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銀灰の魔術師リル・リスタは歩きたい  作者: 清水薬子
未知の魔物と魔法解明
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『アタシの友だち』

 初めてリル・リスタという少女に会った時、その昏い目に恐ろしさを感じてしまった。

 底なしの絶望と諦めを前にただ静かに佇む彼女を見て、ミーシャ・モンテスギューはポツリと呟いた。



『歩けないなら、魔法を使えばいいのに』



 魔法とは、奇跡である。

 少なくとも、ミーシャは家庭教師から教わった。


 貴族とは魔法があるからこそ尊い。

 魔術師は魔術が使えるからこそ尊敬を受ける。


 フィラウディア王国が生まれる前から、そのように紡がれてきた歴史なのだと誰もが信じて疑わなかった。



「お父様、アタシは何が正しいのか分からなくなってしまいました」



 ミーシャは、屋敷の食堂が苦手だった。

 振る舞われる食事を、マナーというルールに従って胃に流し込む作業がなによりも辛かった。


 産後の肥立ちが悪く、ミーシャに生を授ける代わりに亡くなった母がいれば、この関係は変わっていたかもしれないと語る乳母の言葉がふとミーシャの鼓膜に蘇る。



「魔法は奇跡だと、アタシは信じてきました。魔物を退ける魔術師の規範となるのが貴族であると、そう信じて行動してきたのです……お父様の仰る通りに」



 ミーシャは唇を噛み締める。

 魔法は奇跡。

 その固定概念を揺るがしたのは、フィオナ姫の演説だった。


 魔法と魔術は、魔王によってもたらされた。


 それが嘘偽りであるとは、思えなかった。

 ミーシャは魔物学の授業で、『聖灯火』に似た魔術を使う魔物がいる事を知っている。


 深い山の中で、新月の晩に明かりを灯して獲物を誘き寄せて崖下へ誘導するのだ。

 そして、滑落した獲物を捕食する。


 よく似ているだけと片付けた過去が、ミーシャの心を抉る。



「魔法祭で、アタシは浮かれていました。リルの語る魔法と魔術の新しい可能性の先に……平等があるのではないのかと。貴族も庶民も、互いに尊重できる理想の王国があるのではないのかと思い上がっていたのです」



 ミーシャにとって、リルから教えてもらった魔術は、まさに奇跡だった。

 理論や理屈は理解するのが難しかったが、それでも不可能を次々と克服していく彼女の背中を追いかけるのが楽しかった。

 責務も義務も関係なく、時間を忘れて没頭する事がこんなにも楽しい事だとは夢にも思わなかったのだ。


 その希望を打ち砕いたのは、魔王による横暴の歴史。

 新しい価値も理想も希望すらも語る資格がないのだと、ミーシャは深く絶望した。

 そして、同時に、過去のリルへの発言を深く悔やんだ。


 魔法は奇跡ではなかった。

 その事実は、ミーシャの誇りを完膚なきまでに破壊した。



「ミーシャ」



 ミーシャの父、子爵は静かに口を開いた。



「魔法祭の時、俺は学園にいた」



 子爵は橙色の瞳を細めて、テーブルの上で手を組む。



「『聖灯火』は、その昔、貴重な食料を運ぶ商人を誘導する為に使われてきた。ある時は霧の深い海上を渡る船、あるいは草原を横断する医者団が迷わない為に。俺が十八の頃、妻アルシャラと出会ったのも、行方不明になった行商隊を見つける為に魔法を使ったからだ」



 ミーシャはテーブルの上で視線を彷徨わせる。

 亡き母との思い出が父の口から語られたことはなかった。



「俺にとって責務でしかなかったが、アルシャラにとって月の浮かぶ星空や太陽よりも希望の道標になったと語っていた。それから、事あるごとにアルシャラは俺の魔法を見たがった」


「『聖灯火』が、お母様にとっての、希望の……道標……」


「過去に何があったのかは俺も知らん。だが、未来がどうなるかを決めるのはいつだって積み重ねてきた今が続いた先にある。もしアルシャラが生きていれば、魔法祭で『聖灯火』を使うお前を見て喜んだはずだ」



 厳ついと評判の表情を緩め、子爵はミーシャに語る。



「お前の語る魔法と魔術の新しい価値が何かは、古い世代の俺には分からん。俺の信じる貴族としての在り方もお前には分からんだろう。全てを理解せずともいい。俺はお前に生きる為に必要な知識は教えた。

 ミーシャ、自分の信じる道を歩け。困った時は、お前の友だちを頼れ。自信を無くしたらアルシャラのブレスレットを見て元気を出せ」



 席を立ち、ジャケットのポケットからブレスレットを取り出し、ミーシャの手に握らせる。

 丁寧に磨き上げられた女性用の銀のブレスレットには、細やかな蔦の装飾が刻印されている。



「こ、こんな大事なもの、アタシ受け取れませんわ」


「アルシャラの故郷では、婚姻の証として夫婦で身につける。子が生まれ、悩みを抱える時は、母が激励の言葉と共に贈る風習があるそうだ」



 子爵はミーシャの肩を叩く。



「どうにもならなくなったら、その時はここに帰ってこい。お前の部屋は、いつだって用意してある」


「お父様……」


「学園の治安は少し改善したそうだ。フィオナ姫の尽力もあるだろうが、お前の友だちが頑張っているんじゃないか?」


「リル!」


「学園行きの馬車が出発するまでまだ時間はある。支度を済ませなさい」



 子爵は駆け出したミーシャの背中を見つめる。

 自分によく似て生真面目な娘は、成長するほどに亡き妻を思わせる仕草をするようになった。



「いかんな。ミーシャを見るとアルシャラを思い出す」



 煙草を取り出すなり、控えていた使用人が火を灯す。

 子の発育に悪いとアルシャラから禁止されていた嗜好品は、過去に比べて塩辛い味がする。



「煙が目に沁みる……俺も歳か……」



 いつのまにか成長していた娘の背の高さを思い出し、煙を深く吸った子爵は大きく咳き込んだ。

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