揺れる学園
冬休みが終わり、新年が明けると同時に、全校集会が開かれた。
学年、派閥、身分、その全てに関係なく、全生徒が大講堂に集まった。
壇上に姿を見せたフィオナ姫の真剣な表情から、既に生徒の過半数は事情を察していた。
私の懸念通り、箝口令が敷かれても情報の流布は留まるところを知らず、学園都市ならず王国の至るところでリンガやシュナウザーの『魔物化』に関する噂話は拡散し始めている。
朝刊には、汚職で爵位を剥奪された貴族の名が並ぶ。
暗黒時代の始まりかと新聞記者は不安を煽っていた。
「今日は、みなさんにお話があります。魔力を持つ者の義務として、これからお聞かせするお話はとても重要なものになります」
そうして、フィオナ姫は語り始めた。
「かつて、この大陸には『魔王』と呼ばれる強力な存在がいました。その魔王は討ち倒されるまでの千年間、ありとあらゆる生き物を奴隷として扱ったのです」
『魔王』と魔法・魔術の関係、リンガとシュナウザーが魔物を扇動した出来事を静かに伝えた。
私の隣に座っていたミーシャが強張った顔で、食い入るようにフィオナ姫の話に耳を傾ける。
彼女の受けた衝撃は計り知れない。
「再来した魔王は言葉巧みに甘言を用いて、人の欲望を利用します。ですが、その末路は悲惨なものとなります。
吸血鬼となった魔物のリンガは、人の血を啜らなければ正気を保てないほどにまで汚染され、精神的に衰弱しています。一時の誘惑の代償として、彼は人間としての生を失ったのです」
生徒たちの間に恐怖が伝播していく。
人の上に立つ者として、最悪の事態を避けたいというフィオナ姫の事情はよく分かる。
それが効果的だという事も理解している。
ただ、恐怖を煽るようなやり口には賛成できない。
「今こそ、我々は手を取り、脅威に向けて備えなければいけません。道を踏み外す友がいるならば、正しい道に戻さなければなりません。それには、みなさん一人ひとりの協力が必要なのです。
学年も、派閥も、身分も関係なく!」
どよめきと戸惑い。
集会が始まる前から、生徒たちは席で揉めていた。
派閥と身分でどこに座るかという下らない争点。
生徒たちは「無理だ」と呟く。
「この世に不可能はありません。できるかできないかではなく、やるしかないのです。私たちから、変わっていかなければいけないのです!」
フィオナ姫の演説が終わっても、大講堂は騒然としていた。
無理もない。
いきなり魔王だの魔術の歴史だの言われても、すぐに納得するのは難しい。
彼らにとって、足元が崩れ落ちるような衝撃だ。
特権を誇っていた貴族たちの過去を遡れば、魔王の奴隷として従った見返りとして渡された報酬だった。
その事実は、恐らくミーシャの心を何よりも傷つけたのだろう。
「ミーシャ、大丈夫?」
「ア、アタシ、なんて、酷い、事を……そんな、魔法が、魔王からだなんて、知らなかった……!」
ミーシャの橙色の瞳から、ぼろぼろと涙が溢れる。
ひたすらに贖罪の言葉を呟く彼女を抱きしめて、胸の中に閉じ込める。
「障壁」
魔力で壁を生み出して、音を遮断する。
ほんの少しでも、この静寂が生真面目で優しい友だちの心の慰めになってほしい。
ひたすらにそう願いながら、私は彼女の背中を摩った。
「リル、アタシの魔法は……モンテスギューの魔法は、人を傷つけて奴隷にする為のものだったのでしょうか」
「ミーシャ、そんなわけがないだろう。魔法祭の時を思い出して。みんなミーシャの魔法を見上げて、綺麗だって喜んでいたじゃないか」
「ですが……ですが、民を守る為の貴族の……その力の源泉が、民を率先して虐げていた存在から与えられていた……それを、隠して……アタシは、アタシは……!」
フィオナ姫は学園生に団結を求めている。
未曾有の危機を前に、全員で手を取り合い、協力できれば出来る事も増えていくだろう。
だが、それは理想論だ。
現実が世知辛い事など、誰もが理解していた。
その日から、学園は『変わった』。
これまで裏に潜んでいた問題が、表立って吹き出したのだ。
