侯爵令息の醜聞
学園の建物裏。
そこには素行に問題を抱える生徒たちが集う。
いわゆる不良の溜まり場だ。
「おい、聞いたか? 『懲罰委員会』だとかに、あの五歳の白髪のガキが採用されたらしいぞ」
「お? バージスもいよいよお縄か?」
「バァカ、俺が捕まるかよ。逆に父上の権力で揉み消すさ。第一、あんな足の動かない五歳のガキに何ができる。今度、見かけたら俺が一発ブチ込んでやるよ」
魔草を紙で包み、火で炙った煙を吸い込む生徒たち。
まさか噂話をしている相手が聞き耳を立てているとも知らずに、よくもまあ襲撃計画を立てられるものだ。
「へっ、シュナウザーが消えた今、バウハッセルの名に勝てる奴なんざいねえ。フィオナ姫の次の婚約者に指名されるのも俺さ。アイツが消えてくれて清々するぜ」
バージスは次々と世迷言を宣う。
どうやら本当に侯爵である父親の威光を笠に着て威張り散らしているようだ。
会議での話し合いを思い出す。
『魔法主義』の教師たちは、バージスを罰したら更なる混乱が学園に起きると主張していた。
曰く、纏め役が何度も変わっては不良たちが統率を失う。
一見まともに見える主張だが、実態を何一つ見ていないからこそ吐ける暴論だ。
ヤクザやマフィアを取り締まれば、半グレがのさばる。
暴走族を取り締まると、不良が悪質化する。
もっともらしく言うが、人生経験を無駄に積み重ねた私から言わせて貰えば、それは大きな間違いだ。
こういうアングラな組織の存在を許せば、悪事で飯を食うノウハウが構築される。法や監視をすり抜ける知識が共有されてしまう。
そして、そういう組織は無責任で、社会や他者のことなど何一つとして考えない。
結果として、放置した方が更なる混乱と被害を起こす。
「ハッ、雑魚が粋がりやがって……」
私の背後で殺意を漲らせるエルサリオン。
手で制止しなかったら、今頃は駆け出して全員を空に打ち上げそうな勢いだ。
それにしても、空気中に漂う匂いからして、錬金術の授業に使われる薬品や薬草をタバコみたく嗜好品として吸っているらしい。
「……」
『貴族』クラスに人気のない錬金術の授業をどうして彼らが履修しているのか気になっていたが、どうやら授業を潰して薬品を強奪するのが目的だったらしい。
教師の寂しそうな横顔を思い出して、堪忍袋の緒が切れそうになったが寸前で我慢する。
こちらの殺意など露知らず、呑気に嗜好品を楽しむバージス一味。
下っ端の一言で場が凍りつく。
「そーいえば、エル……なんとかも懲罰なんとかに入ったらしいっすよ」
全員がピタリと動きを止めた。
「ハイエルフのエルサリオンが?」
「はい。先生から聞いたんで、間違いないっす」
影の妖精と契約して姿を隠している私とエルサリオンはお互いに顔を見合わせる。
確かにエルサリオンは目立つ。
彼の噂話は休み時間に聞こえてくる事もあるほど有名だ。
「クソッ、あんな化け物が『懲罰委員会』に入っただとっ! ふざけるなっ! フィオナめ、そこは侯爵の令息である俺を誘うべきだろうがっ!」
バージスは燻していた包み紙ごと草むらに投げ捨てる。
そして、口汚く罵り、屋敷に戻って父上と相談しなければと叫んで、その場を立ち去る。
その後に何が起きたか?
