幸せだから、捨てよっか
彼に奥さんがいることは分かってた。
彼は隠してるつもりだったみたいだけど。
女の勘をナメすぎよ。
きちんとアイロンのかけられたワイシャツ。
膝裏にシワのないズボン。
漂う柔軟剤の香り。
そして、少しだけ細い、左手の薬指。
それに、今はSNSを半ば強制的にやらないといけない時代。
課長も部長も子供や部下に教えてもらいながら、毎日せっせとつまらない文章と平和な画像を更新してるわ。
だから、若い係長のあなたがやらないわけにはいかないわよね。
頑張って独身を装ってるのは、端から見たら実に滑稽だわ。
あなたが頑張って1人分だけが写るように撮ったその料理。
主婦に人気のレシピサイトで取り上げられてたやつなのよ。
課の子たちにツッコまれて、あたふたしているあなた、とっても可愛かった。
あなたの飼っているその犬。
自動エサやり機もないのに、朝から夜まで仕事して、そのあと遅くまで私と愛し合って、いったい誰がエサをあげてるのかしら?
駅で傘を忘れた~って呟いてたけど、そのあと帰宅したって呟きでは、あなた、全然濡れてなかったわね。
折りたたみ傘を買ったんだよ!って?
あらそうなの。
玄関の左右に傘から流れた水滴がたまってるわよ?
2本も折りたたみ傘を買って、2本とも差して帰ってきたのかしら?
あなた、会社にも結婚してること内緒にしてたのね。
共働きだからって、普通そこまでするかしら。
そうまでして、若い子に手を出したかったの?
入社した時、私は22だったものね。
新卒で右も左も分からない私は、一回り上のあなたからしたら、ぜひとも欲しい女だったのかしら?
あたしも、頼りになって優しいあなたに、ころっと騙されたわ。
仕事が忙しくて婚期を逃しちゃってね、なんて、うまく言ったものね。
私も内心、それにとっても喜んじゃって。
それから、あなたが私に手を出すまで、そんなに時間はかからなかったわね。
そこから、私たちの関係は始まった。
それでも、私はとっても幸せだったの。
ううん、今だってとっても幸せ。
そりゃあ、あなたに奥さんがいるって分かった時は、とってもとってもショックだったわ。
あなたを殺そうか奥さんを殺そうか悩んだぐらいだもの。
思えば、あなたは初めからいろいろ怪しいところはあったのよね。
車だから終電なんて関係ないのに、やたらと時間を気にするし。
ワイシャツが汚れるのを嫌がって、ファンデーションをつけたままでは、その胸に顔をつけることも許さなかった。
首にキスマークなんて残そうとした日には、こんこんとお説教されたっけ。
会社にバレたら大変だからって。
いま思うと、その時のあなた、必死に怒って説教するフリしてて、ホントはものすごく焦ってたのね。
そう思うと、なんだかとっても可愛いわ。
でもね。
あなたが結婚してるって分かってショックだったけど、それでも、やっぱりあなたが好きなのよ。
柔軟剤の奥にあるあなたの匂い。
ほのかに香るタバコの香り。
くしゃっと崩れるような笑顔。
低くて、少しだけしわがれた声。
長くて綺麗で、それでいてしっかりとした指。
あなたのすべてを、私は愛してるの。
だからごめんね。
結婚してるってだけじゃ、やっぱり諦められないのよ。
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
何回謝れば許してくれる?
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
何回謝れば、また前みたいに笑ってくれる?
好きなのよ。
大好きなのよ。
愛してるのよ。
ねえ、だから。
さっさとそのゴミを捨ててきてくれるかしら?
いつまでも呆けた顔してないでさあ。
私は汚れちゃったからシャワー浴びてくるわ。
乾いてカピカピしてきたの。
やだな、こんな汚いの。
洗えば落ちるかしら。
あ、そうそう。
柔軟剤はウチのを持ってきたわよ。
古いのは捨てちゃおうね。
これからは私もここに住むんだから、別に構わないわよね。
あー。私、ワンちゃん飼うの初めてだわー!
早く私にも懐いてほしいなぁ。
ね?だから、私がシャワーから出る前に、その汚ならしいゴミを捨てておいてね?
ふふふ。
私たち、幸せね。