学園の廊下を移動している間、誰かの話し声が聞こえる。
「なんだよ、貴族の連中、偉そうな態度をしている癖に、魔王から与えられた力を振り翳しているだけじゃねえか」
「いいわね、特権階級のお貴族様は施設を使いたい放題。庶民の私たちが申請して一ヶ月も待たされるのに」
「僕たちが魔物と戦っている間はお茶会で菓子食って紅茶や珈琲をガバガバ飲んでるんだろ。羨ましいぜ」
「見ろよ、噂の魔術師だぜ。『銀灰の魔術師』だっけ? どうせ、あいつも貴族の娘なんじゃないか?」
聞こえないと思っているのか、あるいは、聞こえても構わないと思っているのだろう。
これ見よがしに顔を見合わせ、騒ぎ立てる。
入学した時から好奇の視線を向けられたが、フィオナ姫の演説の直後もあって学園の雰囲気は悪化の一途を辿っていた。
溝はあった。
距離を取りつつも、それが当たり前として過ごしてきた。
いきなり当たり前を当たり前たらしめる前提が崩れ、距離が一気に縮まった。
だからこそ、これまで抑圧していた不満や衝突が激化した。
不安に駆られるのも分かる。
その不安は暴力的な衝動となって、弱い者に向く。
「リルさん、喧嘩が起きました!」
「はあ、またか……」
ため息を吐く。
今日だけで、喧嘩の仲裁を求められるのは三回目だ。
一回目の喧嘩の理由は『庶民が隣に座った』。
二回目は『膝がぶつかった』。
三回目の喧嘩は『侮辱されたから』。
『氷結』で頭を冷やしてやれば、すぐに喧嘩をやめて散り散りになるとはいえ、こう何度も仲裁を求められては学業に身が入らない。
「ありがとうございます、リルさん。私たち『生徒会』では実力行使が難しくて……」
怪我人の手当てを行う『生徒会執行部』の生徒に感謝されたが、ちっとも嬉しくなかった。
『魔法主義』からの誘いを断った時に、素行の悪い五人組の生徒に襲われた事があった。
その時から学園の治安はあまり良くなかったが、ここ数時間は輪にかけて酷すぎる。
「この騒ぎ、どうにかできないんですか?」
「す、すみません。下っ端の私では上の動向は分からず……」
さすがに生徒の集まりでしかない『生徒会』に学園の治安をどうこうする権力はない。聞いてみただけだ。
仲裁ばかりしていたら、折角の魔水改良が滞る。
あれはこれまでの魔術や実験と比べても、最も魔力を必要とするのだから。
「────日進月歩とはよく言うけど、上手くいきかけてる時に限って面倒ごとは起こるんだよなあ……」
『生徒会』の生徒は「リルさん、五歳児とは思えないぐらい達観してる……」と呟いていた。
中身はいい歳こいた大人だよ、と言ったら「またまたぁ」とけらけら笑われた。多分、信じてない。
学園の派閥対立は、一週間が経っても改善はしなかった。
緩やかに溝を深め、多くの生徒を巻き込んで、構造が二極化に遷移を始めた。
『魔法主義』と、それ以外。
高圧的な貴族に反発する庶民という対立に最も心を痛めたのは、モンテスギュー子爵家の令嬢ミーシャだった。
会うたびにミーシャの顔色は悪化し、表情は曇り、私の顔を見るたびに謝罪を繰り返す。
庶民の生徒たちからすれ違いざまにぶつけられる鋭利な言葉が、繊細で柔い彼女の心を何度も傷つけていた。
「リル、アタシお父様から屋敷に帰るよう命令されましたわ」
あまりの憔悴ぶりに使用人の誰かが子爵に報告したのだろう。
学園生活を何よりも楽しみにしていたミーシャ。
制服を着て見せ合っていた時の笑顔はなく、よく眠れていないのか目元に隈が色濃く残っている。
「そうか。最近のミーシャはすごく体調が悪そうだったから、心配していたんだ。少し学園を離れて休んだ方がいい。最近は色々あったから、ゆっくりしてみるのも悪くないよ。ね?」
「ええ。そうさせてもらうわ。……リル、ごめんなさい」
「謝らなくていいんだよ、ミーシャ。君は何も悪くないんだから」
慰めの言葉を掛けるたびに、ミーシャがぎこちなく微笑む。
気の利いた台詞がパッと出てこない自分の頭の悪さに苛立ちつつも、学園を去る親友の背中を見送る事しか私にできなかった。
冬休みが明けて二週間。