タバコのポイ捨てでも、火事が起こるには十分だ。
バージスの余罪に『放火未遂罪』が追加されるのにそう時間はかからなかった。
バージスの言動、生徒たちへの暴行、授業での横暴を紙に纏めるだけで何枚にも渡った。
報告を受けたフィオナ姫の額にいくつもの青筋が走る。頬の筋肉が痙攣し、目元はまったく笑っていない。
特に『次期婚約者は俺』という発言に彼女は怒り狂っていた。あまりの剣幕に、魔法主義の教師が保身に走ってバージスを切り捨てるほどと言えば分かるだろうか。
「貴族と庶民の間に起こるトラブルは金で解決するという不文律が我が王国にはあります。ええ。これまでの彼らの所業は、金を支払う事で強引に解決できたでしょう。ですが、私の婚約者を騙る行為は、金銭で解決しません。いえ、させません。彼らを罰する事に異議を唱える者はいますか? その異議に責任を持ちますか?」
『懲罰委員会』の発足に反論していた教師たちはサッと目を逸らした。どうやらバージスは危険を冒してまで庇う相手ではないらしい。
その日のうちに彼の部屋宛に学園から出頭命令が送られたが、彼はこれを無視。
フィオナ姫はこれを出頭命令の拒否、それも悪質なものであると見做して『懲罰委員会』を動かした。
まあ、早い話が『連れて来い。抵抗するならボコボコにしても構わない』という指令だ。
「と、いうわけで、バージス・バウハッセルに出頭命令が出ています。ご同行を願います」
「断る! 庶民如きが俺に命令するんじゃねえ!」
書状を見せたのだが、素行不良の道を走り抜ける彼が大人しく従うはずもなく、その紙を破り捨てた。
それ、フィオナ姫の署名入りで、王国法でしっかりと法的効力のある書類なんだけどなあ。
余罪に『公文書損壊罪』も追加。
「どうしてもご同行を願えないと?」
「一度じゃその脳なしの頭で理解できねえのか!? 足を動かさないうちに、脳みそまで脂肪に支配されたんだろ」
ギャハハ、とバージスは腹を抱えて笑う。
なんでこうも最悪の選択肢ばかりを掴むんだろうか、この手の輩というものは。思わず呆れてしまう。
「バージス・バウハッセル、同じ生徒のよしみとして警告します。これ以上の愚行はお控えになるべきです」
「あン? あの耳長に泣きつくのか? 『たちゅけて〜!』ってよお!」
「いえ、バウハッセル侯爵閣下がご覧になっています」
「……え?」
私の言葉に応じて、校舎の影から老年の男性が姿を現す。
巷の流行に流される事なく、燕尾服に身を包んだバウハッセル侯は革靴が汚れるのも構わず泥を蹴り飛ばし、狼狽えるバージスの前に立ち、無言で息子の顔を殴った。
鼻血を垂らす彼を、子を見る目とは思えないほどに冷たい眼差しで見下ろしたまま、バウハッセル侯は口を開く。
「よりによって……よりによってフィオナ姫の婚約者を騙るとは! お前はバウハッセル一族を滅亡させるつもりか!」
実は、バウハッセル侯とバージスの間で交わされた相談という名の指示を私は盗み聞きした。
その時の様子はもはや泣き落としに近いもので、『頼むから何もするな。フィオナ姫から距離を取れ。発言と行動は気をつけろ。お前が何かをするたびにこちらは大変なんだ。学園に入る前に戻ってくれ』というもの。
そこにあったのは、親元から離れて暴走した息子に苦しめられる父親。
よく眠れていないのか、隈が濃い。
「殴りやがったな、クソじじい!」
『いざとなれば父上の権力で〜』と宣っていたバージスは、その父親すら敵になったと知るや激昂して殴りかかろうとした。
キレる若者、恐ろしや。
流石に傍観に徹するわけにもいかないので、拘束する。
「氷結。暴れても不利になるだけですよ」
「ふざけんじゃねえ! このド庶民がッ! ぶっ殺してやる! こんな氷、俺の魔力で……ッ!」
『脅迫罪』も追加。
私の魔術で作った氷を溶かそうと『火球』を発動させようとするが、その都度『呪文破壊』で妨害。
先に魔力欠乏症に陥ったのは、バージスの方だった。
「ば、バケモンが……」
バージスは血色の悪い顔で、私を罵る。
本当にどこまでも最悪の選択肢ばかりを掴む。
「学園になど入れるべきではなかった。お前には、やはりまだ早過ぎたのだ……!」
バウハッセル侯の後悔が滲む声。
彼らの家庭にどんな問題や事情があったのかは分からない。
ただ、私は何も聞かなかったフリを貫く。
下手な慰めも、詰る言葉も、これから限りなく浴びる。
ならば、ほんの一時だけでも、この後に向けて備える為の静寂を与えてやるべきだと思った。
騒ぎに便乗しようとして逃げた他の生徒たちは、エルサリオンに驚いて腰を抜かしている。
シュナウザーからバージスに乗り換えたからといって、これまでの行いが精算されたわけじゃない。
むしろ、バージスに与していた事を理由に率先して槍玉に挙げられるだろう。
次の日。
バージス・バウハッセルを含めた幾人かの退学が貴族学園の掲示板に張り出された。バージスの貴族籍剥奪が周知の事実となったのは、夕暮れに発刊された新聞である。
バージスはシュナウザーやリンガの時よりも厳格な罰が与えられたらしく、魔力を封印する刺青を背中に彫られた上で、損害賠償が終わるまで危険地帯での労働が課せられる事になった。




