歩けないなら、魔法を使えばいいのに
人として、当たり前の事ができない。
立って、歩いて、誰にも迷惑をかけないで生きる。
両足を事故で失ってから気がついた。
普通と当たり前は、恵まれているからこそ並べるのだと。
誰かに迷惑をかける人生。
一人ではどこにもいけない。
数日前までは動いていた足が、鉛のように重く動かない。
憐れみの言葉は何の役にも立たなかった。
事故の衝撃で思い出した前世の記憶も、足が動かない現実との差異を突きつけてくるばかりだった。
ただ漠然と、このまま死んでいくんだろうなという絶望だけが心を支配していた。
生きているだけで儲けもの?
他人に寄りかかって顔色を伺って、生きている事を後悔する毎日を過ごす惨めさが分かるものか。
生活を維持するために、両親と姉は早朝から夜まで働く。
その間、私は孤児院に預けられる。
やる事もないから、時間を潰すために外を眺める。
窓の外を人々は歩いていく。
彼らは、少し古風なヨーロッパにありがちな格好で、おしゃれを楽しみながら、自分で道を歩く。
その間、私はじっとそれを見つめるしかないのだ。
窓に映る私は、前世とは全く違う姿をしていた。
若白髪ですっかり色味の抜けた髪に、夜のような色をした瞳。
個々のパーツは、大衆酒場の看板娘だった母に似て整っていると評判だった。
着替えやすいようにと柄のない単色のワンピースを着せられ、両親が仕事の間は面倒が見れないからと孤児院に預けられる。
大した刺激もなく、将来に絶望する毎日。
自分は荷物でしかないのだと、やんわりと自覚するだけの時間を過ごしていた。
リル・リスタ。
それが私の名前。
三歳の誕生日を迎えた日、馬車に轢かれたその時から、私は両足を失った。
一人では何も出来ない。
どこに行くにも誰かの補助が必要。
前世で自立していた私にとって、誰かの補助なくして行動する事もできない状況は、絶望するしかなかった。
生温い視線。
憐れみと同情。
それら全てが嫌なのに、振り払う力すらない。
私は非力な娘だった。
誰の役にも立てない。誰からも必要とされない。
ただ生きているだけの、価値のない存在。
「歩けないなら、魔法を使えばいいのに」
人生の転機とは、思いがけないタイミングで訪れる。
前世の記憶を持つ私にとって今がその時だった。
「魔法……?」
孤児院に訪れた貴族の令嬢ミーシャ。
橙色の髪をツインテールに纏め、溌剌な印象を与える明るい色のドレスを着ている。
足が動かない私の事を気にかけ、慰問の度に本を読み聞かせてきたり、世話を焼いたりする変わり者。
髪と同じく橙色の瞳で呆気に取られる私を見つめ、それから慌てて口を掌で押さえた。
彼女にとって、それは何気ない一言であり、失言だった。
「まあ、魔法は素質がないと使えないけれど────」
「魔法が、この世界にあるの?」
「あるわよ。十年に一度の魔法祭があるなら見ているはず……あっ、ごめんなさい。あなたは三歳の頃から足が動かせないから、祭りも見た事がないのね」
彼女が指先に火を灯す。
どんな理屈で人の体から火が出るのかサッパリ分からない。
それが『魔法』と呼ぶ現象なのだと理解できた。
そして、自分が『魔法』というものが存在する世界に転生したという事実は、とてつもない衝撃をもたらした。
「そうか。あるのか。『魔法』が、本当に……」
魔法が存在する。
その新事実がどれほど私に希望を与えたのか、きっと彼女自身も知らない。
「使うには、何をどうすればいいの?」
「ちょっと! 素質がないと使えないって言ったアタシの話、ちゃんと聞いてたの?」
「その素質って、どうやって判別するの?」
「ほ、本当に魔法を使いたいの?」
私はベッドから身を乗り出す。
「使いたい。魔法を使えばいいじゃないと言ったのは、ミーシャでしょう。教えてよ」
「本当に使えるかどうか分からないわ。期待に応えられるかどうか────」
「ミーシャ、さっきから煩い。私は素質の判別方法について聞いてるの。さっさと質問に答えて」
珍しくミーシャが狼狽えた。
少し距離を詰め過ぎたかもしれないと反省して、ベッドの上で居住まいを直す。
「ごめん。自分に素質があるかどうかだけでもすぐに知りたいの。これまで散々『希望を持て』と説教してきたミーシャなら、私の気持ちを分かってくれると信じてるよ」
微笑みを浮かべる。
モゴモゴと言葉にならない呟きを口の中に転がしたミーシャは、私の顔を見てぐっと押し黙った。
「お父様から鑑定の水晶玉を借りれるかどうか分からないわ。きっとダメだと言うけど、ダメ元で聞いてみるわ。期待はしないでね」
「ありがとう、ミーシャ。君のような友人を持てて私は幸せだよ」
ああ、楽しみだな。次の慰問までに魔法について調べておくね。
そう言って微笑む私を、ミーシャは困り果てた顔で見つめていた。