学園の風紀はまだ改善しない。
休み時間に起こっていた喧嘩は、今では授業中にも起こるようになった。
「……あ〜あ、また授業が潰れた」
高圧的な『魔法主義』の態度に痺れを切らした生徒が反論し、口論の応酬が激化。
講師の声を掻き消すほどの罵倒に発展。
ついには魔法をぶっ放した馬鹿のせいで窓ガラスは破損し、備品が散乱。
授業は中止となり、問題を起こした生徒たちは連行された。
楽しみにしていた錬金術の授業だっただけに、苛立ちは募るばかりである。
錬金術。
様々な薬品や魔物の素材を組み合わせて、特殊な効果のある薬品を作る技術だ。
化学的な知識が学べると思い、受講したのにまともに授業が受けられない。
石造りの廊下を進めば、壁にずらりと懲罰を受けた生徒たちの名前が張り出されている。
その中の上位には、シュナウザーの元腰巾着だった五人組の名前が夥しいほどの指導と懲罰歴が公開されている。
前期までにはなかった掲示物だ。
あまりの問題行動の頻発に学園側も重い腰を上げたらしい。
噂によれば、フィオナ姫が学園長を連日に渡って突き上げたと聞くが、貴族でも教員でもない私には真偽を判定する術はない。
「はあ、こんなんで大丈夫なのかね」
「ダメに決まっているでしょう」
唐突に聞こえたフィオナ姫の声に私は悲鳴をあげながら、素早く車椅子を反転させる。
「その車椅子、車輪の角度を変えられるのですね。それで素早く方向転換ができると。とても興味深いです」
「フィオナ姫殿下……」
「冬休み以来ですね、リル・リスタ女爵。勲章がよく似合っています」
にこやかに微笑むフィオナ姫。
彼女を『聖女』と呼び讃える生徒が多い一方、苛烈な性格をしている事で逸話に事欠かない事でも有名だ。
「そう身構えずとも食べはしませんよ。ふふ……」
「フィオナ姫も冗談を口にするんですね」
「意外でしたか?」
「いえ、人それぞれですから」
なんだ。何の用だ?
どうしてここにいるんだ……って、学園の廊下だからすれ違っても何もおかしくはないか。
「『生徒会執行部』からお聞きしました。先週は喧嘩の仲裁を助けていただいたそうで、生徒会長の私からも感謝を伝えたいと思っていたのです」
「感謝されるほどの事はしていません」
「さすがは『銀灰の魔術師』、いついかなる時も氷のように冷静でいらっしゃる。私も見習わないといけませんわね」
フィオナ姫は口元を手で隠し、くすくすと笑う。
「リル・リスタ女爵の腕を見込んで、頼みたい事がありますの。学園の風紀を改善したいのですが、どうにも荒事になる気配が濃厚でして、ベルモンド教授と話し合いの機会を設けて欲しいのです。何度か手紙を送っているのですが、あまり善い返事がいただけず……」
フィオナ姫の言葉に私は考え込む。
ベルモンド教授は身内に甘く、排他的な傾向が強い。
特に魔術学が冷遇を受けている事もあって、研究室に生徒が近づく事でさえ嫌う。
私が間を取り持てば、面と向かって話し合う事はできるだろう。失敗に終われば、その分、私の立場は危うくなる。
フィオナ姫の要求を突っぱねれば、学園の風紀改善は遠のくだろう。
それはかなり困る。
なら、私のやる事は決まっている。
「フィオナ姫、ベルモンド教授はかなり気難しい御方です。話し合いの場に漕ぎ着けるのなら、それなりのメリットを提示しないとあの人は会う事すら拒絶するでしょう」
ミーシャの復学を早める為にも、学園の問題を解決する。
私を利用するつもりのフィオナ姫の思惑に乗るのは気に食わないが、彼女の策に乗っかった方が早く解決するかもしれない。
「ご協力、感謝申し上げます」
「フィオナ姫、誤解はなさらないよう。私はいち生徒として、現状の破綻した学園を憂いているだけです。貴女の配下になるつもりはありません」
「ええ。存じておりますとも」
私はフィオナ姫に生徒会室へ案内され、さらに詳しい話を聞く事になった。
いよいよ学園の風化改善に向けて動き出します。
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