一歩を踏み出すための下準備の支度
討伐隊の騒動から一夜明け。
精神的な疲労はともかく、肉体的な疲労を取り除いた私は、家の外に出る気力も湧かず家にいた。
既に昨日のうちに親へ安否を確認する手紙を送ったが、すぐに連絡は戻ってこない。
土地の距離と郵便の不便さを噛み締める。
「歩行補助具……なんで作ろうとしなかったんだろう……」
フィオナ姫の言葉を反芻するうちに、落ち着きを取り戻した事でようやく『治す必要もない』という言葉の意味に気がつけた。
始めから蜘蛛脚の仕組みを応用して、歩行補助具を作れば良かったのだ。
今の今まで、すっかりそんな事も思いつかなかった。
魔術を極めて足を動かすという目的を掲げて学園に入学したのに、色々な出来事に思考を割いて本来の目的を履き違えるなんて、あまりにも恥ずかしい。
『あなたは、フィラウディア王国の悲願であった奴隷根性の脱却に成功したのです』というフィオナ姫の言葉がいかに過大評価だったか分かるというもの。
……魔術や魔法と違って、補助具は前例がない。
氷の車椅子の時のように、何度も試行錯誤する必要がある。
学園の入学前は、使える魔術の種類の少なさと魔力量を言い訳に逃げていた。
学園に入ってからも、なんだかんだ逃げていたのかもしれない。
なんでもできる魔法に勝手に期待して、縋って、失望して。
我ながら情緒不安定な事ばかりしていた。
原点に立ち返ろう。
私は、自分の意思で、自分の足を動かすんだ。
もう言い訳はしない。
逃げる事もしない。
向き合うんだ、この憎いほどに感覚のない足と現実に。
サポーターというものがある。
関節や筋肉の動きを補助する役割があって、スポーツ選手や膝にお悩みのお客様にご愛用いただいた我が社の商品が……
じゃなくて、私お手製のサポーターを魔術で作ってみた。
半透明のスライム状のシートに、複雑な模様が描かれている。
完成したそれを眺めながら、その作成の過程をざっくりと振り返る。
まず、どの魔術で歩行補助具を作るのか考えた時、やはり『氷結』が他の魔術に圧倒的な大差をつけて勝利した。
氷はいい。目に見えるし、いきなり爆発しないし、なにより形がある。氷という安定感は何物にも変え難い。
『氷結』という魔術をいじり倒して魔改造した結果、新たな発見をした。
すなわち、水には二種類ある。
大気中から作り上げた水は、私の知る水と全く同じ性質。
もう一つ、大量の魔力を費やす事で出来る水、これを区別するために『魔水』と呼ぶのだが、これがものすごく便利だった。
魔力を消費することで、性質をある程度までコントロールできるのだ。
恐らくは、フィオナ姫のいう現実改変した水が魔水の正体なのだろう。
一見、便利に見えるこの『魔水』。
びっっっっくりするほどに魔力を食う。
それはもう、日々の魔力トレーニングで増えた自信をべきべきにへし折るほど。
どれぐらいかというと、魔水を板状にするだけで魔力がすっからかんになるのだ。
これに角度をつけるとする。
たった一度の傾斜で、やはり魔力が枯渇。
研究に没頭し過ぎて死にかけた。
比喩じゃなく、本当に四回ほど、餓死と脱水、あと寒さで死にかけた。
魔力の回復が間に合わなかったら、ベルモンド教授に借りたこの家を事故物件にするところだった。
冬休みは三ヶ月間あった。
雪が降り、止むまでの期間。
私は大量の食料を買い込んで、ありったけの時間を注ぎ込んで、頭を捻りながら抜けた乳歯を母さんに送りつけて。
里帰りしたミーシャとたまに手紙をやりとりして、家族にはしばらく帰らないと断りを入れて。
色んなものを端に退けて、ひたすら追求した。
