるの!?」
「まぁ!男性の方ですか?」
「え?えぇ、そうね……」
「!まぁ!でしたら、明日にでもお返しを買ったらいかかでしょうか!」
「……その方が良いと思う?」
チラリと赤い顔をして聞かれた歳の近い若いメイドはキラキラと目を輝かせて何度も頷いた。
「……じゃあ、明日買い物に行きます」
「かしこまりました!ご準備しておきます!」
「ち、ちゃんと、準備しなさいよ!……どうしてそんなに嬉しそうなのかしら?」
「それは!…………いえ、ネネリーナ様、今日はもお休みになってください!」
髪を梳かし終えたメイドは、にっこりと笑って櫛を定位置に置いた。
そしてさっと頭を下げてゴミを回収してから退室する姿をネネリーナは首を傾げて見送った。
「……お礼、言えませんでしたわ」
ニコニコ笑顔で部屋を出ていったメイドの後ろ姿を思い出して目線を落とすと、長いまつ毛の影がうつる。
こんな言い方をしてしまうネネリーナにもあのメイドは、いや、この屋敷で働くみんなは嫌な顔1つしないのだ。
ニコニコと笑ってネネリーナに話しかける。
そんな使用人たちにいつもお礼を言えず少し落ち込んでしまうのだ。
「……明日に買うお礼は何がいいのかしら」
悩みながらもベッドに入ったネネリーナはなかなか来ない眠気に何度も寝返りをしては窓の外を見ていた。
「……ちゃんと渡せるかしら」
はぁ、と息を吐き出して枕に顔を埋めたネネリーナは顔をグリグリと押し付けてシュミレーションしたが、これを差し上げてもよろしくてよ!と高圧的に差し出す自分自身が浮かび小さく唸り声を上げた。
そう、ネネリーナは素直になれず高圧的に上から目線で話しかけてしまうのだ。
恥ずかしかったりどうすればいいか分からない時こそ、そんな言葉がスラスラと出てきてしまい素直に頼むことも聞くことも出来ない。
そんなネネリーナを見限った公爵家の元婚約者な幼馴染も呆れ返っていた。
「ネネリーナ、君、いい加減その言い方直した方がいいよ、可愛げがない」
そう言って去っていったのはネネリーナがまだ15歳の時だった。
同い年の銀髪を風になびかせて朗らかに笑い、いつも優しく手を引いてくれていた元婚約者はあっさりとネネリーナの元を去った。
可愛げがないのはネネリーナもわかっている。
でも、そんな事を言われたって仕方ないじゃない……
そう俯いていたネネリーナに両親は他の令息を会わせていたが、その高圧的な態度に誰も傍に居ようとはせず、一人娘で婿を取らなくてはいけないはずのネネリーナにはまだ婚約者はいなかった。
「……ああぁぁぁぁぁ……落ち込むぅぅ」
こうして、今日も落ち込むネネリーナが眠りに落ちたのは0時を過ぎた頃だった。
「……どうだった?」
「どうやらパンを頂いたようで、お返しを買いに行くと!しかも、頂いたのは男性みたいですよ!」
「まあ!じゃあもしかして王弟殿下がとうとう接触したのかしら!!」
「「「きゃーー!!」」」
「明日のお返しは王弟殿下の好きなお菓子に誘導しましょう!」
「やっと!やっと王弟殿下は動き出したのね!」
「ネネリーナ様が幼い頃から一途に思ってらっしゃったもの!」
「あんなに見ているのにどうしてネネリーナ様は気付かないのかしら……」
「「……不思議ねぇ」」
「さ、王弟殿下にご連絡致しませんと! パンの袋預かりますわよ。こちらもしっかりと渡さなくてはいけないわ」
「「お願いいたします!」」
暗く明かりを落とした廊下の端で3人のメイドが身を寄せて話していた。
そのうちの1人はメイド長で、メイド全てを束ねる所謂偉いメイドさんである。
そんな3人、いや、ここにいる使用人たちは、王弟殿下が幼い時からネネリーナの情報を流していた。
それはもう、ザルのような筒抜けの情報網である。
雇い主であるネネリーナの父親もそれは知っていて、当時の婚約者に失礼にあたると直接王弟に話に行ったのだが、幼いながらに頭の良い王弟殿下は言葉巧みに結婚が出来ないのは分かっているからネネリーナのちょっとのお話だけでも教えて欲しいんだ、それで我慢するから、といった内容を天使の様な外見を最大限にいかして説き伏せたのだ。
こうして、日常の見る事の出来ないネネリーナの情報をコンスタントに受けてる事が出来るようになったセルジュのストーカー経路が敷かれていった。
「…………なるほど、お返しのお買い物かぁ。……でも、パンあげたのは僕じゃないんだよね」
ネネリーナのソワソワした様子が浮かんで笑ったが、すぐにお返しの相手が自分ではないと、表情を消し去った。
自分じゃない誰かに渡す為のお返しをネネリーナ自身が出向き買う事が許せないセルジュは、報告書をぐしゃりと握りしめた。
その手には、パンの袋もある。
普通だったら綺麗に保存するところだが、他の男からのだしなぁ……と報告書と共に握りしめている。
「……明日、明日かぁ……凄くむかつくなぁ……」
土日になり学校はお休みになる。
何時から出発か、そこまで書かれた紙をもう一度見てから薄らと笑みを浮かべた。
それはいつも天使のようだと言われる可愛らしさ全開の笑みではなく、見る人がぞわりとするような冷たさが滲んでいた。
小さく可愛らしい少年でも残忍な一面がある。
頭の回転が早く他国との言葉の争いを繰り広げる兄王の弟であるセルジュは、やはり突出すべきものがあるのだ。
イラつきや、嫉妬を隠すことなく表情に浮かべるセルジュの見慣れない顔は、幼馴染であり現宰相の息子であるカイン・マックベルすらギクリと冷や汗を出させるのだった。