胃に食料を詰め込んで、水で流し込んで、最低限の衛生だけは守って、ひたすら魔力トレーニング。魔力が尽きたら筋トレ。筋肉が悲鳴をあげたら頭を限界まで使った。
そしてその日を迎えた。
げっそり痩せた私の手に、魔水のサポーターが握られているというわけだ。
「へへ、三ヶ月、みっちりやって、片方だけ……」
とんでもない疲労感。
ふっと気が緩んだ瞬間に、もう一人の自分が囁く。
『これが何の役に立つ?』
『あれだけの時間と労力を費やして、たったこれだけ?』
氷の車椅子を作った時には、こんな後ろ向きになることはなかった。
どちらかといえばがむしゃらに悪戦苦闘していたから、気にかける余裕はなかった。
「魔王だかなんだか知らないけど、やってやろうじゃないの」
『神はそれを望まれた。精霊はそうあるべきと定めた』
『魔王にとって価値あるもの。奴隷に求められるもの』
どうだっていい。
私は、私だ。
私の意思で、私の足を動かす。
椅子の上で魔水のサポーターを右の太腿に装着する。
半透明の液体は、ぬるりと足を包み込んだ。
感覚はない。だが、構わない。
「すう……はあ……」
三ヶ月の追い込み魔力トレーニングを持ってしても、片足分しか作れなかった。
実際に使えるかどうかは分からない。
カッと目を見開き、渾身の力で腰と腹筋に力を入れる。
筋肉は連動する。
つまり、ほんの僅かでも動かせれば多少のデータは取れる。
動け
動け!
動け!!
「ぐっ! ……はあ、はあ」
酸欠で視界が暗くなりかけたところで、力を抜く。
その時、太ももの形が確かに変わった。
ぐにゃりと、重力に負けて脂肪が椅子の上に広がったのだ。
これはつまり、ほんの数センチではあるが足が持ち上がったということを意味するわけで……
「……っ、……ッ、……〜〜〜〜ッッッッ!!」
言葉にならない気持ちを噛み締める。
まだ足の感覚はない。
でも、腰の筋肉で、太腿を動かせたのだ。
改良の余地はある。
課題は山積みだ。
それでも、私は、今、たしかに!
一歩を踏み出すための!
下準備の!
支度を終えたのだ!!!!
ぃやったあ〜!!
惜しむらくは、この喜びを誰にも分かち合えない状況。
魔力枯渇で意識が強制シャットアウト寸前である事ぐらい。
すっかり見慣れた天井には、暖炉の煙突と換気扇、小さなシャンデリア。
柄の壁紙に囲まれた毛足の長い絨毯は、寝心地が悪い。
気分は良くない。
でも、気分はいい。
あの卑屈な囁きはさっぱり聞こえない。
「ははっ、あははっ、あははははっ!」
笑いが込み上げてきた。
健常な人なら秒で終わる動作。
それを私は半年近くも費やして、ようやくその動作のスタートラインに並んだ。
これにさらに立ち上がる。前に足を出す。後ろの足を前に出すと連続させて、初めて歩くという動作が成立する。
複雑な人体のシステムが、それぞれ連動して、作用して、生き物というのは【生きている】。
前世の私は、この奇跡を享受しながら、当たり前の事だと深く考える事もしなかった。
「ああ、すごい。奇跡だ……」
そっと右の太ももに触れてみる。
感覚はない。
でも、掌に筋肉の痙攣が伝わる。
無理やりではあるが、動かすことに成功したのだ。
「ざまあみろ」
絶望した三歳の自分を罵る。
「ざまあみろ」
私を憐れんだ視線を罵る。
「ざまあみろっ!」
魔王を罵る。
「私は、勝ち続けるからなあっ!」
何に対する宣戦布告なのか、自分でも分からない。
それでも、私は吠える。
「勝って、勝って、勝ち抜いてっ! この異世界をこの足で歩いてやる!!」
喉を潰す勢いで叫んだ私は、そこで意識を失った。
気が向いた時にでも感想やブクマ、ポイント評価をしてもらえるとモチベーション維持に繋がります




